伊藤 梨恵(プロダクトグループ デザイン室 デザイナー)
市役所勤務でめばえたデザインへの興味
現在のデザイナー業務との繋がりを挙げるなら、幼少期にイラストや漫画を描いたり、工作をしていたことでしょうか。中学生のころは数学と理科の他、美術・音楽・技術家庭科が得意でした。それなりにきちんとした(笑)ごく一般的な学生だったと思います。
都内の大学に進学してからは、地元の神奈川から片道2時間半かけて通学していました。経済学を専攻するかたわら、学外では、地元でアルバイトを掛け持ちして過ごしていました。働くことは好きでしたね。
(小学校低学年のときに授業でつくった工作と私)
卒業後は、たまたま地元の市役所が3年ぶりに新規採用をやるということを知り、採用試験にチャレンジしたところ幸いにも採用内定をいただきました。都内の大手保険会社などからも内定をいただいていたのですが、地元に貢献しながら長く働くことができればと思い、市役所職員となる道を選びました。配属先では福祉関係を担当していたのですが、それまでの人生で関わりの無い分野であり、新鮮で発見の多い日々でした。
市役所では業務上、記入用紙の雛形やチラシを作成する機会もあり、ExcelやWordで試行錯誤しながら作成したことは、デザインに興味を持つきっかけとなりました。DTPやWebデザインなどの言葉を知ったのもこの頃です。
3年目の転機。デザイナーとなることを決意
勤務を始めてから3年目、日々お会いするお客様ともすっかり顔見知りとなった頃、転機がありました。市役所の業務は地域に根ざしたものですが、それ以外の世界にも触れてみたいという気持ちが大きくなってきたのです。
「デザイナーになろう」
その時は漠然とそう決めたのですが、自身の手で何かを作って世に出したいという思いがあったように思います。地元の名産品の寄木細工のように手を動かした結果が形になるような仕事がしたいなと。
デザインを体系的に学んだことはなかったので、まずは基礎を学ぶことにしました。退職と同時に専門学校への入学を決めて両親に報告したところ、想像していた通り「市役所の仕事を辞めるなんてもったいない」と言われましたが、最終的には自身で決めたことならと応援してくれました。
(デザイナー2年目のときに訪れたグアムでの思い出写真)
受託会社→インハウスとデザイナーとしての活躍の幅を広げる
専門学校の1年目は、都内で一人暮らしをしながら授業に集中しました。2年目に入った頃には自身の得意分野がWebデザインにありそうだと分かり、製版会社でWebデザイナーのアルバイトを始めました。卒業後はそのまま同社に就職し、業務時間中は先輩デザイナーからデザイン知識を吸収し、帰宅後はコーディングの勉強をする日々を送りました。
その後、ひとりで案件を回すことができるようになったタイミングでEC系の受託コンサル会社へ転職しました。当時はEC出店が盛んで、携帯電話からスマートフォンへの移行などEC体験が進化していた時期でもありました。成長市場で、マーケやコンサル、営業の人たちと関わりながら仕事を進められたことは大きな学びになりました。ここでの経験は、私のデザイナーとしての土台となっています。
受託事業を3年続けポートフォリオが充実してきた頃には、受託形式で関われる範囲を超えて一つの事業にコミットしたり様々な事業フェーズに関わりたいという思いが強くなり、インハウスデザイナーとしてDMM.comへ転職しました。
DMMは当時40以上の自社サービスを提供しており、横串でデザインチームが編成されていました。社内では次々と新規事業が立ち上がっていて、デザイナーは、遊撃手的な役割と特定の事業部に特化して専属支援する役割との2つの役割を担っていました。転職直後は、主にWebデザインやUIデザインを担当していましたが、徐々に要件定義フェーズから関わることも増え、UXデザイナーに近い働き方をするようになりました。
ビジネスサイドと共に様々な自社サービスに関わるうちに、そろそろひとつの事業にどっぷりとつかる経験をしてみたいと思い、当時注目されていたブロックチェーン技術を使ったサービスの立ち上げに志願して関わることになりました。ブロックチェーンは、社会の様々な領域での活用が期待される技術であり、それまで関わっていたエンターテイメントサービスよりもさらに広い層に社会的価値を提供できるのではないかと期待がふくらみましたが、苦難の末、事業部が解体となってしまい、次の道を探すことになります。
