今年1月よりプルデンシャル生命の社長を務める間原寛に、前職からのキャリア、入社するつもりのなかった生命保険会社に転職した理由を聞きました。
|間原寛:1995年に、デベロッパーよりプルデンシャル生命に転職。ライフプランナー、営業所長、営業本部長補佐、支社長、営業本部長を経て、1月より現職。|
―――プルデンシャル生命へは中途入社とのことですが、前職は何をされていたのですか?
新卒でデベロッパーに入社しました。理由は「大学のスキー部で親しかった先輩が入社したから」というくらいで、就職にあたって特段深い目的はありませんでした。当時の日本はバブル景気で、社会全体が浮かれていました。証券会社に行く同級生が多かったですが、私はいわゆる「地図に残る仕事」、「物が残る仕事」の方が良いと思い、デベロッパーを選びました。
国内外の不動産を抱き合わせてパッケージ化した小口化商品、今でいうREITや生命保険会社のオフィスビルなど、億単位のダイナミックな案件を担当して面白かったですね。
―――いつごろプルデンシャル生命と出会ったのですか?
出会いは1994年の夏、同僚の女性と喫茶店で涼んでいた時でした。その同僚に、「生保会社の賃貸契約決まったんだって?おめでとう」と言ったところ、嬉しそうに「その生保会社の保険にも加入したんですよ」と。それがプルデンシャルだったわけですが、私は「(お付き合いで保険に入るようなことをしていたら)キリがないよ」と諫めました。すると、「違いますよ。本当に入りたいと思ったから入ったんです。担当のKさんがとても素敵な人で」と、熱を込めて言うんです。そこで興味が湧いて、私もそのライフプランナーのKさんに会ってみることにしました。
当時私は、とある他社の生命保険に加入していました。でも自分としては、必要性を感じていない部分があって、「保険会社の担当に相談したのに思い通りにならなかった」とKさんに話しました。するとKさんは、次に会ったときには私がまさに欲しいと思っていた保険をオーダーメイドで提案してくれたのです。当時はパッケージ商品が当たり前だったのでびっくりしましたね。
―――転職のきっかけはどのようなものでしたか?
そのKさんは、「相続を専門に扱っている」と言いました。私の事業部でも、個人の相続対策に乗り出そうとしていた矢先でしたから、「うまく協業できるかも」と思って、支社長に会わせてもらうことにしました。
勉強会を通じた協業を提案するつもりで会いに行くと、「間原さん、あなたの人生を考えてみませんか?」と、まったく予期していなかった言葉をかけられました。スカウトです。
私は「ちょっと待ってくれ」と。当時の私は、転職をする気などありませんでしたし、生命保険には全く良いイメージを持っておらず、人の生死で勝負する博打のような商売だと思っていました。「ちまちまと、月1万円や2万円の保険を売るような保険屋になるつもりはないです」と返すと、「ふざけるな。保険屋をなめるな」と逆に怒られてしまいました。
その迫力に押されたのと、話を聞かない限りこちらの話も聞いてもらえそうにないと思い、渋々その支社長による会社説明を聞くことにしました。それがもう、神がかりでした。
生命保険とはお付き合いで加入するようなものではなく、その人の人生に必要な保障を提案し、しっかりとご理解いただき、経済的な心の平和を提供するものであることを初めて知りました。「職業の選択というより、生き方の選択である」、「人生をかけるに値する仕事」という言葉。そして「自分の評価を決めるのは上司ではなく、お客さまだ」と聞いて、完全に落ちました。
前職では何億円という案件を取り扱い、友人や同僚の中には当時既に起業して成功している人もいました。単に“お金を稼ぐ”ということであれば他にも色々な選択肢があったでしょう。ただ、それ以上に、「生命保険を通じ、社会に貢献する」という“使命感”や「日本の生命保険事業の在り方に変革をもたらす」というビジョンに心が動いたのです。
一方で、冷静に見ているところもありました。
日本の生命保険事業に変革をもたらすとするならば、私たちのターゲットは1億人を超える全国民だと思っていました。それに対して、営業社員の最高峰であるエグゼクティブ・ライフプランナーの当時の認定基準の一つが「600件の契約を保有すること」という話を聞いたとき、「たった600?」と思ってしまったんです。もちろん、入社した後でそれがいかに大変なことかということはわかりましたが、ただ客観的に数字として考えると、「一人で生涯に600人くらいしか担当できないのか。それでは業界を変えられないじゃないか」と感じたのです。
しかし、自分で仲間を増やしていく管理職コースがあることを知りました。「そうか、仲間と業界を変えていけば良いのだ」と思い、入社式の決意表明で「営業管理職を目指したい」と宣言しました。当社に入社する人たちは、まずはエグゼクティブ・ライフプランナーを目指しますから、管理職を目指すと言う人はとても珍しかったはずです。
―――間原さんは、のちに社長として数千人の仲間を率いることになります。後編では、「社会の中でプルデンシャル生命が果たすべき役割」について社員に贈ったメッセージをご紹介します。
(後編 「命の使い方を意識させてくれる会社 いま、社員へ伝えたいこと」※後日公開)