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起業を経て復帰!インターノウスの最古参社員加藤さんに、創業初期~現在までを語っていただきました

本日は、10月3日付で2年振りにインターノウスに復帰することになった加藤さんを紹介したいと思います。

実は、加藤さんはインターノウス1人目の社員として入社した古株社員。そんな加藤さんが、どのようにインターノウスと出会い、10年間どのように働いてきたのか。直近2年、インターノウスから離れ、何をしていたのか。そして何故、今、インターノウスへ復帰を決めたのか――。インタビューをしながら、加藤さんのキャリアに迫りました。加藤さんのキャリアと合わせて、インターノウスの成長の歴史もお楽しみください。

(1)インターノウス入社まで
社員5000人の大手から3人のベンチャーへ転職



internous hitsory
2008年 「新橋オフィス移転」

Q.加藤さんは、インターノウスに入る前はどのようなことをしていましたか?

加藤さん(以下、加藤):大学卒業後、新卒で株式会社日立システムズへ入社し、SEとして働いていました。当時、「セカンドライフ」という島へ移住することが流行っていて、その暮らしに憧れ、1年程で会社を退社し、2008年、沖縄へ移住しました。

それから、憧れの沖縄生活をスタートさせたわけですが、想像以上に時間がゆっくり流れていたため、飽きてきてしまって。

当時、アパレルに興味があったため、「アパレルの仕事をやるなら、やっぱり東京だろう」と思い、東京へ戻ることにしました。それからは、アパレル店で接客として働いていました。

沖縄で過ごした半年間は、ペルー人の経営するバーでアルバイトしたり、憧れていた実業家の高橋歩さんのお店をボランティアで手伝うことができたりと、楽しい思い出も沢山あります。

Q.その後、どのような経緯でインターノウスへ入社することになったのですか?

加藤:インターノウスの創業メンバーの1人が、僕の中学の同級生でした。もともと彼とは、仲が良かったのですが、ある時、「一緒に働かないか」と誘われたことがきっかけで、ジョインすることになりました。

当時のインターノウスは、中舘さん(社長)と僕の友人の創業メンバー2人だけでしたが、特別不安は感じませんでした。むしろ友人と一緒に仕事をするということに対して、単純にワクワクしていました。

しかし、いざベンチャーでの生活が始まってみると、「自分の数字が会社の存続に大きな影響を与える」というプレッシャーを抱えながら、日々過ごすことになりました(苦笑)

前職は、5,000人を超える大手企業で、会社の歯車として働いている感覚でしたので、今振り返るとほんとによい経験をさせてもらえたな、と思います。

(2)インターノウス創業期
リーマンショックの影響をもろに受け、初成約は入社から半年かかった。会社潰れるかも?という危機感もあった

internous history
2008年 「人材紹介事業」開始

Q.創業間もない頃のインターノウスの様子を教えてください。

加藤:当時、僕の友人と中館さん、僕(その1か月後に1名)の4名で、人材紹介事業をスタートさせました。

当時のインターノウスがあった新橋オフィスは、お世辞にも綺麗とは言えないビルに入っていましたが、僕自身は、友人が会社を作って借りているとなると話は別で、「普通にすごいなー」と思っていました。

しかし、今思うと、そのあと入ってくれたメンバーは「よくぞ入ってくれた(笑)」という位のレベルのオフィスでした。

Q.そんな小さなオフィスだったんですね!今からは想像できないですね。

加藤:はい。当時、面談スペースは3つありましたが、パーテーションで区切っているだけだったので、面談している声は聞こえまくり。面談の声が周りから聞こえにくくなるように音楽を流すというのは、中舘さんのアイディアでした。当時、僕がチョイスしたエンヤを流していました。

Q.事業の方はどうでしたか?
当時は、今のようにIT人材と定まっておらず、「幅広く人材業をおこなっていこう」というところからスタートしたので、アパレル、建築士などさまざまな職業の方の転職支援をしていました。

まず企業開拓のためにテレアポからスタートしましたが、最初、友人がやり方を見せてくれて、「はい、じゃあやってみて」という感じで研修は終了。マニュアルなども一切なかったので、会社説明の仕方や業界用語はテレアポをしながら自分でマニュアルを作っていったりしてました。

テレアポは、当時ほんとに下手で、よく噛んでいましたが、それを横で中舘さんや友人が笑ってましたね(笑)当時は、そんなに気にしてなかったですが、普通に考えたらひどい話だと思います(笑)

それからアポを3回ぐらい一緒に同行してもらい、独り立ちしたんですが、最初一人で行った訪問は、かなり緊張で死ぬかと思いました(笑)


Q.初成約はいつでしたか?

初成約は、入社から半年後の時でした。
FPGAという組込み系の一種の技術者募集の求人で、求人開拓、人材スカウト、求職者との面談、応募、面接日程調整、面接対策、紹介料の交渉、契約締結、請求書発行に至るまで、全て一人で担当しました。この時、「初めて会社の役に立てた」という安堵感を覚えましたね。その後からは、コツが掴めてきて、徐々に一定の数字を出せるようになりました。

ちなみにあえて言い訳をするなら、僕が入社する前年(2008年)にリーマンショックがあり、その影響が転職市場に出ていたため、数字を出すのに時間がかかってしまった、と分析しています(笑)

↓この写真は、初成約時に飾ってもらいました。当時は消費税5%だったので、90万×1.05で94.5万円。

Q.なるほど。そうすると、会社全体も厳しかったのでは?

