PGはどんな会社なのか。社長と語り合ってみる。 | 会社紹介
中野:今日は社長&社員による対談ということで、僕が社員を代表して田内さんと語り尽くす機会を頂きました。改めてお時間をありがとうございます。田内:どうした。いつも生意気なのにかしこまって。中野:何...
https://www.wantedly.com/companies/project-lc2012/post_articles/320240
プロフィール
氏名:中野 健太
年齢:24歳
入社:2019年
所属:Planner/Analyst/Growth Hacker
小中高はバスケに熱を入れるごく平凡な少年でした。これといって大きな夢は持っていなかったし、自分の将来についてそこまで深く考えることは無かったと思います。
今でも変わらないんですけど、当時からノリの良い少年だったのは確かです。僕の出身は沖縄なんですけど、沖縄ってとにかく何もやることが無いんですよ。だから刺激に飢えていた部分があって、例えばゲームのマリオカートが出来れば、実車も運転できるだろうとか舐めた考えでぶつけそうになるとか。素行が良かったかどうかで言えば、決して良いとは言えないですね…(笑)
高校については学校に行かなかった時期があるんですよ。なぜかと言うと、それはもうグレまくって...ではなくガッキー(新垣結衣)にハマりすぎて、1ヵ月くらい家でガッキーのDVDを見てる時期があったんですよ。おかげで出席日数が足らなくなりました(笑)
でもテスト成績は良くて内申点は4.4とか。だから何とか指定校推薦で大学に行ければとか思ってたんですよ。そんな矢先に友達から「この名古屋の大学いいじゃん!一緒に行こうよ」って誘われて、何となく受験したんですよ。そうしたら推薦枠が1つしかなくて、僕だけ受かっちゃって名古屋に1人で行く羽目になるっていう。
「琉球大学という選択肢もあったんじゃないの?」って言われるんですけど、正直なところ"沖縄から出たい一心"だったので選択肢としては無かったです。理由は簡単で沖縄って身内ネタしかウケないし、自分の思ってることを正直に言うと変な目で見られる風潮が強くて「ここで一生は過ごしたくない」って思っていたんですよ。
だから大学の条件は「沖縄以外」「同郷のよしみが少ない場所」の2点。正直、大学受験でそこまで人生が変わるとも思っていなかったし、それこそ「条件に当てはまる大学ならどこでもOK」みたいな軽い感覚でしたね。
大学生活の1年目は新鮮なことばかりでした。沖縄から出てきたのもありますけど、色んな情報や経験のないことにたくさん触れる1年間でしたね。それこそ人間1年生みたいな。例えば、電車一つとっても僕には新鮮だったんですよ。理由は簡単で沖縄には電車が走ってないから(笑)
大学の専攻は法学で、中でも民法の講義は特に好きでした。日本は本当に「知らなきゃ損する国」と気付かされたのも民法ですし、これを義務教育ではなく選択科目にしてる時点でおかしいとさえ思いました。
ここまで聞くとは真面目な大学生に聞こえますけど、実際は真逆でした。テスト日を除いて大学には10回も行ってないかもしれないですね(笑)友達と酒を飲んでる方が楽しかったし、講義じゃなくて自分で勉強した方が学びが多かったんですよね。
逆に人間関係の方は順調で、先輩後輩を問わずに仲が良かったです。みんな経験の無いことをノリでやるのが大好きで、おかげでよく大変な目に遭うこともしばしば。今思えば、他人からは頭がおかしい連中と思われていたと思います(笑)
そんな感じで大学2年の時にスカウトされてモデルの仕事を始めるんですよ。言っちゃ悪いんですけど、モデル事務所の先輩たちはポンコツ揃いで、事務所の中で僕が一番稼いでたんですよね。それこそ普通のサラリーマンの倍以上の稼ぎがあったし、何ならモデルで一生食っていけるとすら当時は思ってました。この辺までは絶好調なんですけど、ここから徐々に路頭に迷い始める感じになっていきます(笑)
