1
/
5

34歳で会社を売却した元社長が、未経験業界のベンチャーに平社員入社した理由とは?

はじめまして。
2019年7月に入社した東條と申します。会社内ではヒデキと呼ばれています。
学生でたまたまこの記事に行き着いた人や、転職を考えている人がこの記事を読んだ時に、
『なんかそこそこ面白いおっさんがいる会社だな。』
と興味を持ってもらえるよう頑張って書きますので、最後までお付き合いください!
~~~~~~~~~~~~~~~~~
おそらく、下記を読むのに10分程度かかります。
お時間あるときにご覧ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

まず簡単に私のサマリを。
新卒で大手証券会社に入社。その後、渡仏し、ビジネスを模索。
日本に帰国後、営業コンサル会社に入社し全国の企業を営業代行で支援。
その後、学習塾運営を母体とした会社を起業ののち、売却。

現在は、ITプロパートナーズに入社し、ITプロ事業部のリーダーとして従事。
NPOへの参画や、個人事業主としてコンサル活動もしています。

うん、改めて、まとめてみても、随分ととっちらかった経歴ですね。笑
もう少し生い立ちを語らせてください。



何をしていたか?〈小学-大学〉


実家は埼玉の真ん中のあたり。
祖父の代から小さな町工場を経営していましたが、次男かつ理系でもない私は、
家業を継ぐ気は毛頭ありませんでした。

「大学が家から通えない附属高校に入ったら早く一人暮らしできるのでは?」
という安易な理由で高校を選択。

自由な校風だったこともあり、髪は、金やら銀やら緑のソフトモヒカンやらにしてみたり、
中に柄Tを着て学ランを羽織ってたので、出で立ちは完全にヤ◯キーでした。


(でも片道1.5時間の通学で、電車内では学校から出された課題図書を黙々と読んでたので、今思えば車中の人には違和感の塊だったと思います。)

池袋あたりでストリートミュージシャンと夜な夜な語らったり、
井の頭公園で弾き語りしたり、自転車やバイクで行けるところまで行ってみたり、
アルバイトしたお金でサイズの合ってないB系の服を買い漁ったり、、、。

とりあえず、当時思いつくこと、やりたいことは全部やりました。
この辺の話は、会社の同僚にも言ってないので、
今の自分しか知らない人はこの記事を見て驚いているかもしれません。笑

「人生は太く短く!」
と考えて、後悔しないように生きようとする思想になったのは、
バブル崩壊を小学生で経験した原体験からです。

吹けば軽く吹き飛ぶ機械部品の町工場が、銀行から融資を数億円受けられていた時代。
バブル崩壊と同時期の祖父の他界により明らかになったのは、
夜逃げするか一家心中するかしか選択肢が無いくらいの借金。

日頃からあまり多くを語らない寡黙な父が取った選択肢は、
「逃げずに、何年かけてでも借金を返し、家族を守る」
でした。

小学生の自分には、電話口で、見えない銀行員相手に頭を下げながら、
数百万の融資を何とか、とお願いしている父の姿は衝撃的でした。

そして、世間を知らない小学生は自然と、
『自分が銀行員になったら、何か役に立てるのでは?』
と考えるようになりました。

結果的に、父は、約6年かけて借金を完済。
大きな大きな背中を見せてもらいました。


一方で、小学生の時に使命めいた直感で銀行員になろう、
と思っていた私の目標は薄まってしまい、
暗中模索しつつも、何がしたいのかは分からずに、
とにかく早くアルバイトをしてお金を稼いで、それで思いつくことは何でもやってみよう、
と考えていたのだと思います。

エスカレーターで大学に上がった私は、念願の一人暮らしを始めました。
あれこれ言われず、自分のペースでやりたいことが出来る城を持った気分でした。
ただ、学費を出してもらう代わりに、生活費は自分で稼ぐという約束で家を出たので、
高い時給のアルバイトが無いか、と探していて、集団塾の講師業に出会いました。

これにどハマりし、週7日で勤務。
生徒には普通にそこそこベテランの社員だと思われてました。笑




何をしていたか?〈新卒-創業〉

教育業の魅力には大変惹かれたものの、大学時代、貯まったお金でやっていた株がうまく転がって、
