Space Industries and Resources & Energy - Showcase - DENTSU INC.
This page contains selected articles reproduced from Web Dentsu-ho, a Japanese-language advertising industry news site.
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みなさん、こんにちは。スペースデータ採用担当です。
スペースデータで一緒に働くメンバーが、どんな経験を持ち、日々どのような仕事に取り組んでいるのか、その一端をお伝えするために、社員インタビューや対談インタビューをお届けしています。
今回は、執行役員として、マーケティング戦略や異業種連携を担当している片山俊大さんへのインタビューです。
これまでさまざまなプロジェクトに参画し、エンタメからインフラ、国家戦略まで、幅広い事業を精力的にこなす仕事への姿勢には、若き頃から世の中を観察し対峙するなかで築き上げた、自身の奥深いルーツがある。
幅広い知見と多くの経験を経て、現在宇宙ビジネスとその先を見据えている片山さんに、貴重なお話を伺いました。
【プロフィール】
執行役員CMO
片山 俊大(かたやま としひろ)さん
2002年、株式会社電通に入社。クリエイティブ、メディア、コンテンツ等、幅広い領域のプロジェクトに従事し、日本政府・地方公共団体のパブリック戦略担当を歴任。日本と産油国との宇宙・資源外交に携わったことをきっかけに、宇宙関連事業開発に従事。2018年一般社団法人Space Port Japanを共同創業。2024年より、クリーク・アンド・リバー社にて新規事業開発等に従事。2021年には『超速でわかる!宇宙ビジネス』(すばる舎)を出版。
── 本日はよろしくお願いいたします。まず、片山さんのこれまでのキャリアを教えていただけますか。
よろしくお願いいたします。
私は大学院修了後に電通に入社し、最近まで約20年間働いていました。電通は、広告会社という枠を大きく超えて、とにかく幅広いことを手掛けている会社なのですが、その中においても特に、私はきわめて幅広い領域をカバーしてきました(笑)。
メディア、クリエイティブ、プロモーション、ストラテジー、営業、新規事業開発、M&A仲介、国家戦略etc、すべてをひとつの会社で経験しました。
どれを取っても一生かけるような仕事を、私は意図的にキャリアを横に拡張してきました。この会社じゃなかったら、おそらくこんなに長く勤めることはなかったと思います。
転職する以上に多くのプロジェクトに関わることができたので、その経験を積み重ねていたら、20年以上もかかっちゃって(笑)。
2024年3月退社をしたのですが、その後は他の会社で新規事業開発に携わっています。
2018年には、山崎直子さんが代表を務めるスペースポートジャパンという団体を一緒に創業して、スペースポート(宇宙港)の実現のための活動を並行して行っています。
そして今年の9月にスペースデータの執行役員に就任したという流れです。
── 電通ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか。
最初は某大手ビール・飲料メーカーのプロモーション活動全般を3年間担当していました。
あの手この手で売り上げを上げる仕組みを作る仕事で、消費者向けのキャンペーン・イベント・流通対策等に従事していました。
当時は、自分の生活のすべてをそのメーカーさんに捧げる日々でして(笑)、それはまぁ忙しくシビアな世界でもあったりで、たくさんの経験を積みました。
その後は数年間メディアマーケティングに従事していました。
様々なクライアントの広告予算を、テレビや雑誌、インターネット、キャンペーンなど、統計的手法を駆使して、各種メディアに最適配分する仕事です。
この仕事をやっているなかで、世の中が大きく変わってきました。
いわゆるインターネットメディアの影響が大きくなってきたのですが、だからといって、安易に”マスからインターネットへ”みたいな、そんな単純なものではないと私は思っていて。今後はコンテンツと広告の融合が進んで、企業のメッセージと人々の求めるエンターテイメントが一体化する時代になっていくと思ったんです。
これまでメディアが媒介してきたコンテンツと企業広告は、垣根を越えて融合していくであろう、という私のビジョンが固まってきたんですよね。
