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「山形の漬物工場」から「美容サロンの子会社代表」になった話(今井翼)

Lime取締役である今井翼は、眉毛サロンを運営する子会社の代表を務め、FCコンサル事業の責任者を務める重鎮です。

幹部メンバーの育成から会社の事業戦略に携わり、毎月300時間ほど仕事にコミットしている鉄の男でもあります。

今回はLimeの急成長を推進してきた、翼さんこと通称ばっさんに、
入社までの経緯について語っていただきます!

1996年山形県生まれ、新潟医療福祉大学卒業。 入社半年で、most eyes事業の責任者に抜擢。現在は子会社の代表を務める。

漬物工場からの下克上、膨れ上がった強烈な劣等感

——これまでLimeの急成長を推進してきた翼さんですが、前職ではどういったお仕事をされていたのですか?

前職は、新卒入社した地元(山形)の漬物の専門商社です。1年目は、工場に配属され、製造業務を毎日行っていました。定時に出社し、独特の漬物の匂いに囲まれ、黙々と商品を作り、毎日決まった業務をミスがないように淡々と行っていました。

2年目になり、営業担当の部署に移ることになりました。工場での同じ作業の1日から解放され、「新しく営業に挑戦できる!」…と胸を躍らせていたのも束の間、僕の仕事は毎日決まった時間に、決まったスーパーや百貨店を巡るルートセールスでした。

新しい挑戦とはいえ「また決まりきった作業かよ!」というのが本音でしたね(笑)

——工場で働いている姿が想像つかないです…!! そこから転職をした背景ついて教えてください!

転職を決めた最大の理由は強烈な絶望感と劣等感ですね。

新卒1年目で社会に入り、これから40年間をルーティン業務の漬物工場に費やすということに、ただただ、ひたすらに絶望しました。

それに加え、大きな劣等感を感じたことも転職のきっかけです。

高校は進学校で、地元で一番偏差値の高い高校に入学しました。中学までは成績が良かったものの、高3の学内成績は180人中170位と成績がダントツに悪く、同級生が国公立やマーチにいくなか、私だけが地方の私立大に進学しました。

大学卒業後も、同級生が都内で生き生きと働く一方、私だけが地元の漬物工場でひたすらルーティン業務をこなす日々でした。そして、みんながお盆に地元へ帰ってくるときも、私は工場で野菜を切り、漬物をつけて包装し、心を無にして一連の流れ作業を毎日行っていました。

子供のころから負けず嫌いだった僕には、それがたまらない屈辱でした。
24歳にして、人生積んでいるなと感じました。

仕事終わりの帰り道では「自分は一体何をしているのだろうか」という劣等感で胸がいっぱいでした。

それでも、40年間ここで働き「部長クラスになれば1000万くらいは稼げるだろう!」と安易な期待を抱いておりましたが、部長との面談で、部長の年収がその半分にさえ満たないことを知った時に、部長の前で僕は死んだようにうなだれてしまいました。

——強烈な絶望感と劣等感が今の翼さんを突き動かしているんですね。

間違いないですね。その原体験をもとに、今の自分があるような気がします。

入社して初めて迎えた誕生日会の写真

地元を捨て、スーツや革靴も持たずに東京へ

——退職後、TwitterがきっかけでLimeへ入社した話は本当ですか?

本当です!普通の会社で決まった仕事をすることが自分には向いていないと思い、東京で力をつけ、起業しようと考えていました。

また、当時から筋トレが好きだったので、パーソナルトレーナ―の求人を探し、現場で働くことを考えていました。

とはいえ、正直なところ、トレーナーにこだわりはなく、とにかく挑戦できる環境が欲しかったんです。

そのため、刺激的な環境を求め、情報収集やコネクション創りで活用したのがTwitter(現X)です。同年代の起業者やIT系の経営者をフォローしたり、DMを送ったりして、自分が入りこめる環境を探していました。

