半年前まで、僕は10人のエンジニアが書いたコードをすべて自分の目で確認してから、リリースしていました。今は、一切見ていません。
匠技研工業CTOの井坂星南(いさか・せな)です。製造業向けAI SaaS「匠フォース」の開発を率いています。
「お客様に圧倒的な価値を届ける」。この一点だけを基準に、僕はこれまで何度も自分の役割を捨ててきました。コーディングも、コードレビューも、いまはマネジメントも手放そうとしています。手放すたびに苦しいし、正直こわい。それでも、そうしないとチームは前に進まないと思っています。
今回は、その「手放してきたもの」の話を中心に、匠技研の開発組織のリアルをお話しします。
10人分のコードレビューを、すべてやめた
──かなり思い切った決断ですよね。
わかりやすい例で言えば、コードレビューを完全に手放したことですね。半年前までは、10人いるエンジニアのソースコードをすべて自分の目で確認してからリリースしていました。
でも、当然ながらそれでは自分がボトルネックになる。実際、レビュー待ちでリリースが遅れて、お客様への価値提供のスピードが明らかに落ちていたんです。加えて、せっかく作った機能がなかなか世に出ないことで、開発チーム全体のモメンタムも下がってしまっていた。本末転倒だな、と。それで思い切って、自分はコードレビューを一切しない、という方針に切り替えました。
──怖くはなかったですか。
怖かったです。CTOとして、技術面における信頼を守ることは何よりも重要だと考えています。システムが落ちることは絶対に避けなければならないし、情報漏洩やセキュリティ上の問題が起きることも、決して許されない。技術の力で、確実にお客様に価値を届け切る。それは自分の中にある揺るぎない信念です。
ただ、その信念があるからこそ、新しい仕組みや体制への変更に対して慎重になりすぎてしまう場面もあるなと感じていて。仕組みやシステムを変えれば、最初はどうしてもエラーやトラブルがつきものです。でも、そのリスクを恐れて変化を先送りにしていては、プロダクトも組織も思い描くスケールには到達できない。「顧客への価値提供を守ること」と「仕組みの変革」の両立をどう実現するか。そのバランスには、いまも向き合い続けています。
自分には「リスクをとる勇気」がまだまだ足りない。そう痛感しています。
「エンジニア4人でできること」という、思考ブロックを外した
──他に、アンラーンしなければならなかったことはありますか。
大きなブレイクスルーになったのは、自分の中の「思考ブロック(思考の制約)」に気づいて、それを外すようになったことです。
去年の頭、エンジニアがまだ4人しかいなかった頃、僕は無意識に「エンジニア4人で実現できる」という制約を付けてプロダクト・ロードマップを描いていました。そのロードマップをもとに半年間開発を進めていたのですが、ふと「自分たちが本当に届けたかった価値を全然届けられてないな」って気づいて。自分が掲げていたはずの「圧倒的な価値を届ける」という理想と、現実の開発の実態のギャップに、すごく苦しみました。
そのときに自分と向き合ってみて、気づかぬうちにあらゆる思考の制約が入っていたことに気づきました。「今の規模感だったらこの開発はできないな」とか「今の人数だと、せいぜいここまでしか実現できないな」とか。現実から逆算して考えていたんですよね。でもそれだと非連続な成長は起こせない。
それからは、「もしエンジニアが100人いたら何をつくる?」「もし超高精度なAIを作れるとしたら何をする?」というように、現在の制約を一度すべて外して物事を考えるようにしています。現在地から行動するのではなく、理想の未来を先に描いて逆算して行動する。その中に非連続な成長のヒントがある。去年そう気づけましたし、今も大切にしている考え方です。
昨年まで5人だったプロダクトチームは、いま17人になりました(業務委託含む・2025年7月時点)。
残高10万円。あのスピード判断がなければ、会社はなかった
──技術を選定する上で、何を大事にしていますか。
短期でも長期でも、圧倒的に事業が伸びるようなソフトウェアを作ることができるかどうか。それだけを意識しています。といっても、短期での素早い価値検証と、長期でのスケールというバランスは本当に難しくて。「あの時の判断、もっとこうしておけばよかったな」と思うことは今でもあります。
──たとえば、どんな意思決定ですか。
創業初期、まだプロダクトの方向性も模索していた時期に、フルサーバレス構成+NoSQLという選択をしました。理由は明確で、「とにかく早く、安く、できる限り多くの価値検証をしたい」という思いがあったからです。当時は10個ぐらいのアイデアを作成しては検証するというのを繰り返していて、究極、プロダクトを作らずに価値検証が済むならそれがベスト、ぐらいの感覚でした。
ただ今ではプロダクトがスケールしていくフェーズに入り、構成の課題が出てきています。実際にいま、スケーラビリティや保守性を考慮したアーキテクチャへの移行を進めています。正直、最初から長期を優先して選んでいたら、今の技術的負債はもう少し軽かったなと思うところもあります。
でも、あのときは本当にギリギリでした。生々しい話をすると、会社の残高が10万円とかを切って、「来月の給料が払えない」っていう状態だったんですよね。あと1ヶ月検証が遅れていたら、あと1ヶ月売れるのが遅かったら、たぶん会社はなかった。だからあのスピード重視の判断があってこそ、今があると思っています(今はさすがにそんなことはないですが、笑)。
──いまは開発環境への投資も積極的だと伺いました。
パソコンなら50万円以内、ディスプレイなら10万円以内で好きなものを選べるようにしています。スタートアップってどうしても人が少ないので、人の数ではなく、一人当たりのアウトプットの質とスピードが勝負になる。そのために、環境への投資は惜しまないと決めています。