コンテンツと広告(企業)、そしてエンタメ、そこをシームレスにくっつける──、
そういう時代を見据えて、その領域のプロになっていこうと。
映画のタイアップなども多く手掛けました。邦画やハリウッド映画と企業ブランディングおよびプロモーションが融合していくケースって結構あるんです。
商品が映画に出てくるだけではなくて、共同でキャンペーンをやったりとか、その延長で、例えば映画と人気アパレルがコラボしてファッションショーをするとか。
そいった潮流に注目して、ガールズアワードという巨大ファッションショー&音楽イベントの立ち上げに深く携わったりもしました。
このようにして、エンタメ・コンテンツからひとつのムーブメントを作って、それをさまざまな企業ブランディングと融合させていきました。
その後は、某大手化粧品メーカーの営業として、3年ほどクリエーティブ・番組企画プロデュース・経営戦略等に携わりました。”美とは何か?”、”この可愛さをどうやって伝えるのか?”などの課題に、毎日朝から晩まで向き合っていました。以前とはまったくジャンルが違う業界だったので、ここでもまた色々な経験を積みましたね。
── 先ほど、この会社でなかったらこんなに長く勤めてなかったと仰ってましたが、なぜそう思われたんですか。
私は、一生を通して続けられる好きなことはない、と思っていて、今後も見つかることはないと思っているんです。
「それは孔子の”知好楽”だよ」と先輩に言われたことがあり、「何事も、知っているだけの人よりも好きである人の方が強く、好きだけの人より楽しむ人の方が強い」という意味のようです。
私は昔から、次々と”楽しいこと”を見つけて一気にハマって、結局は飽きてしまう。どんなに楽しくても、ある程度わかってきたら、もう新しい景色を見に行きたくなるんです。私のその姿勢を指して、その先輩は「知好楽」とおしゃったようです(笑)。
電通にいると、さまざまな業界のトッププレイヤーと高度な仕事をする機会も多かったのですが、私は、ある程度のところまでいくと、どうしても新しい世界を求めてしまうのですね。それは好きなことがもうそこにはないとわかってしまうので。そういった私の志向性に対して、電通をうまく活用すると、驚くほど幅広い仕事に携わることができたのです。
私、そもそも人生に目的は無いと感じているんですよ(笑)。人生って辛いことの方が多いので、あらゆる辛いことも目を見開いて向き合って、その中に楽しみを見つけ出そう、という思いが根本的にあるんです。
── そうした考え方に行き着くまでには、どんな経緯があったのですか。
「世の中には無数の生命体があるなかで、なんで人間だけビジョンを持つんだろう」と、昔から不思議に感じていました。
幼少の頃から、先生や大人の説明を聞いてもスンナリ受け入れることができず、いつもいつも根本的な問いの方に意識が向かってしまう癖がありました。
そして19歳の頃、論理の限界を示したゲーデルの「不完全性定理」、観測の限界を示したハイゼンベルグの「不確定性原理」、理想社会の不可能性を示したアローの「不可能性定理」、言語と知性の限界を示したウィトゲンシュタインの「言語学」、客観の存在を否定しちゃったフッサールの「現象学」あたりまで行き着いちゃいまして。ぶっちゃけ完全には理解できませんでしたが、なんとなく大体の結論は分かったつもりになりました(笑)
人類が到達したいろんなパラドクスに触れることで、結局ものごとを突き詰めて考えても答えはない、ということを自分なりに理解したんです。それに気づいてしまったら、根源的な問いに対する興味が一気に消えてしまって、あとは余生を楽しもう、というスタンスに切り替わりました。
── 19歳のときに、なぜ余生と思ったのでしょうか。
人間なので、自分の寿命は誰しもわからないもの。
10代の頃って寿命のことを考えない人が多いと思いますが、私はしょっちゅう考えてしまっていたんですよね(笑)。
いつ死ぬかわからないから、余生の中に楽しみを見つけ続けて、根源的なことを考えずに生きてゆくしかない、と。そうすると、物事に飽きても必ず次の世界から導きがあるので、そしたらあるがままに次のステージに移動していく、といった感じですかね。
── たくさんの責任ある仕事を任されてきたと思うのですが、そうした考えのなかで、やりがいというものは感じていたのでしょうか。
もちろん仕事のやりがいは感じています。逆にやりがいを感じていないと生きていけないとも思っているので。