不労所得という資産形成の方法を知りました。

ただ、財務諸表や会社の知名度から1年くらいは持ってみようかと思って株を買った会社が、
その1週間後、有価証券の虚偽報告で家宅捜索に入られ大損。。
表面上の情報だけでは失敗することを経験から学びました。

そんな経緯もあり、就職は、内定をもらった都銀か証券かで迷いましたが、
「3年でどちらの方が自分の力になるか」
を判断軸として、証券を選択。

実際、入社してからは、上場企業の会長や社長、富裕層の方々と1対1でお話を伺う機会があり、
とても貴重な知識や体験を積ませてもらいました。
その中で、創業して一代で上場企業にまで成長させた方々から、
「創業はしんどいが面白いぞ!」
と薫陶を受けていたため、自分が本当に成したいことは何か、を考えていたところ、
小さい頃にケーキ屋さんになりたかったことを思い出しました。

今第一線でリアルに戦っている経営者から学ばせていただく経営哲学や
その方に提供するために勉強し続けている金融知識。
そして、大学時代に出会った尊敬している方が海外に移住したこと、
第2外国語でフランス語を取っていたこと、など、
いろんな棚卸しをして、全部掛け算したところ、
「フランス語圏(アフリカ大陸)で洋菓子店を運営する」
という大志がふと浮かびました。


その翌年、フランスに移住していました。
フランスには1年ほど在住しており、そこでもあれやこれやはありましたが、長くなるのでトピックだけにします。
・渡仏して1ヶ月もしないうちにパスポート窃盗未遂事件
・密入国者扱い事件
・現地で就職しようと思っていた会社の裏の顔
・まだ残っていた欧州のアジア人差別体験
・知ってました?ニースにも雪は降るんです!
・パリの年越しはパーリーナイツ!
・モンサンミッシェルへ冬に行くのはもったいない!!
・フランスで出来たお友達は貴族様伯爵様
・ギリシャでイタリア人にぼったくりバーに連れて行かれた話
・日本人男性にはスペイン女性がオススメ!
・現地視察予定2日前に行こうとしていた街で起きたモロッコ爆破テロ
・最後の最後で。。。シャルルドゴール空港に騙され空港で32時間過ごした話
etc…

興味があれば、直接聞いてください!笑
結果としては、そのままVISAの失効や東北の震災を機に帰国。
営業代行のコンサル会社で1年ほど全国を転々としながら、創業の準備を進め、2012年に起業。
学習塾を軸に、輸入雑貨等の販売や経営コンサルを行う会社を6年半経営しました。



何をしていたか?〈売却-現在〉

会社はおかげさまで半年ほどで軌道に乗り、
自分が国内でやりたかったミニマム経営モデルは作れたので、
3年目には、多店舗展開と、カメルーンでの洋菓子店設立に乗り出しました。

結論から言うと、社運と私の人生を懸けた2大プロジェクトは、どちらも大ゴケしました。笑
2店舗目を任せた責任者は、私のマネジメント力不足により開校1ヶ月で退職。
その後、3ヶ月で閉校となりました。。

また、洋菓子店は、現地の土地選定や共同経営者を探してもらうために仲介を任せていた人が急に音信不通に。。
一気に、
「ヒトって怖い。。。ヒトの心がわからない。。。」
と人間不信になった1年でした。

元々、教育業というレガシー業界の動きの遅さに危機感を持っていたこともあり、
『おそらく5年はこのまま仕組み化したモデルでやっていける。
  他で失敗しても続けられるだろう。
   でも、それで5年過ごしてしまった時に、たとえば10年後、
    自分は子ども達に胸を張れる成長を出来ているのだろうか・・・』
そんな不安がついて回るようになりました。


そして、何より、生徒の子ども達に、
「停滞は衰退だぞ!」
と指導していた自分が一番停滞していることに気付いた時に、急に恐ろしくなってきました。


経営者として、選択したのは、会社の売却でした。
最初は、買収の方で動いており、
「人はいるけど、経営がうまくいっていない。」
というところにお声がけしていたのですが、なかなかうまくいかず、
「自分の打ち出し方が悪いのであれば、逆の人の気持ちになってみよう。」
というマーケティング視点程度の気持ちで売り案件として登録したところ、たくさんのオファーが。。!