「デザイン」×「社会インフラ」という問題意識から、三菱UFJ信託銀行へ一人目デザイナーとして飛び込む
自身の過去の仕事を顧みると、新卒では市役所という公的機関で社会インフラの一端を担っていました。何を仕事としたいのかを考えデザインの道に進みましたが、デザインというスキルを身に着けた、いまだからこそインフラなどの社会基盤に立ち返ってやれることがあるのではないかと思いました。いま世の中に必要とされているインフラは何かというならば、やはり「お金」は無視できない存在です。事業会社が新規事業で世の中を変えたいと決意したら、その事業を実現するためにまず資金が必要になりますよね。自身の生活に鑑みても、お金というインフラが社会の重要な役割を担っていることは実感をもって理解できます。
折しもデザイン思考という言葉が取り沙汰され、メガバンクがデザイナーを初めて雇用したことがニュースになるなどデザイナー職に注目が集まった時期で、わたし自身も注目していましたし、巡り合わせもよく、三菱UFJ信託銀行の一人目のデザイナーとして入行することになりました。
三菱UFJ信託銀行では、アプリ開発からオフィスレイアウトに至るまで社内外の多岐にわたる案件に携わりました。デザイン思考を取り入れたビジネス創出ワークショップを企画実施するなど、社内風土を進化させるための基礎固めにも取組みました。
世の中に与えるインパクトの大きさを考えOLTAへ
信託銀行という巨大な組織で2年あまり働いてみて、自身のアウトプットが世の中に与える影響について考えるようになり、次は社会と双方向でプロダクトを進化させる過程を見届けるような仕事をしたいと思いました。
より規模が小さく小回りの利く組織であれば、スピード感を持ってサービス提供から改善までのサイクルを回すことができるのではと、創業4年目のOLTAへ参画しました。OLTAの事業は、世の中へ与えるインパクトが大きいと思いましたし、信託銀行での金融経験も活かせると考えての選択でした。
OLTAは創業まもない企業ですが、良い意味でスタートアップに来た!という感覚はあまりないですね。評価制度など社内の制度が整っていることもそうですが、社内にちゃんと「待った」をかけることのできる体制が整っていることが大きいと思います。
新しい施策を行う際にも、勢いでとりあえずやってしまえというよりは、「このあたりに問題がありそうだからひとまず法務に確認しよう」と自己監査が働くところに成熟した組織の安心感があります。だからといって殊更に守りに入るのではなくスタートアップらしいスピード感もあり、バランスのよい組織だと思います。
自身の業務では、プロダクトの利用フローの改善や新たな体験の提供などユーザーがより価値を感じることができるような施策を進めています。伸び盛りのプロダクトを扱っているため、新機能のリリースも次々と予定されていますが、新規ユーザーの獲得だけを目標とするのではなく、すでにユーザーとなってくださっている方にとってもよりよいサービスとなるよう尽力しています。
金融やSaaS系のデザインは縛りが多いと感じるデザイナーもいらっしゃるかと思いますが、その制約があるからこそデザインのしがいがあるとも感じています。また、ビジネス・開発・デザインのそれぞれの立場からその制約に対してどう立ち向かうかをまとめあげられるのは、OLTAならではの魅力だとも思ってます。
ミッションを実現するメンバーと働きたい
OLTAのミッションは「あらゆる情報を信用に変え、あたらしい価値を創出する」。世の中に点在している企業情報を集約することで、新たな価値を生み出すプラットフォームとなることを目指しています。そのために、まずはクラウドファクタリング「OLTA」やクラウド請求書サービス「INVOY」のユーザーを増やしてサービスを世に広めるための取組みを進めています。
新しくOLTAに加わってくださる方にも、同じように目指したい世界を共有しつつ、その世界を現実に落とし込むために「いま」何をすべきかを一緒に考えていきたいです。