というのは大学3年時、法学を通して日本の政治が腐りきっていることに気付くんですよ。具体的には「上が儲かる仕組みになっている」「国を動かす人間は自分の損得で動いている」とか沢山あるんですけど、ここに対して真面目に物申すと「左翼じゃん」の一言で片づけられる。バカは真面目な話ができないと実感したと同時に、事実と神話を一緒にしているバカばっかりだなと感じた瞬間でした。
ここを皮切りに居ても立っても居られなくなって、政治のインターンに参加するべく東京に行くことになるんですけど、大変な結末になっていきます(笑)
政治のインターンではどういう事をするのか補足しておくと、事務所に入って秘書というか、カバン持ちしたり、メモ取ったり、ポスターを貼るみたいな政治活動の手伝いをする感じです。で、ここまで説明しておいてアレですけど、実際には政治のインターンは無くなります(笑)
というのも僕が応募していた若い政治家が忙しくなるとかで、他をあたらないといけなくなったんですよ。でも他はおじいちゃん政治家しかいない。結局、インターン自体を断念。
東京でもモデルの仕事をしてたんですけど、某大手服屋さんのオーディション会場にいるモデル達を見て「俺がやるよりもこの人達がモデルをこなした方が良い」と悟ってモデルも辞める始末。大学も留年する羽目になって半期休学を申請。
で、ここから1年ぐらい貯金は無いし、友達はいないし、やりたい事も無い。クソみたいな東京生活が始まるわけです。さすがに稼ぎが無いとキツイので、バーテンダーのバイトにノリで応募して働くことになるんですけど、ここから更に暗黒時代に突入していきます。
バーテンダーの仕事は夜の7時に起床、夜の10時に出勤、朝8時まで酒を飲み倒す業務。記憶のある日は普通に家に帰り、記憶のない日は知らない場所で目が覚めたり。で、また家に帰って寝て、また起きて出勤、また酒を飲むみたいな。おかげで酒嫌いになりました(笑)
そんな感じで路頭に迷う東京生活を送りつつ時が経ち、大学4年時には就活生が集うルームシェアの家に住んで、SEO会社のインターンに参加していました。でも正直クソつまらなくて進路に迷ってたんですよ。そんな時にルームシェアで唯一気の合う友達がPGのインターンに参加してて、PGを勧められたんですよ。これをキッカケにPGのインターンに参加していくことになります。
インターン参加の動機は、先ほども言ったとおり友達の紹介でした。友達は「めちゃめちゃ稼いでるし、普通の会社と雰囲気が違う」と聞いてて、「何それ!俺にも紹介して!」みたいな感じでノリで応募しました(笑)
で、いざインターンの面談に臨み、社長からは「OK」を貰えたんですけど、副社長は「OUT」だったんですよ。でも食い下がらずに交渉したら「1ヵ月間で成果を残せたらOK」という形で、ギリギリ受け入れてもらえたんですよ。正直、不安もありましたけど全力でやるのみでした。
そんな感じで実際にインターンが始まるんですけど、まず好印象だったのが上下関係なく議論する文化ですね。これまでは意見が衝突してもサラッと流されて議論に発展する機会があまり無かったんですけど、PGでは真剣にお互いの意見を議論する文化が定着しているので楽しかったです。
インターンの業務としてはデータ解析、ディレクションを任されました。ITから無縁の人生だったので知らない事ばかりで、周りの人に追いつくために勉強の日々でしたね。言われたことは一旦全部やってみて、とにかく調べまくるというのは意識していたと思います。
あとは敬語が会話においても、文章においても上手く使えなかったので苦労しました。最初の頃に作ったレポートとかは本当にボロクソに言われてましたよ(笑)とはいえ他の選択肢を全て捨ててインターンに臨んでいたので、何事も本気でやり切るつもりでした。それこそ出来るようになるまで眠る時間も友達と遊ぶ時間もすべて捨てると決心していました。
