はじめまして、こんにちは!スペクティPRチームインターン、慶應義塾大学総合政策学部の平野城太郎です!
私は高校生の時から「防災」という分野に強い関心がありました。
大学生になってインターン先を探した際、たくさんの企業がありましたが、スペクティの事業内容を聞いて「この会社しかない!」と思いました。まだ日は浅いですが、興味のある事業に関われることもあり、とても楽しく働いています。
今回は、私がなぜ「防災」に関心を持ったのか、スペクティを知ったきっかけなどを紹介させていただきます!
苦しかった中学時代から一変!高校の防災学の授業で人生が変わった
私は中学一年生の時、起立性調節障害という病気にかかりました。
症状としては、病的に朝が起きる事ができなかったり、頭痛、めまい、吐き気、動悸に失神。どれも命には関わらないものですが、起きていると症状が辛いので極力寝るようにしました。しかし、周囲からすると、”ただ寝ているだけ”としか見られないので、理解されないことも多く、不登校になった時期もありました。
高校は病気と付き合いながら通える定時制の学校を選びました。その学校では海洋エコツーリズムや声優基礎など、他の学校と比べるとかなり幅広い分野の授業を受けられる様になっており、そこで受けた「防災学」の授業が私の人生を変えることとなります。
病気のこともあり、生きる意味などについてよく悩んでいた私にとって、より多くの人の命を救うための方法を模索する防災学は「生きたい!」という想いに溢れている様に思えました。すごくポジティブな学問に感じたのです(笑
それ以来、防災にのめり込み、全国の被災地を訪問し、現地の方々と復興について語り合ったり、150人以上の専門家に話を聞いたりしました。また、国外の災害についても勉強したいと考え、4カ国の大使館を訪問しました。高校2年生の時には防災士の資格も取得するなど、気が付くと、中学時代からは想像がつかないぐらいアクティブになっていました。
▲津波の被害にあった福島県浪江町を訪問
災害時に弱い立場の人々が取り残されない社会を創りたい
活動をする中で、災害時に迅速な避難が難しい人々のことがあまり想定されていない様に感じました。そこで、防災対策を積極的に取り組んでいる自治体の防災課の方にお話を伺いに行くと、災害時要配慮者の定義から漏れている人々の存在を知りました。
災害時要配慮者とは、災害発生時などにひとりで安全の確保や避難が難しい人々のことで、定義は自治体によって異なります。高齢者、障がい者、乳幼児、妊産婦、外国人をさす場合が多く、精神疾患や、自宅療養している病人、また足腰の悪いホームレスなど、支援が必要な人々が対象になっていないケースもあるのです。
数年前まで病気で苦しんでいた私にとっては他人事とは思えませんでした。そこで区議会議員や都議会議員、NPOの方々と協議したり、意見を伝える活動も行いました。
▲区の議員さんと政策について議論している様子
代表村上さんの防災への想いに心を打たれてスペクティに入社
様々な活動を通して、ただ国や行政などに訴える以外に何かできないか考えるようになりました。そんな時、スペクティのSales & Marketing統括の加藤さんとご縁があり、インターンにお誘いいただきました。
”企業”という視点から学べるチャンスだと思いスペクティにジョインしました。「『危機』を可視化する」というミッションや事業内容にも惹かれましたが、最終的な決め手となったのは代表である村上さんの創業に関するお話です。
東日本大震災でのボランティア経験を通じてSNS情報の有用性を感じ「この情報を収集・分析することで、正確な情報を必要な人に届けられないか」という想いから起業に至ったお話を聞いて、村上さんの防災に対する熱い思いをひしひしと感じました。
「この会社で働きたい!」と強く思い、入社を決意しました。
民間企業・スタートアップの最新の取り組みを知れる環境
現在はマーケティングのお仕事をさせていただいています。防災という分野に、どの様な民間企業が関わっているのか、人工知能(AI)などの最新技術で防災に挑むスペクティがどの様なことに取り組んでいくのかなどを知ることができ、毎日とても充実しています。
自分の志の実現のためにも、インターンのお仕事を全力で頑張って行きます!