新卒でTFJに参加した私がフリースクールの立ち上げメンバーになるまでの話 ~必死で過ごしたフェロー期間が不登校支援に繋がったわけ~
今回は、Teach For Japan(以下、TFJ)のフェローシップ・プログラムの第9期生で、現在はフリースクールで教育コーディネーターとしてご活躍の小野晴香さんに登壇いただきます。教員を志すようになった原体験とは?苦労したと自負する赴任先でのエピソードや現在のキャリアに至った理由を伺いました。ぜひ最後までご覧ください。(※本記事は、2024年4月に行われたイベントのレポートです。)
小野晴香さん(Teach For Japanフェロー第9期生/小学校赴任)
異文化理解や国際平和に興味をもち、広島大学に入学。フィリピンでのインターンや学生シェアハウスでの経験から、教育現場で「対話」の重要性を学ぶことが必要なのではないかという問いをもち、Teach For Japan(以下、TFJ)フェロー第9期生として新卒で教員となる。フェロー期間を含め3年間さまざまな形態で勤務をし、現在はオンラインフリースクールの立ち上げにジョイン。オンラインでの支援に加え、対面支援の場づくりに挑戦している。
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「同じぐらいの年の子が、武器を持っている」一冊の本から芽生えた平和への思い
ーまずは自己紹介をお願いします。
小野晴香です。TFJのフェロー第9期生として、2021年から熊本県と佐賀県で小学校教員をし、その後の1年間は非常勤として働きました。現在はオンラインフリースクールのメンバーとして全国の学校に行きづらさのある子どもたちと関わっています。
今日は、かつて自信が全くない大学生だった私自身が、フェローとしてさまざまな壁にぶつかりながら、何とか今に行き着いたというリアルな話をお届けできればと思います。
ーフェローシップ・プログラムに参加する前、学生時代はどのようなことに関心がありましたか。
大学時代は広島大学に通っていて、平和について学びたいと思っていました。インドへのスタディーツアーや、フィリピンでのインターンシップなど、国際協力的な取り組みに関わっていました。もう一つ大きかったのが、大学3年生頃から古民家を改修したシェアハウスに住み、アメリカ人と一緒に暮らした経験です。
ー「平和」を学びたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
小学生の時に出会った一冊の本が原体験です。アフリカのシエラレオネ共和国の紛争についての本だったのですが、少年兵として、自分と同じぐらいの年の子が武器を持っているということに、子どもながらにすごく驚きました。
それがきっかけで、平和について学びたいと思うようになりました。大学では文化人類学を専攻し、国際的に幅広く学ばせてもらったという感覚です。
「先生なんて自分にはできない」という思いから始まった教員への道
ー当時から教員になりたいと考えていたのでしょうか。
全く考えていませんでした。当時は、「自分は絶対教員に向いてない」と思っていて、教員免許を大学で取らないという決断をしました。両親が教員なのですが、「大変そうだな」「とにかくハードな仕事だな」という印象をもっていました。
就職活動をしている時、その直前に心のバランスを崩してしまった時期がありました。その時期を越えて、「頑張って働こう」といろいろ探す中でTFJと出会いました。
ーそこから、なぜ学校現場に関心がつながっていったのでしょうか。
自分の中で大きかったのは、シェアハウスでの経験です。当時、シェアハウスの中で一緒に住んでいた留学生との仲がとても悪くなってしまったことがありました。共同生活をしているのに空気が異様で、同じ空間にいられないぐらい関係性が悪くなっていました。
今思い返せば人種に関する問題が起き、互いの理解が非常に難しい状態だったと思うのですが、そのトラブルを解決するために、平和構築のための対話の手法を使って、シェアハウスの住人同士で話し合いを行いました。その時に、「対話しているのに、お互いの違いが際立つだけ」という経験をしたんです。対話って、こんな役割もあるんだと思いました。
自分の原体験ともつながって、さまざまな立場にいる他者を理解し、課題を解決する力のある「対話」の練習をもっと小さい頃から重ねていく必要があるのではないかと感じました。それが、教育や学校現場に関心を持つきっかけになりました。
「公教育の現場に入れる」ことが、TFJを選んだ理由だった
ー教育に関わる選択肢は他にもある中で、なぜTFJを選んだのでしょうか。
