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【社内報チラ見せ版】想像もしていなかった新卒時代の名古屋生活で手に入れたこと

ベンチャー企業に対して「若いうちから裁量権のある仕事を任せられる環境」というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

裁量権のある仕事に携わるのは、社会人として成長するために必要な多くの経験を得られる一方、想像以上に難易度の高いミッションに直面し、辛く、大変な思いをすることにも繋がります。
今回は2014年に新卒入社した際、立ち上げ期にある支店に配属され、新卒3年目にして支店長を務めた経験のある社員へ取材した社内報記事を、Wantedly向けに再編集してお届けします。
具体的な心境の移り変わりを目で追いながら、ベンチャーらしさをぜひ追体験してみてください。

※所属部署および業務内容は2021年1月当時の情報です。


□プロフィール
湊友亮(Minato Yusuke)
鹿児島県出身。関西学院大学卒。大学時代は大学のバスケットボールサークルと兵庫県西宮市のクラブチームにどちらも所属していた。
2014年4月にMJEに新卒2期生として入社。ITS事業部※名古屋支店に配属され、約2年半の勤務を経て大阪に転勤。現在に至る。


※ITS事業部……当社のICT事業本部(情報通信領域)のうち、主にIT機器の提案や導入、宣伝プロモーションツールである看板型デザイン自販機「bord station」の販売を行う事業部。当社では最も多くのメンバーが所属している。

□ベンチャー企業に新卒入社することを選んだ理由

ーーそもそも、MJEになぜ入社しようと思ったのですか?

実はある事情があって半年間留年してしまったため、就活は2回経験しています。1回目の時は三菱レイヨン(現・三菱ケミカル/繊維メーカー)やフィリップモリスジャパン(たばこメーカー)に内定をもらう等、大手中心に見ていました。

ー差し支えなければ事情を教えていただけますか?

4年生の終わりに自営業を営む父親が心筋梗塞で倒れて、事業の手伝い等を行うために半年ほど鹿児島県の実家に戻っていました。
その時に「自分の手で事業を行うこと」の大変さとやりがいを肌で実感したことが、2回目の就活で会社を選ぶ際に、大手ではなくベンチャーも選択肢に入ってきた理由かもしれません。

ーーちなみに、お父様はどのような事業をされていたのでしょうか?

旅館業→保険業と業種を変えていて、成功を収めつつも、中には上手くいかない時期もありました。その時期と僕の大学受験のタイミングが重なっていました。学びたい内容の都合で関西学院大学への進学を希望した時は、家にお金がない中で、「私立で一人暮らし」することについて少し対立もありました。

結局奨学金を借り仕送りをもらわずに進学し、風呂トイレ共同の家賃2万円のアパートに住んでいました。入学時にバイトをはじめて、そのお給料が入るまでは白米に醤油かけて食べてしのいでいました。

ーものすごく苦労されていますね……

あ、でもお金が入ってきてからは、ちゃんと(?)遊んでいましたよ!(笑)


□駆け抜けた社会人最初の2年半

ーーMJEに内定後、配属が名古屋であると聞かされた時の心境を教えてください。

率直に言うと「マジか、名古屋か……」でした(笑)。これは愛知が好きではないとかでは決してなくて、その当時存在していた拠点が大阪と東京のみだったので、名古屋になる可能性なんてあったのか!と驚いたことが理由です。

ーー立ち上げ時の名古屋支店はどのような雰囲気でしたか?

人数が7~8人と少なく全員の距離が近かったことと、先輩の中には、営業経験がありながらも担当する商品を変えた直後の方もいらっしゃったので、「みんなで一緒に覚えていこう」と言いながら仕事をしたことが印象的です。

もちろん新入社員として、色々なことは教えていただいていたんですけど、「仕事をしながら学ぶ」場面が他の拠点のメンバーに比べて多かったように思います。


ーーそして、入社から丸2年が経過した頃、名古屋の拠点長に就任されたとお聞きしました。

いえいえ、拠点長をやっていた時期は短いですし、転勤や部署移動も重なりサブマネージャーの立場で残っていたのが自分だけだったという話なので……。


ーーなぜサブマネージャーに上がるほどの成果を残すことができたのですか?

実は1年目の時は、あまり上手くいっておらず、今思えば周りのせいにしていたのかもしれません。どういうことかというと、MJEのセールスでは、初めてお取引をするお客様に対してご提案を行う「新規営業」がメインではありますが、すでにお取引済みのお客様(ユーザー様)に対する営業活動も行っています。
これが名古屋支店だと、当然ながらはじめましてのお客様しかおらず、「新規営業だけでなく、ユーザー様へご提案することで予算を達成する」という戦略をとることができませんでした。

他の拠点と比べて不利に感じて、「予算達成できないのはこの状況のせいだ。」「すでにお客様は名古屋内で取引している場合が多いのに、今から大阪に本社を置く僕たちがアプローチしたところで敵うはずがない。」など、やる気が出なくなるような考えばかりが頭に浮かんでいました。

