こんにちは!ソーラーパートナーズ広報担当の坂下智子です。
今回の社員インタビュー記事は、中嶋紀美子(なかじま きみこ)さんです。みんな「きみさん」と呼んでいて、きみさんは主にそらっぱの経理や総務をご担当されています。ソーラーパートナーズのみんながスムーズに仕事が出来るように環境を整える業務を担当されている事が多いのですが、きみさんご自身も自己研鑽や強味を発揮して活躍されています。
-最初にきみさんの学生時代について教えて下さい。
学生時代は商業科で、思い返すと充実した日々だったなと思います。学科は商業だけで、主に経理に特化した内容を学びましたが、学年が進むにつれて少し細分化され、より専門性を持った内容を学びました。覚えているのは選択科目の一つでオーラルコミュニケーション(英語の授業)です。英語に触れる機会は学生時代からあったものの実際に話す機会がなかなか得られず、残念に思ってます。(当時の経験のおかげでしょうか、海外旅行のフットワークがめちゃめちゃ軽いので経験が生きてますね!)
学校での部活動は、1年間だけバトン部に所属しました。バトン部の練習風景を見てかっこよさに憧れて入部しましたが、実際に経験出来たこと、練習に参加出来たことに満足できてしまったので退部しました笑(切替が早い!)アルバイトもしてましたよ。定期テストなどで早く帰れた日は、友達とカラオケに行ったりして楽しんだり、振り返ると本当に学生らしい学生生活だったと思います。
-なんだか充実した学生生活でしたね、学生時代から社会勉強が出来たのはその後の社会人生活に活きているのでは?ご卒業後はいかがですか?
新卒での就職先は、自動車部品の卸業者でした。簿記の知識を活かして総務部門(経理、庶務、人事、労務が一緒になった部門)で経理の範囲を担当していましたが、概ね7年半程で転職する事にしました。というのも、当時の職場の雰囲気と自分の意識とに差が開いたように感じ、このままでは自己成長出来ないなと感じたので事務のステップアップを目指すことに決めたんです。(かっこいい!)
再就職するに当たっては、じっくり職場を選びたいと思ったことと、自分を見つめ直すための時間が欲しいと思ったので1年間程休んでいます。その期間はじっくり自分自身と向き合う事ができました。気分転換として短期のアルバイトに行ったこともあったし、自己研鑽の為簿記の勉強もしていました。もともと興味があった着付け教室にも通って、より着物に興味を持ちました。着付け教室はもともと興味があったので、このタイミングじゃないと行けない!と思って母を誘って一緒に通ったんです。こんな時間を取りたいという気持ちを家族は尊重してくれてありがたかったです。
その後は、簿記のスキルを活かして税理士事務所に再就職し、毎月のように決算書を作成するという責任ある仕事を担当しました。大量の決算書を作った経験や学びは、今のそらっぱの業務にも活きています。働きながらも自分の好きなことを磨くための時間は取ろうと思っていたので、着付け教室には通い続けていました。
通い続けるうちに、着物を「着る」方ではなく「作る」方に興味が湧いてしまい、和裁の道へ進もうと決断し約5年勤務した税理士事務所を退職します。(全く世界が違う業界に転職ですね、すごい!)和裁の世界は、和裁士を目指し見習いという形で修行をするところから始まるのですが、正社員ではなく出来高制(歩合制)で、報酬を頂く世界でした。見習いなので手が遅かったこともあり、肌襦袢1枚作るのに2日程かかって当時の報酬は2500円(時給換算でなんと約165円!)だったと記憶してます。
厳しい世界ですよね、修行あるのみでした。もともと興味があった和裁の世界を選んだというのが転職の一番の理由ではありましたが、当時今のようにリモートワークが主流ではない時代の中、和裁の仕事は自宅でも出来たので、私も自宅で和裁の仕事がしたいなと思ったのも理由の一つです。今は東京に出てきてしまいましたが、大阪の自宅が居心地がよく大好きだったんです笑(家が好きっていいですよね、私も同感です笑)厳しい世界とはいえ、好きな道を選んだので早く一人前になることを目指して頑張りましたが、最終的にはそらっぱに所属することにして東京に上京します。
-和裁の道は厳しい世界なのですね、知りませんでした。ソーラーパートナーズへはどんな流れを経て転職を決めたんですか?好きな道を捨ててまでの決断の理由が知りたいです。
そらっぱへは兄(代表のなかじさん)に誘われて参加することにしました。経理がいないからやらないか?と。ちょうど会社の規模も大きくしていきたいという時期だったと思います。実は2回そらっぱへ誘われていて、最初の誘いは断っていたんです。大阪を離れたくなかったので。ですがその翌年にもう一度声を掛けてもらい、東京に行く事にしました。
ちょうどその頃、和裁士としての今後を考え始めていたところで、好きな世界ではあるけれどこの先を考えると心配していた頃でもあり、同様の心配を兄(なかじさん)もしてくれて、そらっぱへ声を掛けてくれたんです。住み慣れた大阪を離れるのは、私にとって大きな大きな決断でした。
今年の春、大阪からいらしたご家族と浅草に行った時の一コマ
-確かに地元を離れるのは不安ですね。私も少なからず不安を抱えながら上京しました。きみさんから見たお兄さん(なかじさん)は、どんな方ですか?
昔から家で勉強しているところ見たことがないなぁ笑授業だけで間に合って問題無かった人だと思う。(なんだか世界が違いすぎて言葉になりません!笑)
私には兄が二人いますが(なかじさんともう1人上にお兄さんがいらっしゃいます)、私も含めみんなそれぞれ自立していたな~という印象。つまり好きな事をやって過ごしていたという事笑、自由でした。兄弟でテレビチャンネルの取り合いや、些細なことでケンカをすることもあったし、子どもらしいことも一通りしてますよ笑、ごく普通の兄弟だと思います。
-すごすぎて異次元のご兄弟かと思ってました!ちょっと安心笑ご兄弟で同じ職場というのは、お互いにやりづらさや苦労はありませんか?
兄も私もだと思いますが、縁故での勤務が周囲に気を使わせるかもしれないと心配している部分はありました。決め事は特になかったものの、様子を伺いながらお互いに自然とすみ分けが出来てきた感じです。
ミーティング等では兄が直属の上司にあたるため、気軽に意見を言えるというのが良いところでしょうか。あとみんなの声を代弁して無理目なリクエストが出来るとか?笑(あぁ、コーヒー買っていただいたりお昼ご飯一緒に行ってごちそうしていただいたこともありました。私たちじゃ絶対言えないリクエストをきみさんは上手く代弁してくださいます笑)とはいえ、仕事とそれ以外の線引きはしっかり持とうと心がけています。
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きみさんと私は入社時期が数か月差でほとんど同期、共に過ごす時間も長く、公私ともにコミュニケーションも取りますが、なかじさんもきみさんも自立していて、私たち以上に厳しく線引きをしてお仕事していらっしゃる印象です。
入社当時私は、ご兄弟やご家族が一緒にいる会社と伺い、世間の印象に引っ張られて不安に思う事もありましたが、お二人としばらくお仕事してみて全く印象が変わりました。潔く気持ちよくお仕事されているなと感じています。
次の回では、きみさん自身について伺います!
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