TFJの強みは、免許がなくても短期の準備で公教育の現場に入っていけるところだと思っています。小学校や中学校、公立の学校に行くには、一般的には教員免許が必要です。でもTFJでは、研修を受けた上で臨時免許状を取得し、公教育の現場に入ることができる。その仕組みがユニークだと感じました。
私自身、「対話が重要なのではないか」という仮説を持っていました。それを試してみたい場として、公立の学校に通う子どもたちがどんな教育を受けていて、何を求めているのかを知りたかったんです。だからTFJを選びました。
何回も何回も考えたビジョンが2年間を支えてくれた
ー赴任前研修で印象に残っていることはありますか。
当時の赴任前研修では、最初から自分のビジョンを考えました。ビジョンは、この先どういうことをしていきたいのか、その景色を自分で描いて行くための指針になるようなものだと思うのですが、私にとっては人生で初めての経験でした。
驚いたのは、最初にビジョンを作って終わりではなく、そのビジョンを振り返る機会が半年間の研修の中に何回も何回もあったことです。「ずっとビジョンを考え続けなきゃいけないんだ」と最初は思いました。でも振り返ってみると、とても大変な2年間を支えてくれたのは、ビジョンだったなと感じています。
ー授業づくりなど、実践面で役立ったことはありましたか。
TFJの研修でも山場である、模擬授業ですね。当時は人前で話すのが本当に苦手で、授業の準備もきつかったですし、授業をすること自体も大変でした。しかし、TFJの仲間と一緒に練習を重ねる中で乗り越えた経験があったから、小学校で子どもたちに授業をするための基礎が身についたと思います。
教育法規などの教育の権利や法律に関する知識も研修でインプットできていたので、赴任してから「あの時やったな」と気づくことがありました。
ー大変な研修を乗り越えられた理由は何だったと思いますか。
精神的な不調で動けなかった時期があり自信を失っていた自分でも、教育への思いを伝えてTFJのフェローになれたことと、研修を重ねて学んでいくことで「自分でも子どもたちのために何かできるかもしれない」と、自信が芽生え始めた時期がありました。
あとは、同期の存在です。コロナ禍だったのでほとんどオンラインでしたが、全国各地に仲間がいて、一緒に頑張っている感覚がありました。そこはすごく良かったです。
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「安心できる居場所」は前提に。次のステップとして対話をつくりたい
ー赴任時には、どのようなビジョンを持っていましたか。
ビジョンは1年ごとに変わっていきました。最初の半年、研修を受けていた時に言葉にできたのは、「安心できる居場所としての教室を作りたい」ということです。
1年後には、「対話を通して他者を知る」というビジョンになっていました。1年目と2年目で赴任の形態が違ったことも大きかったと思います。
1年目は熊本県の被災地の学校に派遣してもらいました。学校が大変な状況にある中で、加配(追加で配置される職員)のような形で入らせてもらい、担任ではなく算数のT2(補助教員)や、支援学級の子どもたちのサポートをしていました。学校の外に走って出ていく子を、走りながら追いかけるようなこともありました。
2年目は佐賀県に移り、小学2年生の担任になりました。その時には、「安心できる居場所」は自分の中で当たり前につくりたい前提になっていて、次のステップとして、対話ができる場をつくりたいと思うようになりました。
ー赴任中に大変だったことは何でしたか。
2年目は、業務が本当に多くて、捌ききれないことが一番大変でした。子どもたちとの時間を楽しみたいのに、その準備の時間も取れないくらい毎日ヘトヘトでした。
数ヶ月経つと少しずつ慣れていき、子どもたちが自走できるように、宿題のチェックを半分ぐらい自分たちでできるようにしたり、トークンシステム(その日一日きまりを守って過ごせたらビー玉をビンに貯められる)に取り組んだりするなど、少しずつ工夫していきました。近い地域のTFJの仲間と会って話すことも、心の支えになりました。
「コミュニケーションの仕方を知らないだけ」フラットな目線が子どもの成長につながる
ー1年目に力を入れた実践を教えてください。
1年目は特別支援の子どもたちと関わることが多かったので、特別支援についての知識を増やしていきました。子どもにこういう特性があるから、ここは支援しようとか、こういう言葉かけや接し方が必要なんだなとか、少しずつ見えることが増えていきました。
印象に残っているのは、特別支援学級に通っていた6年生の男の子です。初対面の人や慣れていない人へのコミュニケーションの取り方がわからず、私に対しても手が出てしまうことがありました。
