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小児科医の私がなぜ“病児保育“に取り組んでいるのか

こんにちは!
CI Inc. CMOの森です。
CMOといっても “Marketing” ではなく“Medical” 、つまり医療の見地についての責任者です。
弊社の代表である園田の想いに感化され、この様な立場におります。

生い立ち

私は1983年に長野県で生まれ、神奈川県で幼少期を過ごした後、静岡県の富士市で育ちました。

私の原体験は、私が中学生だったころに年下の従妹を病気で失ったことです。
それは突然の出来事で、青白い従妹の顔を見るまで現実感すらなかったことを覚えています。

その時に、従妹を亡くすこと自体の悲しさはもちろん、祖父母や叔父叔母、私の両親の悲しむ姿を目の当たりにして、「子どもを失う」ということがその家族にどれほど大きな影を落とすのかを身をもって体験したのです。

桜の散るころになれば、私は彼女と遊びまわった日々やあの頃の感情を今でもありありと思い返します。

医師を志す決定的な動機は、高校生の時に同級生が病気で亡くなったことだと思います。
いつ病気になるか誰にもわからず、誰にでも起き得ることで、後悔のしようもない。
多感な時期にあった私は、どうにもいたたまれず、医学を学ぶことがこの苦しみや悲しみを起こさないために最短距離なのではないかと考えました。

医学の道へ

ありがたいことに金沢大学で医学を学ぶ機会を得ることができ、多くの恩師や仲間を得ました。

医学部卒業後、自治医科大学での初期研修時代に、後にCI Inc.を立ち上げることとなる園田と出会いました。

先のような原体験から私はこどもが好きで小児科医になったというよりも、こどもを失い悲しむ人を減らしたい」
という思いを持って小児科を選びました。

そのため、一般的な小児科ではなく、心臓病という比較的重症度の高い領域を選択しました。



医師として駆け出しの頃に担当した赤ちゃんも、中学校に上がるくらいの年齢に達しています。生まれてすぐ生死の境をさまようような重篤な病気を大きな手術を何度も乗り越え、成長していく子どもたちの姿には本当に驚かされます。

ただ一方で、現在の医療の中でも、一部の複雑心奇形や重症心不全に陥ってしまった場合には救命が困難なことがあるのも事実です。こういう道を選んできたがために、かえって「助けられない」という現実を改めて体験してしまうことにもなりました。

また、成長された方の中にも保育園に預っていただけなかったり、手術の傷があることで学校でいじめられてしまったり、就労が難しかったりする方も一定数おられるという現実もあり悩みは増える一方でした。

願いを持ってCI Inc. へ

今の私個人としての切なる願いは、病気をもって生まれた子どもたちが、病気と共にであっても生きられるのであれば、病気のない子どもたちと同じように生きられる社会であってほしいということです。

なんとかつなげられた命が社会的に生きにくいのであれば、小児科医としてこれほど悲しいことはありません。
生きたかったけど生きられなかった命が求めた〝明日〟は、せめて美しくあってほしいと願わずにはいられないのです。

では、病気のない子供たちを取り巻く環境は充実しているのでしょうか。
「もしそこが充実していないのであれば、私が望んでいるような社会の実現はまだまだ先なのではないか?」
そんな疑問を持った時に、代表の園田から声をかけられました。

彼の目指す〝安心して子育てをすることができる社会〟の先、あるいは過程に、私の目指すものもあるのだろうと感じました。
これが、私が園田とともに病児保育に取り組むことになったきっかけです。

彼と走ってきたなかで、病気を持たない子どもの保護者もやはり苦しんでいるという単純なことにも改めて気づくことができました。
まずは病児保育を通して社会課題に地道に光を当てていくことで、こういった苦しみも一つ一つ着実に軽減できると信じています。



まだ始まったばかりですが、今後も熱い志を持った仲間と「安心して産み育てられる社会」を作るために邁進していきたいと思います。

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