自分自身、成果を出せていませんでしたし、会社全体としても売り上げが立っていなかったので、「このままでは会社潰れちゃうのでは?」と危機感がありました。

しかし、創業メンバー2人からは不思議と「このままだとやばい」というような素振りや暗い雰囲気は一切なかったんです。そのあたりのメンタルの強さはさすがだな、と感じました。

(3)インターノウス成長期
現在のインターノウスの主軸事業2つがスタート。役割が細分化されCAとして会社の成長に貢献するようになった


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2011年10月 ITアウトソーシング事業を開始
2012年8月Linux構築研修所「エンジニアカレッジ」をオープン

Q.2011年以降のインターノウスについて教えてください。

加藤:2011年以降は、転職市場も活発化し、インターノウスの事業にも追い風が吹いてきました。ふみやまさ、あきら、りょうなど新しいメンバーも入り、社員は10名ほどになりました。

それから、ITアウトソーシングの営業の知見のある社員が1人入社し、「ITアウトソーシング事業」が立ち上がりました。クロージング、業界、クレーム処理などのノウハウをふみやりょうが吸収して、安定的に売上が立つようになりました。

加藤:その翌年の2012年、中舘さんから「未経験の方に対して、IT教育を行い、企業に紹介するビジネスが成り立つのでは?」という構想から、講師を雇い、カリキュラムを整え、Linux構築研修所「エンジニアカレッジ」をオープンしました。

この頃は、まだ支援する受講生も今ほど多くなかったため、親睦を深めるために受講生たちと月2回ランチに行きましたね。

だんだん、支援者が増えてきたため、求職者と企業側の対応を支援者を分けることになり、テレアポなど開拓能力の高い社員(ぐっちさんなど)を新しく迎え、今のCA、RAの体制が出来上がりました。


(4)インターノウス×起業の2足の草鞋
自分の実力を試すため、友人と起業。インターノウスの業務を減らして、事業立ち上げに注力

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2021年「toiroworks」サービス開始

Q.2019年頃からインターノウスのCAの仕事をセーブされはじめましたが何故でしょう?

加藤:マネージャーとして、順調に人材紹介事業の売上も伸ばすことに尽力してきました。一方の自分自身は、「自分は、中舘さんが敷いてくれたレールの上で走っているだけで、本当の実力ってどんなものだろう?」と、自分の市場価値について自問自答するようになりました。

その答えを見つけるため、はじめは中舘さんに「退職しようと思っている」という話をしました。すると、「まだ何をやるのか決まっていないのなら、インターノウスの仕事を減らして考えてみたらどう?」と提案してくれたので、マネジメントなどの業務を減らし、何をやるべきか考える時間を作るようになりました。

そんな時に、友人から「保育士の転職支援をしたいから一緒に事業をやらないか」と提案されました。人材紹介の仕事に携わってきた自分だからこそ、何かできるのでないかと思い、共同創業という形で会社を作りました。

Q.起業はいかがでしたか?
今度は経営者という立場で、事業に携わることになりました。
友人がもともと保育士だったので、求職者である保育士さんの対応は友人に任せて、ホームページの制作、企業開拓など、必要なこと何でもやってきました。

保育園の特性上、転職が活発化するのは、年末から3月。そこでいかに売上を作れるかが勝負になってきます。1年目の2021年1月は赤字にならなかったものの、2022年1月には集客が思うように行かず、売上が赤字になってしまいました。

それからお互いに言い合いが多くなり、雰囲気も悪くなってきました。その後、「これをこのまま続けるのはよくないよね」という結論になり、話し合いの末、辞めることにしました。

(5)インターノウスで再出発
会社役員を経験した身として売上拡大に貢献し、人材紹介チームに良い影響を与えたい


Q.色々な選択肢があったと思いますが、インターノウスにフルコミットすることを決めた理由を教えていただけますか?

一番は、「辞めていなかった」という点が大きいです。
自分自身が2足の草鞋時代、人材紹介チームは、新事業に乗り出すなど、携多忙を極めていました。その様子を俯瞰してみた時、「もっと、こんなことができるのでは?でも自分はフルコミットしていないから横から口を出すのもおかしいな」と、もどかしい気持ちもありました。

もともとエンジニアの採用支援が嫌いではなかったですし、起業を経験し少し成長した今の自分だからこそ、チームに何か貢献できるのではないかと思い、先月、中舘さんに、「復帰させてもらえないか?」と依頼をしました。


Q.最後に、今後の抱負を教えて下さい!
まずはチームに溶け込んでいけるように頑張ります(笑)
そのうえで、ここ2年間、役員をやっていた経験を生かしながら、カレッジの売上拡大に貢献できるように頑張っていきたいと思います。これからも新しい取り組みには積極的に関わっていく所存ですので、皆さんどうぞよろしくお願いします。

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