元サッカー選手からプロスポーツビジネスのコンサルタントに転向された竹田忠嗣さん。
プロスポーツ選手からコンサルタントになる選択をした理由をインタビューしてきました。
スポーツ業界におけるコンサルティングに興味のある方はぜひご覧ください!
※選手時代について
U-18から2005年ジェフユナイテッド千葉のトップチーム入り。同時に慶應大学総合政策学部に入学し、サッカー選手と学業を両立。ファジアーノ岡山、FC岐阜の3クラブで17年間プレーし、2022年4月に現役を引退。同5月1日株式会社船井総合研究所に入社。
船井総研での業務は何をしてますか?
私はいま、レジャー&スポーツ支援部に所属し、プロスポーツビジネス、すなわちプロスポーツチームの業績アップを支援しています。
また、2022年6月に「地域プロスポーツビジネス経営研究会」という経営者向け勉強会が立ち上がりましたので、その運営のほか、インドアゴルフやフィットネスジムの支援も少しずつお手伝いしている状況です。
サッカー選手時代の人脈は活かしていますか?
私はJリーグに17年所属し、現役中は日本プロサッカー選手会の理事も務めていましたので、Jリーグのなかに人脈はあるほうです。
プロスポーツ業界の特徴の一つですが、非常に狭い世界だということもあり、選手時代の人脈が生きているという実感はあります。
一方で、船井総研のプロスポ―ツビジネスは、これからチームを立ち上げていくような黎明期のプロスポーツチームが基本的なターゲットになっています。
というのも、プロスポーツチームの収益はスポンサー営業が売上の50%〜90%を占めています。プロ野球やJリーグのような知名度のあるチームは価値があるのでスポンサーがつきやすいです。しかし、黎明期におけるプロスポーツチームはスポンサーがつきにくく、運営面で苦しむことが多いのです。
ただどこのチームにもこの苦しい時期があり、ここを乗り越えると一気に世界が変わるのがプロスポーツです。
こういうスポーツチームの業績アップを行うのが、今の私の使命です。
船井総研の入社理由を教えてください
船井総研に入社した理由は大きく2つあります。
1.プロスポーツ業界をより一層盛り上げる人材の一員になりたい
2.ビジネスの視点を持った人材にいち早くなりたい
プロスポーツ業界をより一層盛り上げる人材の一員になりたい
1つ目は、今後のプロスポーツ業界をより一層盛り上げる人材の一員になりたいと思ったからです。
私がいたJリーグは、これまで30年という歴史を経て、日本各地にサッカー文化を根付かせてきました。
そのおかげで私は幼少期からの夢を追い続け、キラキラした世界でそれを応援してくれる地域の人々と同じ夢を共有する、なかなか味わえない貴重な経験をすることが出来ました。
一方で、選手時代に他競技の選手たちと交流する中で、日本のプロスポーツ業界は競技ごとに課題は違えど、発展途上だということにも気付きました。
学生時代から練習を積み重ね、プロとしてトップの領域に来た方たちが、競技以外の運営面の課題で苦しむようなことは今後少しでもなくしていきたいです。
将来本気でプロの世界を目指す子供たちを増やしたい、そのための課題を一つ一つ解決する手助けをしたい、と思ったことが理由です。
ビジネスの視点を持った人材にいち早くなりたい
2つ目の理由は、ビジネスの視点を持った人材にいち早くなりたいと思ったからです。
基本的には、船井総研でビジネス経験を積んだ後は、再びサッカー界に戻り、日本サッカー界の発展に寄与できるような人材になりたいと思っています。
しかし、私が引退を決断したときの年齢は35歳。大卒で数えるとちょうど13年目の社会人の年齢になります。
社会人経験は13年(実質高卒からプロなので17年)ですが、選手という特殊な経験しかない。同年齢の自分の知人は既に会社でそれなりの役職についている人も多く、少しでもその視点に近づかなくてはいけないと思っていました。
そんな中、船井総研の特徴の一つに、20代のコンサルタントの成長が著しく早いということに目を付けました。
新卒が即戦力になるためのノウハウがここにはあると、私は35歳のほぼ新人でしたので笑、船井総研なら時空を超えて成長出来るのではないかと考えました。
選手の視点から現場を知っている、且つビジネスの視点を持っているなんて最強ですよね。
コンサルタントとしてのキャリア観を教えてください
17年間サッカー界にいましたが、全く異なる業界の船井総研に入るきっかけとなったのはプロ1年目の監督だったオシムさんの言葉でした。
“リスクを冒さないと、ゴールは生まれない”
この言葉の意味するところは、サッカーは守備的に行動すれば勝てたりもしますが、リスクを冒してゴールを狙い続けるサッカーの方が魅力的で面白い。
それを比喩的に“チャレンジし続ける人生を選んだ方が楽しくないか?”という言葉が今の僕のキャリアの起点となっています。