”メタ認知”という言葉がありますが、私は、自分のことを自虐的に”メタ病”って言っているんですよ。いろんな事象に対して、外側からの引いた視点で見てしまう癖が止まらない(笑)
その癖から脱却するために、現実世界に自分を無理やり置いているんです。毎日忙しくて、考えることもたくさんあって、そんな大変な現場に自分を置くことで、現実に麻痺させてみる。
人間って溺れそうな状況になると、「自分はなぜ生きているんだろうか?」なんて悠長なことを考えてる余裕はないですよね。なので私は、溺れるギリギリのところに身を置くことで、自らのハングリー精神を呼び起こすようにしているのです。
── その俯瞰的な視点というのは、どのようにして芽生えたのですか。
きっかけというのは逆になくて、私は幼少の頃から家族や人、育った環境にとても恵まれてるんです。逆にそのトレードオフとして、私はハングリー精神を持ちづらいという問題を抱え続けています。世の中の人たちがどうして、目標とか夢とか地位とか名誉とかを追い求めるのかがずっとわからなくて。
その行き着く先が、19歳の“余生を楽しむ”だったのです。
もう深いことを考え過ぎないように、ハングリーにならざるを得ない環境に自分を追い込むことにしたのです。
それが電通での仕事だったわけですが、人生の半分の時間をその状態でやってきてしまった。
自分を演じているつもりでも、時間の経過とともに演じてる自分が本当っぽくなってきて。
いわゆる自分は”舞台俳優”と同じような感覚かもしれません。そしてついに、素の自分と舞台上の自分、どっちが本物か、自分でもわからなくなってなってしまいました(笑)。
── 今の片山さんにはそんな奥深いものがあったのですね。でも周りの人たちからすれば、柔軟に対応していると見られないですか。
私のなかで面白いなと思うことがあって。
社会が変革の時代、激動の時代になって今までの常識が通用しなくなると、実はメタ認知が多いに活用できるのです。
パラダイムシフトの時代は、一歩引いた視点を持って常識を越えることが効果的になってくる。
だからといって、あまりにも”メタすぎる”(外れすぎる)と、大体うまくいかないのですよ。例えばレールの上を走っているときに、レールごと壊してしまうのではなく、別のレールを敷く方が効率的。世の中って、”外れ具合”が大事なんだと思います。
昔はしょっちゅう、突拍子もないことを提案して怒られていましたが、経験を積むにつれて、状況に応じた”ちょうど良い外し方”が分かってきました。
── その経験を、さらにさまざまなキャリアのなかで積み上げていらしたんですね。
その後会社では、中央省庁や総理官邸など、いわゆる日本のパブリック戦略に携わるような仕事をしていました。実はこの職務が、一番長かったんです。
それまでは先ほど話したエンターテイメントとコンテンツと企業を繋げることを主にやってきたのですが、その集大成がパブリック戦略になると考えております。
なので、コンテンツやエンターテイメントと国家戦略が融合していく、ということを私は意識的に行ってきたつもりです。
再生可能エネルギー、石油、ガス、原子力、水素、電気などのエネルギー戦略。
新幹線やダムや発電所、郵便事業という、インフラストラクチャーを海外に展開していく戦略。
日本の地方経済を自立的に発展させるための戦略。観光戦略。安全保障戦略。
そういった様々な国家戦略を、エンターテイメントやコンテンツと融合させることによって、世の中を変えていく。そういったことに取り組んでいました。
そんな中で出会ったのが、”宇宙”だったんですよね。
── なるほど、ここで初めて片山さんの人生は宇宙に繋がるのですね。具体的にはどのような仕事になるのでしょうか。
中東にある日本のエネルギー権益の確保を目的とし、宇宙産業とエネルギー産業を結びつけて、様々なソリューションを紹介する仕事です。
2014年〜2019年にかけて、中東で、再生可能エネルギーや石油の展示会・国際会議を通じて、宇宙とエネルギー産業の新しいビジョンとソリューションを提示することで、日本の資源エネルギー確保に貢献するものです。黎明期の宇宙スタートアップの代表などの多くの宇宙関係者と一緒に、ありとあらゆる宇宙のユースケースを考案しました。
人類の歴史は、土地と資源・エネルギーの獲得競争とも言えます。最近は、半導体や情報産業、そして宇宙へとその領域を拡張していますが、それが巡り巡って、宇宙と資源エネルギー産業を結び付けることは、根源的な価値を創造しているという実感とともに、非常にやりがいのある仕事でした。
