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『ハードシングスがあるから、スタートアップは楽しい。』元フリーランスエンジニアの仕事論:メンバーインタビュー⑽

コロナによってもたらされた人々の生活への影響は、必ずしもネガティブなものだけではない。リモートワークやオンラインMTGが必要不可欠な環境になり、これまで「デジタル」とは程遠いところにいた人たちの考え方を根底から変えてしまった。

人々が、時間や場所に縛られずに、多様な働き方ができると気づいてしまったウィズコロナ、アフターコロナの時代では、より自由に働ける未来が待っている

エンジニアとして務めるオノさんは、フリーランスからイジゲンにフルコミットでジョインした。『フリーランスで生きて行こうと考えていましたが、それ以上に達成したいビジョンに出会うことができたんです。』と語ってくれた彼のこれまでと、これからを聞いてきた。

目次

  1. 険しい道のりから始まったエンジニアへの道
  2. フリーランスへの挑戦
  3. ペイレスの衝撃から気づいたalwaysの可能性

険しい道のりから始まったエンジニアへの道

生まれも育ちもずっと大分県です。地方の人だと分かってくれるかもしれないですが、よくある「地方で一生を終える」みたいなのがあまりシックリ来なかったんですよね。15年くらい前の大分市は、今みたいに何も不自由しない環境ではなくて、何か欲しいものや流行りものは福岡に行かないと手に入らなかった。そういう背景もあって、高校卒業後は福岡の大学に進学しましたね。

大学では理工系を学んでいたんですが、毎日バンドとバイトに明け暮れて、いわゆるな大学生でした(笑)就活時期にリーマンショックの影響をモロに受ける世代だったんですが、幸いなことに福岡での就職先も見つかり、エンジニアとしてのキャリアがスタート

入社してからは、クライアント企業の業務システム構築を担当。毎日スーツを着て、ネクタイを締めて、定時に出社して、っていう今とは全く異なる働き方でした(笑)クライアントの抱える膨大な量の顧客情報を扱うデリケートな仕事だったこともあり、少しのミスも許されない緊迫感が凄かったですね。。。そのプレッシャーがキッカケで体調を崩し、退職してしまいました。

フリーランスへの挑戦

先にお伝えしておくと、最初からフリーランスになりたかったわけではなく、その当時はそれしか道がなかったと言っても過言では無いです。独立してすぐに仕事が見つかるわけでも無いので、ライターをやったり、アフィリエイト広告に挑戦したり、色んな仕事をやりました。ただ、モノを作ることの面白さみたいなものは常に求めていて、もう一度エンジニアとして挑戦しようと決断したのもこの時ですね。

当時の私はシステム寄りのスキルが専門だったため、大幅にスキルチェンジをする必要があり、最初はとても苦労しました。独学で得た知識を試して、学んで、をひたすら繰り返す日々。時間はかかりましたが、徐々に講師の依頼を受けられるまでに。エンジニアの面白さって、何か作りたいと思った時にすぐにモノを作って、誰かの困りごとを解決できることだと思います。

ペイレスの衝撃から気づいたalwaysの可能性

イジゲンに入社するまでは、このままフリーランスとして生きていこうと思ってました。ただ、always LUNCHがリリースされて、すぐに利用したんですが、キャッシュレスとは異なるペイレス(Payless)の体験に衝撃を受けたんです。不正利用が発生してしまうリスクをあるものの、それをUI/UXを高めることで改善しようという世界観がすごい。

それまでの飲食系のサブスクって、必ずどこかに負が出るような設計になってることが多かったんですよね。ただ、always LUNCHはそこが違った。このサービスであれば、この業界に一石を投じる可能性があると思って、入社を決めました。中途入社ではあるもの、社内の誰よりもalwaysを愛している自信がありますね(笑)

今はPB事業が一時停止中ですが、alwaysのビジョンである「逆ベーシックインカム / オールインクルーシブ」の世界観の達成に向けてこれからも挑戦したいですね。1人ではできないし、大企業にいてもできないチャレンジングな経験が、自分自身で舵取りしながらできるのがスタートアップ。もちろん不自由する部分はありますが、そういうハードシングスを経験できるのもスタートアップの楽しさだと思ってます。

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オノ マサキ
2020年よりイジゲンにジョイン。
福岡を拠点にフリーランスとして活動していたが、alwaysの世界観に共鳴。
現在はフロントエンドエンジニアとしてサービス開発に尽力している。
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