(写真は新潟県南魚沼市の屋根の上で親の仕事を手伝っているところ。目つき悪いな。笑)
正直に言うと就職活動がノリにノッテきたとき父親に
「田舎の仕事を手伝ってくれ」と言われて一瞬、凍りついた。
「はぁっ?何で今?」
やはりものごとというのは 「そうカンタンじゃないな」とつくづく感じた。
そして受話器を置いてから眼を閉じ、ゆっくりと考えた。
「でも親孝行ができない奴に人の心を動かすようなデザインの仕事なんてできるわけないよな…」と。
結局、その日のうちに就職活動も新潟での仕事も両方やりきると肚を決めた。
とにかく美大の学費は高いのだ。その学費を建築板金の仕事で稼いでくれたんだ…。
就職ももちろん大事だが「親が困ってるときに恩返し」をしないときっと後悔すると思った。
ちなみに今でこそ私はジャケットなんか羽織って
「デザイン会社を経営してます」みたいなことをしているが、
根っこは、泥くさい職人の家に生まれたド庶民なのだ。
なんと私は【アーク溶接、鉄骨の切断、鉄の研磨、4tトラックの運転、クレーンの操縦、その他高所でのとび職的な仕事、足場の組立と組み壊し、吹き付け塗装】ほか何でもできるのだ!
サンダー(研磨機)のオレンジ色の火花を顔に浴びて、
目玉に鉄の破片が突き刺さったこともある(ギリギリ白目で助かった)
また、高所で電気ドリルの作業中に土砂降りの雨に降られて
右腕だけビリビリと感電しながらも仕事を終わらせたこともある。
(ちなみに100Vだったんでギリいけた。工場内の200Vだと結構死ぬ)
つまり職人の英才教育を受けてきたのだ。
小学校に上がる前から溶接や鉄を切断するときの火花を見て
「うわー、花火みたいだぁー」などと無邪気に喜んで育って来たのだ。
ということもあって今でも『スペシャルに仕事のできる父』を含め
仕事のできる職人は皆、超リスペクトなのである。
話を戻す。
それで以下が半年ほど続いた当時のある週間スケジュール。
日曜日 横浜で不動産屋のバイト (終日)その後帰省。
月曜日 新潟で手伝い (早朝から晩まで)
火曜日 新潟で手伝い (早朝から晩まで)
水曜日 新潟で手伝い (早朝から晩まで)
木曜日 東京で面接。すぐ新潟に戻って仕事。
金曜日 新潟で手伝い (早朝から晩まで)その後、上京。
土曜日 横浜で不動産屋のバイト (終日)
あれれ。休日がないぞ。笑
結局、休みなく働いてもバイト代は、ほぼ交通費に消えていった。。
ちなみに実家の仕事は建築板金業(主に屋根屋)だ。
夏なんか生卵を落とせばすぐに目玉焼きができるような灼熱の屋根に上がったり降りたり、
溶接したり、ペンキを塗ったり…。
足を滑らせれば確実に死んでしまうような高所での作業。
デザインとは真逆の3K仕事(キツイ、キタない、キケン)
でも楽しかった。。 生きてる感じがした。。
そんな目まぐるしい毎日を過ごす中、
なんと本命の会社の1次書類審査を運よく通過した。
その会社は「エディトリアルデザイン」の分野で日本で最大手のデザイン会社だった。
ちなみに私は『ラフォーレ原宿卒制展の悲劇*』
(*スウェーデン人ジャーナリストにディスられたことを勝手にこう呼ぶ)
があってから進路をいわゆる『広告系デザイン』から
メッセージを伝えることを主眼にした『伝達系デザイン』に変えていた。
その会社に入れば、知名度のある仕事ができるということで、
やたらと倍率が高かった『狭き門』にますます燃えた。
そして当日、新幹線で東京に向かい2次選考試験に向かった。
その試験内容は学科と実技だ。 学科試験は何とかこなしたが、
しかし実技がマズかった…。
確か「自分が考え出した広告キャンペーンのコンセプトとラフを描け」と
いうようなものだったと思う。
ラフを描きながら冷や汗が滝のように流れてきた。
滑らかに手を動かす周りの現役学生たちがスーパーエリートに見えてきた。
「浪人というハンデのある自分は相当、高得点を出さないと受かる訳がない!」
と強く思ったとたん、自分の作品に納得が行かなくなって、
ほとんどできていたラフを消しゴムで
ゴシゴシこすって完全な白紙に戻してしまったのだ!
すべてをキレイさっぱり消し終わったところで、試験官が「はい、時間でーす!」
軽いめまいがしたような気がした。
そしてその場にいた会社役員にこう言われた。
「消さなければよかったのに…」
ぐうの音も出ないほどの正論に私は思わず下を向いた…。
どうやって新潟行きの新幹線に乗り込んだのかもよく覚えていない。
車外の景色が流れはじめる中 「ああ、終わったなぁ…」とふと感傷に浸りかけたが、
「でも白紙の答案でも受かったら奇跡だよなー」とグイッと天井を見上げた。
(これを名付けて青天井のバカという。笑)
まともな人間ならこんな高倍率の会社で、
しかも3次面接まである会社で、
大学卒業からほぼニートの引きこもりが、
しかも答案が真っ白な奴が受かるなんて決して考えないだろう…。
【つづく】