少しずつ知識を蓄えてつつ、ちょっと慣れた頃には“効率”とかも考えられるようになりました。あとPGは社長との距離がとてつもなく近い会社なので、田内さんの話から学ぶ機会も多かったと思います。大体はお酒の席で話を聞くんですけど、話に感銘するのと同時に「この社長は毎日朝まで酒飲んですごい体力だな」と思ってました(笑)
まあ、こんな感じにインターン時代は学びに対して猪突猛進でした。最終的に「1ヵ月間で成果を残せたらOK」という条件もクリア、後に正社員としてPGに参画していきます。
PG入社の理由はすごく単純で「真面目な社会人をやってみたい」と思うようになったからです。それと他に選択肢も無かったので、そのままPGに入社したって感じで結構あっさりしてます。実際に入社して感じたことについては良い印象、悪い印象のそれぞれがありました。
まず良い印象..。というか衝撃的だったことなんですけど、広告代理店業務を担当していたヤバイ先輩がいたんですよ。何がヤバイって汚い見た目、服装も全く気にしていない、髪もボサッとしてる。思っていたサラリーマン像と全然違うみたいな。でも業務に関しては超ガチガチでぶつかってる。「この人、ヤベーな」の反面、「この本気の仕事人感はかっこいいな」っていう部分で好印象を受けましたね。
悪い印象だったのは、クライアントMTG前日に「レポートの作り直し」を食らって、絶望的な顔で働いてる社員たちの顔です(笑)まあ簡潔に言うと、当時はレポートの社長レビューが新人にとって鬼門で大抵は不合格だったんですよ。それこそ担当の上司も「頼む!」って顔で社長レビューに臨むんですけど、結局「やり直し」になってみんな死んだ顔になるみたいな(笑)まあ、この繰り返しで論理的思考力と提案力がかなり鍛えられたと後々気付かされるんですけどね。
社長いわく、合格点のレポートを出せる新人は「圧倒的な地頭」タイプ、もしくは「気合と覚悟で壁を乗り越えていく」タイプかのどちらか。簡単に言えば天才タイプか努力家タイプかみたいなことで、僕は完全に後者のタイプだったんですけど、やっぱり最後は形になりました。それは素直に嬉しかったです。
これで一安心かと思いきや、一難去ってまた一難。正社員になったことで、これまでの業務がさらに本格化して業務範囲も広がるわ、担当案件は増えるわ、調べることは増えるわ、インターン当初の“やったことない事だらけ状態”に逆戻りになりました(笑)
正直、体力を使う日々で辛い局面も多々ありましたけど、早々に様々なことにチャレンジ出来たことは大きかったと思います。「急成長」とか「若手のうちから活躍」とかって言うのは簡単だけど実際は大変で、文字通り「覚悟」が必要になるんですよ。ただ折れずにやり抜けば同年代に比べて明らかに力の差が出るし、その努力は仕事だけじゃなく、人生観にも結構影響するなって思いましたね。
改めて振返ってみると、無能として入社してから早2年。階級は2つ昇格、月給は11万円UP、部下は2人。こうして自分の努力が実って形に現れてるのはめっちゃ気持ち良いですね。もちろん今の状況に甘んじず、これからもドンドン上は狙っていくつもりですけど。
与えられた仕事は一言で説明するなら「Webコンサルティング」です。でも実情はデータを解析して、課題を見つけて、どのように改善するかを考え、アウトプットする。スマートな響きに反して、実際はかなり泥臭い仕事だと思いました。
でも昇格などを含めて仕事で特別意識したことは無かったと思います。むしろ出来ないことが多すぎだったので、がむしゃらに勉強して戦闘力を高めることに集中しましたね。
それこそ初めのうちは、自分の提案した施策が採用されることに感動していました。で、自分の施策がクライアントのサイトに反映されている様にさらに感動みたいな。とはいえ、施策の全てが当たるわけじゃない。ABテストで負けた時はマジで悔しかったですね。負けを経験してからは、より考え尽くすようになったと思います。