その時に見つけたのが、今の代表が運営している「リバ邸」です。

リバ邸は、起業家を集めているシェアハウスです。話題性もあり、優秀なメンバーが多く、当時そこにいたメンバーで上場企業を設立したメンバーもいます。

そんなリバ邸の運営アカウントからフォローされ、自分にはとても刺激的な環境だと思い、一度話を聞く機会をいただきました。

オンライン面談で代表と話したときは「怖そうな人だな」と感じましたが、偶然にも代表がパーソナルジムを展開したタイミングであり、パーソナルトレーナーの求人を探していた僕は、まさに運命の出会いだと確信しました。

面談後、「自分が働くのはここだ!」と直感的に感じ、その日に荷物をまとめ、すぐに新幹線の予約サイトを開いていました(笑)

——まさに運命ですね!仕事が見つかったとはいえ、地元を離れることに抵抗感はなかったのですか?

不安はありましたが、やると決断したので、抵抗感はなかったです。

ただ、当時はコロナ禍ということもあり、父親からは「東京に行ったら絶対に帰ってくるな」と言われていました(地方は風当たりが強く…)。

そのため、上京への覚悟は相当強く、Limeから内定をもらっていないにもかかわらず、スーツや靴も持たずに、私服で上京しました(笑)

他社の選考も一切受けていなかったので、Limeで不採用になっていたらと思うと恐ろしいです…。

※日本テレビの番組「出動!バクダン処理班」にリバ邸が紹介された際の、翼さんの出演シーン

とんとん拍子!ではなく、、、研修に落ち、代表から告げられたまさかの一言

——Limeでの初業務はパーソナルトレーナーだったのですか?

最初はパーソナルトレーナーを目指しており、技術研修を受けていました。

スポーツ系の大学を卒業し、日常的にジムにも通っていたため、当時は「研修さえ受ければ自分にもできるだろう」と考えていました。

しかし、技術チェック最終日に、トレーナーから真っすぐな目で「君はトレーナーに向いていない。才能がない。」と言われ、思わず「えっ!」と大きな声が出てしまいました。

そして、その日の夜に代表に呼び出され、「死ぬ気で頑張らないと成長できない」と言われました。

周りに優秀なメンバーが多かったことから、これは仕事ができない自分への「事実上のクビ宣告」だと当時は感じていました。

そして、この言葉を聞いて火が付いた僕は、運営側の作業にまわり、その日から休みなく働き、いかに自分の生産性を上げ、バリューを出せるかにこだわり続けました。

——多方面で活躍している翼さんでも、最初から仕事ができていたわけではないんですね...!

最初に隼生さんから「もっと頑張らないと」と話されたときは「このままだとやばい!」と危機感を感じました。

入社1年目は、体調不良を除いて361日出勤していましたね(笑)
そのおかげもあって、新規事業であるエステサロンや眉毛サロンの立ち上げに貢献できたと思っています!

眉毛サロン「most eyes」のブランドプロミス

——今ではどのような仕事をされているんですか?

今は会社が掲げる20億の目標達成に全力でコミットしています!
そのためにも、眉毛サロンの事業戦略やFCコンサルタント、採用から組織づ
くりまで幅広く携わっています。

——翼さんから見た、Limeの魅力についても教えてください!

一つ挙げるなら、代表の器が広いことですね。
それがゆえに、未経験の若手にも大きい裁量がある環境だと思っています!

Limeはポテンシャルではなく、やる気と熱量のある若手に裁量を与える会社です。もちろん、賢さや知識量も大事ですが、新規事業の推進力を生むのはやる気と熱量です。それが新規事業において一番のエンジンになるからこそ、行動指針にも「成果に狂え」という項目があります。

それは、なにもできなかった自分が入社した2年前、代表と話して火が付き、自己成長を遂げた時から変わらないLimeの重要な価値観です。

——まさに成果に狂えを体現されてますね!最後に一言お願いします!

「自分が一番の成果を出す」という熱量をもったLimeメンバーを増やし、今期年商20億を達成します!

一緒に熱くなれる方はぜひご応募ください!

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