宇宙開発というのは、もともと軍事も含めた安全保障と国威発揚の手段としてスタートししました。1950年代1960年代の宇宙開発競争は、アメリカとソ連が、自由主義・資本主義と共産主義のどっちが優れているかを、”宇宙を使ってアピールすること”が最大の目的だったのです。
かの有名なアポロ計画(アメリカNASAによる人類初の有人宇宙計画)も、月に行くことで、米国の優位性をPRすることが大きな目的でした。アポロ計画では、黎明期のテレビというメディアを通じて、月面着陸の様子を星条旗とともに全世界に中継する、様々なメディアを通じてスポンサーの商品とともに宇宙飛行士をスターにする——、これは全て、宇宙事業と国家ブランディングと企業プロモーションが一元化された事例とも言えるでしょう。冷戦下の国家ブランディングだからこそ莫大な予算がつき、逆に冷戦が収束するにつれ予算が削減され、アポロは終焉を迎えたのです。(アポロ計画は当時合計約250億ドル)
最初は先手でソ連が宇宙飛行を成功、次はアメリカが月面着陸に成功して世界中が熱狂。
そうすることでアメリカが優位に立って役割が減ったため、予算が削減。この後、人類は50年以上月に降り立っていません。なぜならば、アポロ以降の月面は広告効果が低く、コスパが悪いからです。
このように、黎明期の宇宙産業は、国家レベルの広告合戦と捉えることができるのです。
そう、意外なことに、宇宙開発は広告効果が大きく問われる業界、つまり私が経験してきたメディアプランニングの知見が生きてくる業界なのです。つまり、(広義の)広告やマーケティング視点を持つと、宇宙産業にはお金が集まりやすい傾向にあると思います。
私もこれまでずっと広告全般の仕事をしてきて、最終的に行き着いたのが宇宙だというのは、ある意味必然的だったのかなと。元々は宇宙好きでも何でもなかったけれど、もしかしてこれは私の仕事なのかなと(笑)。
── なるほど。宇宙事業をそのような視点でみたことがなかったので驚きました。
そして、今後の宇宙事業の重要ポイントの一つとして挙げられるのが、資源開発です。
例えば、レアメタルを宇宙で獲得したり、月面の氷から水素と酸素を取り出したり、地球に存在しない希少資源を別の天体から獲得したり。米国を中心とした恒久的な月面開発「アルテミス計画」にも、そういった目的が含まれています。
詳しくは、私の著書『超速で分かる!宇宙ビジネス』を読んでみてください(笑)。
また『中田敦彦のYouTube大学』の宇宙ビジネス編で、私の本を特集してもらっているのでそれも併せてどうぞ。
── 別の観点における、宇宙ビジネスのハブが、スペースポートジャパンなんですね。
そうですね。スペースポートジャパンは、いわゆる”宇宙と地球をつなぐ地球の拠点”として重要な役割を果たしています。
実は私、仕事では広告をメインにやりながらも、街づくりにもすごく興味があって。なので、不動産開発事業も手掛けています。「宇宙ビジネス開発ができる不動産屋」といった感じでしょうか(笑)。
宇宙産業と資源エネルギー、そして地球上の土地── 、人間にとって最もプリミティブなところを全部つなげて、これからの新しい価値体系を作っていく。
いつの間にかそういう立ち位置にいるんです。こういったつなぎ役も悪くはないなと(笑)。
── だからこそ、ご自身のやってきたことも含め、全ての産業が宇宙に繋がっていくのですね。
宇宙というと、遥か彼方に感じる方も多いかもしれませんが、実は宇宙と地球の境界線は地上100kmなので、横にすると、東京から伊豆ぐらいの距離なんですよね。
だから、東京からは大阪よりも宇宙のほうが近いし、海外よりもはるかに宇宙のほうが近いんです。なんなら我々がいるここも宇宙空間のひとつですよね。
実はありとあらゆる産業が既に宇宙と繋がってるし、宇宙と地球を区別することの方が、むしろ不自然なのかもしれません。
今って例えば仕事で海外に行くのは普通だし、サプライチェーンも国境越えるじゃないですか。それをグローバル社会とか言いますけど、グローバルビジネスとはもう当たり前すぎて言わないわけです。それと同様、そのうち「宇宙ビジネス」という言葉も当たり前すぎて無くなっていくと予想しています。
今私たちは大きな時代の変化にいると思っていて、
20世紀は「グローバル時代」だったけど、21世紀は、宇宙と地球すら区別しない「ユニバーサル時代」になると確信しています。
これ200年後ぐらいに教科書に書いてあったとしたら、私のこと思い出してくださいね(笑)。
── 今年2024年からは、ここスペースデータでも執行役員としてご活躍されていますよね。