このマインドを切り替えることができたのは、ちょうど2年目に上がるころでした。
先ほどもお伝えしたように1年遅れて就職していたため、大学の同窓会に行ったときに、同級生との自分の1年の差を目の当たりにしました。同級生とは差があるし、会社での自分の同期はそもそも1歳年下だし……そんな中で「このまま負けたままなのはダサいな」とふと感じました。

「どうせ成果が上がらないなら今みたいに何もやらなくてゼロより、あれこれやってみた結果のゼロの方が、その過程で何かを得られるからずっといい。」そう思い目の前のことに懸命に取り組んでみた結果、上司から、営業に出る機会をはじめ色々チャンスをもらえるようになりました。

結果3ヵ月(※)で、1つ上の職位に昇格することができました。当時の上司をはじめとする周囲の方には本当に感謝しています。

※当時の評価制度。現在は半年に1回に昇降格の機会がある。


その後さらにもう1つ上の職位(サブマネージャー)に昇格しました。前向きに仕事に取り組めていた時期だったからこそ、拠点長になってから、同年2016年の8月に撤退が決まるまでの数ヵ月間は本当に苦しかったです。
2年目の最後に支店長をやってみないかと声をかけてもらい「やってみます」と承諾したものの、全く上手くいかなくて……プレイヤー以外の仕事をやることの大変さを実感しました。

特に記憶に残っているのは拠点長会議の時ですね。本来は僕の職位であれば出ることはない会議なのですが、支店長という立場から出席せざるを得ず、話についていくのに必死だったことを覚えています。
支店の撤退が決まった時は、同時に会社を辞めてしまおうかとまで思いました。


ーーそう思いながらも、踏みとどまることができたのはなぜですか

名古屋支店で一緒に働いていた上司の方々が、大阪で成果を上げ、次々と営業表彰式の壇上に立っている姿を見たからです。「もしかしたら自分たちが駄目だったわけじゃないのかも」と、今までの頑張りを肯定してもらえたような気がしました。
「半年は大阪で頑張ってみよう」と思い直し、現在に至ります。


ーーその後、本当に大阪での半年間で成果を出し、営業表彰の壇上に立たれていましたね。すごいです。

とんでもないです。

ただ、この2年半で経営の難しさや、「やります」と言って引き受けた職務をまっとうすることの大変さを実感したことが、その後のキャリアに良い影響を与えてくれたのかもしれません。良くも悪くも、他の拠点の新入社員よりはハードな経験をしてタフになりました。
それに本音を言うと「撤退を決める前にもう少しこの場所にリソースを投入してから判断してほしかった」という、やりきれない思いもしました。この悔しい!という気持ちが、大阪に行って絶対結果を残してやろう!っていう奮起に繋がったのだと思います。

□大阪で見つめる自身の今後

ーー大阪に来られてから現在(※2021年1月)までで約4年半が経過しました。印象深かった局面を教えてください。

大阪に来てからも周りに感謝しかないですね。
例えば数年前に僕が調子が悪くなり降格を経験したときに立て直してくれた山田マネージャー。彼から見たら僕は年上の部下にあたるのでやりにくかったと思うんです。

けれど山田マネージャーは自分がどう思われるかは気にせずに、僕が良くなるために「やるべきこと」をはっきり言ってくれた。その結果再び昇格できたことを、本当にありがたく思っています。

▽山田マネージャーが登場する記事はこちら


それで言うと現在自分の上司についてくれている長倉マネージャーもそうです。元々同期としてずっと仲良くしていた分、同じチームでやるのは大変に違いないけれど、どうするべきか遠慮せず意見を伝えてくれる。すごく信頼しています。

彼らとは現在もよく意見を交わしますし、「これは違うんじゃない?」と思った時には職位や年齢で遠慮をすることなく、お互いに指摘しています。

▽長倉マネージャーが登場する記事はこちら(外部リンク)

他にも管理の方や他事業部の方も……名前を上げ始めたらキリがないくらい、たくさんの方に支えられてきました。

僕は自分のことをすごい営業マンだとは思っていません。それこそ成果を出しているプレイヤーとして前々から社内報に登場している面々や、取材こそ受けてないけど成果を上げている後輩メンバーの方がよっぽど”できる”営業マンです。

一方で僕ができることは、”人としてどうすべきか”みたいな部分を教えることだとも思っています。若くして成果を出して昇格した後輩の中には、ふさわしい振る舞いが上手くできないメンバーもたまにいます。

この点は僕も苦労した分、彼らには「相手は自分の鏡。自分の態度通りにしか人は動かない」「だから自分本位な振る舞いは必ず自分に返ってくる」と伝えるようにしています。

このような部分で今後も会社に協力していきたいです。

ーー教育担当のような役割も似合いそうですね。

ちょうどそういう話も上司としています。実際に2020年度の前半も、新入社員4名がいるエリアで一緒に仕事をしていました。

トライアンドエラーをかなり繰り返してきた身なので、そういったことを伝えていきたいです。……失敗の方が多いかもしれませんが(笑)。

ーーそんなことないですよ!!

いえいえ。周りあっての今であることには変わりないので、今後も自分なりに周囲に対してできることを増やしていきたいです。

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