最初は、なぜそうしているのか、どう関わればいいのか全然わかりませんでした。でも、「コミュニケーションの仕方を身につけていないだけかもしれない」と、当時の特別支援学級の先生の助言から認識するようにしてみました。話したい時は「今、話したいんですけど、いいですか」と伝えればいいこと、自分の気持ちはこういう言葉で伝えたらいいことを一つずつ対話の中で伝えていきました。
そうすると、どんどんコミュニケーションの取り方が変化していき、一年後には「図書室で本を読もう」と私を上手に誘えるようになりました。1年間で変わるんだなと、すごく嬉しかったです。
語彙を増やすことで子どもがどんどん話せるように
ー2年目、学級担任としてはどのような取り組みをしましたか。
2年目は、学級担任ってこんなにきついのかと思うくらい精一杯でした。学級全体で対話に取り組むというより、授業の中でできる範囲でしたが、特に国語の授業で語彙を増やす取り組みをしていました。
国語の教科書に「言葉の宝箱」というものがあります。そのページには「気持ちを表す言葉」や「様子を表す言葉」など、その学年に適した語彙がずらりと並べてあります。まっさらな回答用紙を目の前にした時「何と書けばいいか全くわからない」という実態の子がクラスに多かったので、このページを印刷して、教室に掲示しておき、子どもが書く時に迷っていたら「言葉の宝箱から探そうね」と声をかけました。
すると、意外とスルッと書けるようになるんです。語彙を覚えていく中で、授業中にペアで話したり、少し話す時間を取ったりした時も、1学期と3学期では全然違って、子どもたち同士で少しずつ対話できるようになりました。
学校現場での経験がマネジメント力を育む
ープログラム全体を振り返って感じる自分自身の変化はありましたか?
実際に赴任して現場に行けたからこそ、学校で働くってこんなに大変なんだっていうことがわかった。ただ、TFJだとそこに仲間がいるので、なんとか食らいついていくことができたかなと。その中でマネジメント力かなと思っています。
一番は学級経営だと思うんですけど、研修を受けていた頃は「学級経営ってなんだろう…クラスを『経営する』ってなんか変だな」と思っていました。でも実際にやってみると、学級って本当に経営しなきゃいけないんだなと感じました。締めるところと、子どもに自由にしてもらうところを、自分の中で核を持っていないと、いつの間にかクラスが荒れていくことにつながってしまう。クラスが騒がしくなって悩んだ時期も経験しながら、「ふたりはともだち」という単元の国語の研究授業(教員の指導力向上を図るために、他の教員に公開する授業のこと)の準備や本番を通してクラス全員で楽しく学習と向き合ったことで、だんだん経営ができるようになっていった感覚があります。
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「学校なんて」と嫌っていた私が、「学校ってすごい場所だ」と気づくまで
ーもともと「教員に向いていない」と思っていたとのことですが、学校で働いてみて、見方は変わりましたか。
当時は、学校教育に対して「いいな」と思っていませんでした。「学校が全然変化していない」などの意見を鵜呑みにしたり、自分自身があまり小学生時代にいい思い出がなかったのもあり、初等教育をよく知らないまま毛嫌いしていたところがあり、でもそれも違うのではないかと、なんとなく思っていました。
2年間やってみて、もちろん学校にはシステム的な限界もあります。どうしても個別の対応ができなかったり、学校や先生によっていろいろあったりすると思います。それでも、学校ってすごい場だなと思いました。すごい環境があるし、実際に行ってみたら、30人以上いる子どもたちをまとめたり、1000人子どものいる学校を運営したりするプロの先生たちばっかりで。
そういう学校の良さも活かしながら、学校に行けていない子たちとも出会って、その子たちが自信をつけて、学校で学べることは学んでいってほしい。そんな思いから、今フリースクールで働いています。
「対話が生まれるカフェ」を模索する中で、フリースクールの立ち上げへ
ーフェローシップ・プログラム修了後、今のフリースクールの仕事につながった経緯を教えてください。
2年間のフェロー期間を経て、私には「対話が生まれるカフェを作りたい」という夢がずっとありました。その夢に向かって模索していたのが、フェローシッププログラムが終わった後の1年間です。いろいろなところに行きながら、自分がすでにさまざまなルールのある場所で働くことに違和感を覚えたりもして、当時はすごくフワフワしていたと思います。