そうやって実務を通して思考力が少しずつ付いてきた頃あたりから、様々な局面で周りとは別の案を出せるようになりましたね。あとは上司が保守派だったので、同じスタイルを取っても変化がないと思って自分はひたすら攻めるスタイルを取るようにしていました。
あとは仕事を通して習得した技としては、あえて反論して相手の思考回路を読み解くってことです。どういうことかというと、人って自分の意見を反論された時に、その見解に至った理由みたいな部分をめちゃくちゃ喋ってくれるじゃないですか。ここから学ぶことが多くて「そうっすね」で終わらせるくらいなら、「違うんじゃないですか?」って意図的に反論するようになりました。
もちろん自分の考えたベスト論をボコボコに反論されることもありましたけど、自分に何が足りないのかもここから学べたと思います。こうやって日々ぶつかって、思考力とか論理性が洗練されていく過程は楽しかったですね。
社内改革の時期は凄まじかったですね。色んなことが大幅に変化して、それが理由で管理職からも退職者が出る事態となりましたからね。まあ、でも会社に対する不安とかは特に感じる事はなかったです。強いて言えば、社長が精神的に追い詰められてて「キツそうだな」って心配していたくらいですね。
自分はやるべき事をやるのみだと思ってたし、それを如何に早くやるかが重要でした。ここでも突っ走るしかなかったと思います。
この頃は通常業務に加えて、部下の教育、マネジメントも任されるようになってたんですけど、自分のコミュニケーション能力に課題を持っていたんですよ。頭で分かっていても、言葉で綺麗にアウトプットできない。それは教育する立場としてはまずい。
でも好機にも社内改革で「正しい指摘はどんどんやれ」という方針になったんですね。で、その方針に則って自発的に指摘をする癖を付けたんですよ。どう伝えれば分かり易いか意識しながら場数を踏んで、そこからは自然とコミュニケーション能力問題は解消しましたね。
今もこれからも昔とやる事は変わらないと思っています。とにかく走って、ひたすら案件を持って、結果を残す。そして自分のチームをPGの売上基盤として確立させることです。
自分の役割は言うまでもなく特攻隊長だと思っていて、サイト改善の施策インパクト、課題解決に関しては自分が社内で一番だとも思っています。ただ豪語するだけではなく、現場ではひたすら案件を回しまくって、結果も残す。その姿で証明したいと思っています。
チームリーダーとしては全員を引っ張り、無理しすぎないように質・売上を共に伸ばすことを目標としています。あとは、これまでの教育は定性的なものが多かったので、今後は形に残るようなものになればとも考えています。
理想的な人物像については、やっぱり自身の経験則から言っても「気合と覚悟」がある人ですね。逆に一番向いていない人物像は「御社で成長したい」みたいな他力本願な人です。理由は簡単で、会社や上司から学びを提供してもらうのを待つこと自体が無駄だし、学びに幅が全然効かせられないから。
覚えないといけないことが普通の会社の3倍はあるだけでなく、そこがある意味スタートラインなんですよ。そこから周りに劣らない戦闘力を付けるには自己成長意欲は必須で、僕が何も知らないザコからここまで急成長できたのも覚悟を決めたからだと思ってます。
そういう意味では知識欲が盛んで、インプット/アウトプットが得意、そして有言実行する人は理想的かもしれないです。あと更に現場の声、クライアントの声がしっかり聞ける人。それに伴うコミュニケーション能力を持っている人は強いと思います。
まあ断言しとくと、痛みなくして得るものなしというか、うちの会社は絶対に楽して成長はできないと思います。しかも新人のうちは自分の論理性とかをボコボコにされます。それでも揉まれながら、努力を続ければ必ず実るし、そこら辺の同世代と比較しても圧倒的に戦闘力の高い人材にはなれると思ってます。
ちょっと脅しっぽくなりましたけど、会社の雰囲気とか笑いは絶えない環境なので、純粋に自分の成長を楽しめる人とかと仕事をしてみたいと思ってます!