たとえばビルドやテスト処理って、通常だと1回あたり短くても数分かかりますが、PCのスペックを上げることで何割か短縮されます。1日に何回もテスト処理をするので、1日で数十分浮くんですよね。それを1ヶ月、半年と積み重ねていくと、ものすごい差になる。数十万円プラスでかかるとしても、それで開発スピードが上がるなら全然ペイします。「時間を買える手段があるなら全部やる」というのが基本方針です。
気になったら、その場でお客様に電話する開発組織
──匠技研の開発組織の特徴を教えてください。
1番の強みは、顧客との距離の近さです。これは、どの会社にも負けないと自信を持って言えます。
匠技研のエンジニアは、単にプロダクトをつくるだけではなく、本当にお客様に価値を届けられているかどうかに強くこだわっています。だからこそ、CS(カスタマーサクセス)チームとの密な連携はもちろん、自らCS業務の一部を担ったり、ヒアリングや現場同行に出向いたりします。
たとえば、開発を進める中で気になる点があれば、その場でお客様に直接お電話して5〜10分ヒアリングを行い、すぐに開発に反映しています。日程を調整して数日後にヒアリングをする、というやり方では遅いと考えています。
もう一つ特徴的なのは、Slackを通じたお客様とのやりとりです。匠技研ではほぼすべてのお客様とSlackでつながっているのですが、開発メンバーもそのワークスペースに入っています。日々お客様がどんな課題に直面しているのか、どんなフィードバックがあるのかを、リアルタイムでキャッチアップできる環境がある。実装した機能に対する反応に直接触れられるのは、エンジニアとして大きな魅力だと思います。
──どういうメンバーが多いのでしょうか。
理想に対して貪欲なメンバーが多いですね。「これが本当に最適なやり方なのか?」「もっと良い形があるんじゃないか?」と常に問い続け、理想に近づくために粘り強く取り組んでいる人たちが集まっています。
特に強く根付いているのが、「圧倒的な価値を届ける」という意識です。「少し便利になればいいよね」じゃなくて、「お客様の業務が根本から変わるような価値を届けたい」と全員が思っている。だからこそ、中途半端な思考やアクションでは足りないとみんなが自覚していて、それぞれが「どうやったら突き抜けた効果を出せるのか?」を徹底的に考えながら仕事をしています。
僕自身、個人のNotionのヘッダーに"圧倒"の文字を置いています。
マネジメントを託し、AIエージェントの最前線へ
──いま、次に手放したいものはありますか。
最も委譲したいのはマネジメント領域です。現在はチームマネジメントや採用が主な業務ですが、採用は引き続き自分が責任を持ちつつ、今後は「AIエージェントを主軸とした新規事業の立ち上げ」にフルコミットしたいと考えています。
というのも、これからの時代、ただのSaaSでは生き残れません。今後のソフトウェアが問われるのは、「AIネイティブ」であるかどうか。AIエージェントを軸に据えたプロダクトこそが、次の勝負どころだと思っています。そのために、いまはAIやLLMの最前線に自ら飛び込み、自分の手でゴリゴリコーディングをして、高速で検証を回すことに集中したい。つまり、マネジメントから改めて現場へ回帰していきたいと思っています。
──理想のCTO像はありますか。
率直に言うと、「こうありたい」という役割へのこだわりはあまりありません。僕が一貫して目指しているのは、チームでつくったプロダクトが、世界中の人々の役に立ち、驚きや喜びを届け続けている未来です。その未来を実現できるなら、自分の立ち位置はなんでもいいと思っています。
実際これまで、コーディングからテックリード、マネジメント、AI開発、採用まで、あらゆるロールを担ってきました。そのときどきで、「今、最も自分が価値を出せるところはどこか」を考え続けた結果です。プロダクトを世に届けるために一番寄与できるのであれば、究極的には採用だけやっていてもいい。これからも、プロダクトを届けるために最も足りていない領域に、自分のリソースを投じ続けたいです。
──そもそも、なぜ製造業なのでしょうか。
小さい頃から、本田技研工業様のエンジニアだった父の背中をずっと見て育ちました。「車つくってるお父さんすげぇな」「ものづくりってかっこいいな」と幼い頃から憧れを感じていた。父の勧めで読んだ本田宗一郎の自伝も印象的で、「奥さんが自転車に乗るのが大変そうだから、エンジンをつけてみた」という身近な人の困りごとの解決が、結果的に世界に広がっていったことに、子どもながらに衝撃を受けました。
問題を見つけて、技術で解決する。その姿勢がとにかくかっこよかったんですよね。
いま僕たちがやっているのは、製造業の現場に蓄積された膨大なデータと最先端のAIで、生産性や収益性の最大化を実現することです。その先に見据えているのは、日本の製造業を形づくる数千社のサプライチェーンそのものの最適化。どの会社が何を作れて、どれくらいの納期・コスト・品質で応えられるか。そうしたデータをもとに、AIが全体最適を支援・自動化していく世界です。
10年後、自分たちのプロダクトが、世界中のモノづくり現場にとって「なくてはならない存在」になっていてほしい。それを実現してはじめて「僕たちが製造業を変えた」と胸を張って言えると思っています。
仲間を募集しています
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
「フェアで持続可能な、誇れるモノづくりを。」を掲げ、いま急速に組織を拡大しています。お客様との距離の近さも、思考ブロックを外して理想から逆算するカルチャーも、実際に飛び込んでいただくのが一番早いと思っています。
少しでも興味を持っていただけた方は、この記事の下にある募集からお気軽にご連絡ください。まずはカジュアルにお話しできればうれしいです。