多くの買収候補先の方々とお会いする中で、
『同じビジネスモデルを作ろうと思えば、いつでも、どこでもできる。
今、自分にとって必要なのは、顧客と関係者に迷惑をかけない形で清算し、
もっと外に出て、ヒトを知らないといけない。
そのためには、身動きが取れない今の状態を一旦整理することも本気で
検討してみた方がいいのかもしれない。』
という思考になっていきました。

売却後は、半年の引き継ぎ期間を経る中で、改めて自分の棚卸しをしました。
「コンサルタント(=人の役に立つ何でも屋)」
という軸のプライドは保っていつつも、
金融→営業コンサル→教育と、スペシャリストなキャリアではなかった自分は悩みました。

新しい知見を手に入れたいのは、不動産とIT。
ただ、チャレンジするにしても、あと1年で35歳。。
未経験では市場の需要が明らかに減っていくタイミング。。。
「業界全体のスピードが早いITの知見を得るなら今しかない!」
そんな思いを持ちながら転職活動をしていたところ、ITプロパートナーズという会社を知りました。

「IT人材の紹介業なら、一つの会社に入るより知見は溜まりそう」
「ネットで会社の評判などを調べても悪く言ってる人があまりいない」
「人数規模も会社の成長度合いも、ベンチャーとはいえすぐに潰れる心配なく働けそう」
「会社で有志が部活とかもやってて、今っぽい」
「兼務で手を挙げれば色々やらせてもらえる」
「支店も展開していく予定があるらしい」

また、私が投資をする時に大事にしているのは、
「社長の顔」
だったりもするので、イケメン社長であるかどうかもチェックしていました。笑
(木村さん、上からで本当にすみません。まだお会いする前だったということでご容赦を。。)

会社経営していた時には、20時間働き4時間寝てまた20時間仕事する、
といったこともやっていたので、
「みんな楽しそうにワーカーホリックしてる」
も大事なポイントでした。笑
(注:裁量労働制で、メリハリはつけてますし、ブラックではありません。)

何より、人材紹介業未経験、IT業界未経験の35歳手前の人間を受け入れてくれる器の大きさから、
迷わずに入社を決めました。
2019年7月に平社員で入社。

会社経営をしていた時と比べれば、自由に使えるお金は半額以下になりました。
でも、別に戻りたいとは思いません。
圧倒的に成長させてもらえる環境があるからです。




(総会時のランチのひととき)


入社してから約半年の現在の私の変遷です。
・初月でMVP(社内投票制)の選出
・3ヶ月で事業部リーダー拝命
・トレーニングGr.(社内教育を考える組織)のマネージャー拝命
・人事/組織課題解決PJチームのメンバー参画
・自社採用サポート(一次面接など)
細々した社内PJならもっとたくさん参画しています。

それだけチャンスと期待をしてもらえる会社で、35歳になった今も楽しく仕事をしています。


(誕生日にお祝いしてもらった時の写真です。剛◯さん似のエンジニアの子が仮装してくれました)


〈最後に〉


長文を最後までご覧いただきありがとうございました。
弊社は、副業OKですし、フリーランスの方も社員と大差なく一体感を持って仕事に邁進しています!
私の社員番号は58番!

現在、会社は100人体制を目指しており、成長したいという熱い想いを持った
皆さんのご応募をまだまだお待ちしております!
第2成長期真っ只中の弊社で2桁番号の仲間になってみませんか?

株式会社Hajimari(旧:株式会社ITプロパートナーズ)'s job postings
3 Likes
3 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Invitation from 株式会社Hajimari(旧:株式会社ITプロパートナーズ)
If this story triggered your interest, have a chat with the team?