「夢中になれる仕事がしたい」そう思っていても、理想と現実のギャップを目の前に、本当にやりたい仕事はどこにあるのかと思い悩む人は多いのではないだろうか。しかし一方で、限られた時間と労力の中で、仕事に誇りを持ち、自分らしく働く人もいる。
今回お話を伺ったのは、プルデンシャル生命の営業社員であるライフプランナー(以下、LP)として働く、中西美貴さん。現在2人のお子さんを育てるママLPで、この春に3人目が誕生する予定だ。
中西さんは入社以来、常に高い営業成績を残し続け、仕事に誇りを持つLPのひとりでもある。結婚、出産、育児とライフステージが変化する中で、中西さんはなぜずっと「変わらずにいられる」のだろうか。そのカギは「長年続けてきた競技チアリーディング」と「家族」にあるようだ。社内外の多くの女性から「ロールモデル」と慕われる中西さんの素顔とは。
“命を燃やす”って、こういうこと。 大切なことはチアリーディングから学んだ
<ご本人提供>チアリーディングで活躍されていた頃の中西さん
「よろしくお願いします」と取材現場を訪れた中西さんを見て、「なにかスポーツをやっていたのだな」と分かった。臨月に入った大きなおなかを抱えてもなお、スッと伸びる背筋が印象的だった。
聞けば、高校時代から社会人までの14年間、チアリーディング(以下チア)をやっていたという。華やかなイメージもあるが、タンブリングと呼ばれるバック転や、スタンツ・ピラミッド・バスケットトスと呼ばれる複数人で行うダイナミックな演技などで観客を圧倒する。一瞬の油断が大けがにつながるため、選手間の信頼関係が要となる競技だ。
「高校に入学して、初めてチアのパフォーマンスを見た瞬間、『これだ!』と思いました。必死で猛練習を積んで、念願の日本一を経験し、大学も体育学部に進学。高校生の時に見た『日本一の景色』が忘れられず、社会人になってからもチアを続けました。全国大会で6連覇していた社会人チームに所属して、平日の夜と土日は練習に明け暮れていたんです。仕事もチアを優先させるために派遣社員を選び、コールセンターに勤めていました」。常にチアが生活の中心だった。
「 “命を燃やす”って、きっとこういうことだと思います。寝ても覚めてもチアのことを考えていた。14年間、チアに命をかけていました」
青春のすべてをかけたチアの経験が「今の仕事の根底になっている」という中西さん。それは「目標を決めてコミットする」、「オンリーワンになるために何ができるか考え抜く」ということ。
「とにかく全国大会に出場して、1位を獲りたかったんです。私は4人姉妹の末っ子として育ったので、幼少期から姉3人の背中を追いかけていました。これが、『私にしかできないことをしたい。1番になりたい』という気持ちの原動力になっていたと思います。だからこそ、その目標に向かって必死に努力しました。これはLPになった今も変わらないし、『目標を決めてコミットする』という姿勢はチアから学んだことです」
さらに、「チーム競技は、『努力が報われ、仲間で挑戦できる』のが魅力です。その中で私はオンリーワンになりたかった。それは、誰よりも目立ちたいということではありません。
チアは16人(※1)で1チームで、それぞれトップ、ベース(※2)など役割があります。誰が欠けても演技ができないし、調子の悪いメンバーがいたら、他のメンバーがそこに気付きサポートする。私はベースという一番下で支える役割だったので、その役割におけるオンリーワンになりたいと思って日々練習を積んでいました。チアは引退しましたが、今はLPとしてオンリーワンになりたいと思っています」。
※1 中西さんが所属したチームは16名で1チーム。所属する協会により人数は異なる
※2 チアリーディングにおける、ピラミッドを組んだ時に上段に立つ人をトップ、下段で支える人をベースと呼ぶ
入社同期が、切磋琢磨する仲間になり、家族になった
社会人チア歴は7年。そして最後の年の全国大会に出場した直後、中西さんはプルデンシャルへの転職を決めている。
「チアはもう、『やり切った』と思えるだけやりました。じゃあこのチアに捧げていた熱をどこに向ければいいんだろう……と悩みましたが、やっぱり仕事かなと。知人がプルデンシャルの営業管理職を務めていて、どんな仕事なのかを尋ねてみたんです。そしたら、LPは『努力と結果がイコールになるような仕事だよ』と聞き、『チアと同じだな』と転職を決意しました」
入社式で、中西さんはのちにパートナーとなる男性に出会っている。100人ほどいた同期入社LPの一人で、中西さんの一目ぼれだったそうだ。
「私は東京、夫は大阪の採用で遠距離でした。でも、社内の掲示板に掲載される新人の営業成績の上位には二人で名前を連ねていましたね。初年度は彼が、2年目は私が上位となり、『彼に負けたくない!』という気持ちが原動力になっていたかもしれません。負けず嫌いな性格なので、性別に関係なく同じフィールド、条件で戦える環境が私にはピッタリでした」
幼いころから負けず嫌いだったという中西さん。チア時代にはそれが練習量に現れた。チアは演技が最初から決まっているため、本番はノーミスで演技をすることが求められる。難しい演技に挑んでも、ミスをしたらそこで終わってしまう。
「練習を10回するのか、100回するのかでは精度に大きな差がつくんです。私は“数から質が生まれる”ことを、チアを通じて知っていた。プルデンシャルに入ってからも、とにかく誰よりも商談のロールプレイングを繰り返していたはずです」と中西さんは当時を振り返る。
ここで「旦那さんとは、いいライバル関係だったのですね」と聞くと、「ライバルは自分です」と笑顔で答える中西さん。
「常に過去の自分を超えたいと思っています。比べるべきは他人ではなく、過去の自分。これはチアでも、プルデンシャルでも変わりません。彼は確かに一緒に切磋琢磨する仲間でしたが、『ライバル』とは思いません。彼は志が高くて、一緒にいるとポジティブになれる。そうして切磋琢磨する仲間になり、そして家族になりました」
“営業を受けるのが苦手”な自分だからこそできる、営業のかたち
中西さんの話を聞いていると、とても話しやすく、まるで昔からの知り合いだったかのような気分になる。素直にこれを伝えると「営業っぽくないってよく言われるんですよ」と笑顔で答えてくれた。
中西さんの仕事は保険営業だ。にもかかわらず、「実は私自身、営業を受けるのが苦手なんですよね(笑)」と話す。
「私は保険の話をするとき『営業されているな、と感じたらすぐに言ってください』とお伝えします。自分自身がそういう目先の数字だけを追いかけるような営業を受けたら嫌ですから。私はメンタルも決して強くない。だからこそ、最初から相手の方に気持ちよくお断りいただくための言葉をかけておくんです。でも、同時に『もっと話を聞きたいなとか、自分の将来のために役に立ちそうだと感じたら、もう一度お時間をください』と」
「ご紹介をいただくときもそうです。保険営業として紹介していただくのではなく、『私と気が合いそうな方はいますか?』とお聞きすると、お客さまの方から『この人とは話が合うと思うよ!』って紹介してくださるんです。ずっとこれで続けてきました」
決して相手にプレッシャーをかけない、それが中西さんの“営業らしくない営業”のスタイルなのだ。
<後編>では、仕事と子育ての両立やご家族の話、そして中西さんのマイルールを伺います!