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VR事業のスタートから「安全体感VRトレーニング」誕生ストーリー(前編)

積木製作のマーケティング担当、(役職は常務取締役)赤崎です。
マーケティングといっても意味は非常に広く、企業活動全てがマーケティングと言っても良いのですが、それはまた別の記事でお話しできればと思います。(自分がなぜマーケティング担当と自称し始めたのかも含め)今回は弊社の主力事業となっているVRコンテンツ開発についてその過程、そして「安全体感VRトレーニング」を開発するに至るまでをお話ししたいと思います。

VR事業をスタートした理由

そもそも積木製作は2003年の創業以来一貫して建築CG制作を主たる業務として活動してきました。現在も主力事業として継続しています。建築CGはCGパースと呼ばれる完成イメージを制作する業務です。パースは静止画になりますので、当然2Dです。2Dのアウトプットを出す為に3DCGの技術を駆使して制作している訳ですが、せっかく3Dで制作しているのだからその空間を最大限活用したいと思うのは自然な流れです。且つ建築業界では以前からウォークスルーVR(非HMD)が存在していましたし、当時QTVRという360パノラマ画像を閲覧する技術があり、弊社も取り組んでいました。

キーマンの入社

そんな中2013年に弊社のCQO(Chief Quality Officer)である小田桐貴司が入社しました。彼はCGクリエイターでありながらWEB制作やアプリ制作の実務経験があるという経歴で弊社のVRエンジニア第一号となります。ゼロからUnityを習得し、建築VRを展開するため、弊社のVR事業がスタートしました。
ちなみに小田桐の入社にまつわるストーリーをお伝えすると、彼はもともと積木製作と大きな繋がりがありました。CTOである小田桐達哉の双子の弟であるというとても強い繋がり、絆がありました。小田桐(兄)から弟の話しを良く聞いていた私は非常に優秀であるという確信を持っていました。兄もめちゃくちゃ優秀なので、双子の弟なら間違いないという安直な思いもありました。持っている技術もVRをスタートするのに相応しい存在に思えました。直ぐに入社して欲しいとの思いを伝えましたが、当時勤めていた会社が少人数で彼にかかる責任も大きい事からなかなか退社してくれず、1年以上待った後、入社してくれました。そんな事があったので、新しく入ってくるスタッフには時間がかかってもきっちり筋を通し、前職の責任を果たしてから入社してきて欲しいという考えを持つ様になりました。
話しがそれましたので、2013年の入社時に戻したいと思います。
折りしも2013年は現在の一般向けVRヘッドセットの先駆けとなるOculusRiftの初号機となるDevelopmentKit1が出荷された年と重なります。

OculusRiftとの出会い(運命かも!?)

私を含め、弊社のスタッフ全員が2012年にこの革新的なデバイスがアメリカのクラウドファンディング「Kickstarter」に登場し、大きな注目を集めていた事を全く知りませんでした。(恥ずかしながら!)
とある客先で打合せ中に先方から「OculusRiftって知ってます?」と言われました。「何ですかそれ?」
今思えばこの会話が運命の分岐点だったのか、職場に戻り直ぐに注文したのを覚えています。
この当事(2013年頃)、VRをスタートさせていた開発者なら間違いなく覚えていると思いますが、最初に体験するコンテンツは建築物の中をウォークスルーするコンテンツと、ローラーコースターのデモコンテンツです。凄まじい可能性を感じると共にとんでもなく気持ち悪い、いわゆる「VR酔い」を発生させるものでした。体験した他のスタッフも気持ち悪いという意見が大多数で、一日中酔いが残るような代物でした。
可能性を信じてそこから全力で取り組みました!と言いたい所ですが、私自身も「これ流行るのかな?事業になるのか?」という疑問を抱いていました。当時の開発者の間でも「VRって本当に来るの?」というのが決まり文句でした。今それを言うと、「ダイブ前から来てるやん」ってなりそうです。

全く売れなかったVR

今でこそ一体型デバイスが多く登場し、顧客に体験して頂くのがかなり容易になりました。その上弊社の営業スタイルは問い合わせベースで動くので、顧客側から問い合わせを頂き、弊社のオフィスへ来場の上、体験して頂くという形が最も多くなっています。VRデバイスを持参して営業する必要がありません。本当にありがたい状況です。ですが、これは2016年頃から可能になったスタイルです。2013年当時はPC接続が必要なOculusRiftを顧客の事務所に持参して営業する必要がありました。しかもVRを動かす為のGPUを積んだノートPCがまだ発売されていなかったので、デスクトップPC,OculusRift、モニタを持参する必要があったのです。都内であればタクシーを使用して持ち込んだり、いろいろやりました。当時は持ち手ハンドルが付いているVR用のデスクトップPCやかなり小型のものも出てはきていましたが、デスクトップPCはそもそもが持ち運びを考慮されていないので、振動に弱く故障の可能性も高い。デモに持参する道中で故障してしまい、客先でデモができずに頭が真っ白になるという様な事もありました。モニタもなかなか難問で、先方のモニタを借用すればいいのですが、あるかどうか分からない場合はいつも持参していました。モニタも非常に小型のものを購入して持ち運んでいました。当時のターゲットは完全に不動産VRだったので、不動産デベロッパー、広告代理店に片っ端からアクセスし、訪問営業を続けました。
数十社はデモしたと思いますが、見事に成果はゼロでした。ひとつも仕事にならなかったです!代理店は常に新しいものを求めているので、可能性については理解される場合もありましたが、不動産デベロッパーで良い意見は殆ど聞く事はできなかったです。我々の営業文句は「モデルルームをバーチャルに置き換えましょう!」でした。
マンション販売の際に制作する実物大の部屋のモックアップです。これを制作する為に数千万円かかる事から、数百万円でバーチャルに置き換えるメリットがあるのではと考えていました。ただ不動産販売の現場の意見として売り方を変える事、それで本当にマンションが売れるのかという疑問が大きかったと思います。当然我々には実績がないので、その疑問に対する答えを持ち合わせてはいませんでした。
とにかくどこかでチャレンジ精神のある顧客と巡り会う事を期待する日々でした。
営業をするにもコンテンツが必要なので、我々は有名建築物のVR化を進めました。現代建築の3大巨匠のひとり、ミースファンデルローエがデザインした「ファンズワース邸」という個人向けの住宅がありますが、それをVR化してデモコンテンツとして使用していました。リアルタイムレンダリングによるMovieを youtubeにもアップしています。


再生回数が5万回に届こうかという所で、海外からのコメントも多く、Unityを使用したリアルタイムレンダリングのクオリティを世界的に評価して頂いていると感じています。
クオリティの高い建築系VRのデモと熱意だけでは仕事に繋がらずにいたので、この建築物の中を小人になってジェットコースターで駆け巡る事ができるというコンテンツを遊び感覚でつくったりもしました。このジェットコースターコンテンツが思いのほか好評で、VRイベントに出展して来場者に楽しんでもらっていました。
VRの業務は相変わらず無かったのですが、設計事務所から簡単なリアルタイムコンテンツを受注したりしていましたが、HMDを使用したコンテンツの実績は事業をスタートしてから一年以上皆無でした。

後編に続く

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