宇宙そのものを創ってプラットフォーム化するのが、スペースデータだと思っています。
スペースデータは、地球も宇宙も仮想空間にデジタルツインとして再現し、そこで様々なシミュレーションを行い、さらにはOS(オペレーティングシステム)を通じて、誰でも宇宙開発に参入でき、誰でも宇宙技術を使える世界を創る。
このデジタルツインのプラットフォームは、ありとあらゆる産業の基盤になり得るものだと思います。
── そのように思われるのは、時代の背景もあるとか。
モノが少なかった昔の時代は、とりあえずモノ作りをすれば何でも売れてきたわけです。
かつての高度経済成長期は、食料保存のために冷蔵庫を作れば売れるし、移動手段のために自動車を作れば売れる。企業側が作りたいものを作って売るという”プロダクトアウト”でよかったんです。
でも今は、作れば売れるという時代は終わってしまったんですね。
その後の時代は、お客さんのニーズに応えてモノを作るという、”マーケットイン”の重要性が叫ばれるようになりました。じゃあ現在、”マーケットイン”で十分なのかと言うと、もっと複雑で、マーケットの中だけで完結することも難しくなってきているんですよね。マーケットだけでなく、地球環境から社会全体、私たちが属するコミュニティなど、様々な”エコシステム”を意識する必要性に迫られています。今後、企業は様々なエコシステムから逆算して、プロダクトやサービスを開発しなくてはいけません。それを、私は、”エコシステムイン”と呼んでいます。
このようにして、”プロダクトアウト”から”マーケットイン”、さらには”エコシステムイン”の時代へと変化する中で、”エコシステム”の中で様々な実験やシミュレーションを行うニーズは大きく拡がると考えています。そして、そういったことを簡単かつ直感的に実現できるのが、デジタルツインなのです。
例えば、ここの森林伐採してダム作ったらどうなるか、あれ、失敗したね、生態系壊しちゃったね、とかダメないじゃないですか(笑)。
新しい物流の仕組みを開発してみたけど、全然誰も使わなかったね、とか、
宇宙でこういうステーションを作ったら、意外と酸素足りなくなっちゃったね、みたいな。そんな失敗は絶対にできないから、シミュレーションや計画立案に時間とコストをかける必要があります。
しかし、地球や宇宙を仮想空間に再現するデジタルツインがあれば、その中で様々な実験やシミュレーションが可能になる。結果として、デジタルツインはすべての産業のハブになり得ると思うのです。
── なるほど。たしかにデジタルツイン上で、さまざまな実験をすればいいのですね。
また、バーチャル空間だけでビジネスが成立するケースも数多くあるし、それをリアル空間に結びつける場合は、バーチャルとリアルの結節点として、ソフトウェアやOSが必要になる。このようにして、これから“エコシステムイン”の時代へと移行するにつれ、自ずとデジタルツインは、リアルとバーチャルを繋ぐ究極のプラットフォームになると考えています。
これまで私は、企業とコンテンツ、国家とエンタメ、宇宙空間と地球の不動産、石油……、さまざまな異質な要素を今まで繋いで価値を創ってきました。その経験を活かして、ありとあらゆる産業をこの「究極のプラットフォーム」へと繋いでいきたいと思います。
── 最後になりましたが、スペースデータで魅力を感じていることを教えてください。
近い未来の産業において、宇宙を含めてすべての融合が不可欠になってくる時代で、スペースデータのポテンシャルは極めて高いと思っています。
つまりスペースデータは、会社自体とプロダクトやサービス自体がコンテンツであり、エンターテイメントそのもの。
集まっているすべての人が、ありとあらゆる産業と連携していて、その取り組みそのものがコンテンツであり、ブランドになっていく。
アポロ計画がまさに、コンテンツとエンタメとブランディングの革命であったように。
私は、スペースデータというプラットフォームを通じて、全産業を宇宙に繋げ、最高にクリエイティブな産業革命を起こしていきたいと思います。
実はその革命の先を行く次なるステージも、すでに私のなかでは秘めています。
それをお話できる日もぜひ楽しみにしていてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回のインタビューもぜひ楽しみにお待ちください。
スペースデータでは、様々なポジションで募集を行っております。詳細は求人票にてご確認ください。皆様からのご応募を心よりお待ちしております。