そんな中で、新しい場を作ろうとしている方々と偶然つながりました。「子育てのラジオ」というポッドキャストを聞いていて、“子育てについての根拠のある情報を簡単に日常でできる実践に落とし込んで楽しく話す”っていうラジオなんですけど。ひょんなことから、その方々とつながって、ラジオの編集を手伝うようになりました。そこから「私も一緒にやりたいです」と伝え、今のフリースクールにつながっていきました。
ーフリースクールでは、どのような支援をしているのでしょうか。
ラジオでもお話されていたところなんですが、日本のすべての子どもが公教育を受ける権利があるのに、不登校の問題がものすごいことになっているんです。30万人もいる状況で。こんなに大変なんだって。そういう子ども達が無料で受けられるようにしたいってことで、無料のフリースクールという形をとっています。
今働いているフリースクールでは、オンライン上のメタバース空間で行っています。子どもたちはそこでGood & New(直近の良かったことや新しい発見を共有する取り組み)をしたり、探究的な学びをしたりしています。
始まってみて、本当に楽しいです。ただ同時に、「こんなにこの子たちは不安定なんだな」ということも身にしみて感じています。今は、必要に応じて子どもたちに伴走して、社会的なスキルを身につける授業などを通して、対人関係が怖いといったところを乗り越えられたら、その子の望むペースで学校や外の学び場に接続しに向かうっていう支援です。
ー今後の展望もぜひ教えてください。
今後は、私のテーマである対話を重ねながら、学校に向かえない難しさのある子どもたちを支えていきたいです。そして、「他者とつながることはこんなに素晴らしいことなんだよ」ということを、一人ひとりの子どもたちと一緒に築いていけたらと思っています。
長い視点では、カフェが併設されているフリースクールのような場所を作り、子どもがいろいろな大人や他者と出会える場をつくっていきたいです。
Q&A
Q:教員免許は取得されていますか?また、通信制大学でおすすめの大学はありますか?
A:現時点では、教員免許は取得していません。フェロー期間中は、臨時免許状を取得して2年半ほど学校現場で働いていました。
通信制大学については、私自身が通っていたわけではないので、具体的におすすめの大学を挙げることは難しいです。ただ、TFJの中には、通信制大学で免許を取得している方や、小学校教員資格認定試験で免許を取得している方もいます。免許の種類や取得方法についての勉強会などもあるので、プログラムに参加してから情報収集していくことも一つの方法だと思います。
Q:また学校の先生に戻る時は来ると思いますか?
A:学校の先生は、本当に魅力的な職業だなと、この2年半で思いました。今はフリースクールで働いていますが、もしかしたらまた公教育の現場に戻りたいと思って、戻る時が来るかもしれません。
Q:学級経営に関して、自分で決めてよかったことや、効果があったルールはありますか?
A:学級経営については、1年で大きな実践をするというよりは、私自身は基礎力をつけていった感覚があります。
ベテランの先生方や、しっかりされている先輩の先生にたくさん聞いて、「ここはこうした方がいいよ」と教えてもらいながら、だんだんできるようになっていった感覚です。
その中で一つ挙げるなら、言葉遣いです。言葉が荒れ始めると、クラスが荒れる予兆になることがあると他の先生方からアドバイスをいただきました。
そこで、年度初めに、子どもたちと一緒に「心が温まる言葉」と「チクチク言葉」を出し合い、それを教室に掲示していました。そして、チクチク言葉が出た時には、「今のはこっちの言葉だったよね」と立ち止まり、考えたり振り返ったりする機会をつくっていました。
帰りの会で1日を振り返って、できていた人はビー玉をビンに貯める「トークンシステム」にとりくみ、ビンいっぱい溜まった日はみんなでレクをして喜びました。その取り組みでクラスが明らかに安定した感覚があり、効果を感じました。
ー最後に、応募を検討している方へメッセージをお願いします。
私がTFJを選んだのは、当時の状況も含めて、結構偶然のような気がしています。他の選択肢に行く可能性もすごくありましたし、この道を選ばないという道も、本当に素晴らしいことにつながっていくと思います。
ただ、TFJを選んだからこそ、今の進路に行き着くことができたとすごく思っています。2年間、いろいろなバックグラウンドを持った全国の人たちとつながれる機会があるというのは、すごくユニークな取り組みです。ぜひ、選択肢の一つとして検討していただければ嬉しいです。
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