EZO CONSULTING GROUP株式会社(以下:EZO)の採用担当三上早紀です。今回はロボットによる自動手紙作成サービス「反響革命」のマネージャー西村賢人さんにインタビュー。大学中退後、20代で飲食店や宿泊業などをさまざまな業界を経験してEZOに入社した経歴をもつ西村さんに、転職への考えや異なる業界でも成長を止めないマインドを聞きました。
反響革命事業部マネージャー 西村賢人
1992年東京都生まれ。アルペンスキーにてインターハイ・国体出場。2012年慶應義塾大学中退後、山形県内の老舗旅館、株式会社リクルートカーセンサーを経て2021年2月EZO CONSULTING GROUP株式会社入社。反響革命をゼロから事業として立ち上げ、現在は事業企画全般を務める。1件でも多くの反響をクライアントに届けるべく日々業務にあたる。好きな食べ物はラーメン二郎三田本店。
4つの業界を経験した20代
——簡単に自己紹介をお願いします。
反響革命事業でマネージャーをしている西村です。2021年2月、28歳でEZOに入社しました。反響革命とはロボットで手紙を自動作成し、不動産会社の土地や建物の仕入れを支援する事業です。
大学を辞めた後フリーターになり、大学近くの宅配ピザ店で3年ほどアルバイトしたあと、先輩に誘われて山形の老舗旅館に正社員として入社し、3年弱働きました。それからリクルートのカーセンサーという中古車情報サイトの営業を3年経験し、EZOに新規事業の立ち上げメンバーとして入社しました。
——飲食、宿泊、中古車、不動産とさまざまな業界を経験しているんですね。
はい。宅配ピザ店では店長代行の役割を担い、アルバイトの勤怠管理をしながら毎日店舗を切り盛りする楽しさに目覚めました。やりがいもあったのですが、安定した職に就こうかなと、正社員としての転職活動をしていたところ、大学の先輩に誘われて山形の老舗旅館に入社しました。
——旅館ではどんな業務をしていたんですか。
本社の経営企画室に配属されて、CRMを作ったり、インバウンド旅行を受け入れる体制の整備をしたり、旅行会社への営業などを担当しました。特にオーストラリアと中国マーケットが担当で、現地へ営業や旅行イベント出店のために海外出張することもありました。
入社したばかりの頃は旅館の仕事を学ぶために受付やお風呂の掃除、布団の準備など現場の仕事も経験しましたね。スタッフの年齢層が高かったこともあり、大型バスの運転もしていました。
約3年が過ぎて、改めて一から社会人の基礎を学びたいなと思うようになり、リクルートの中古車情報サイト「カーセンサー」に転職しました。
異動か転職か。決め手は「ビジョンへの共感」と「限られた時間」
——旅館を辞めて転職しようと思ったのはなぜですか。
「あと4、5年で30歳になるのに、社会人としてのスキル、本当に身についているのか?」と思ったんです。
旅館では営業やインバウンド誘致など幅広い業務を経験しましたが、わりと慣例にのっとったフローで進むことが多く、新しいスキルが身についている手応えや、他の場所でもやっていける力みたいなものが身についているのか、不安に思うことがありました。
僕はいわゆる新卒入社というのを経験していなかったし、基礎的なことでいうと名刺交換の仕方を教えてもらったこともなかったんです。
30になる前に、社会人としての基本を一から始めようと転職活動を始め、面接担当者の人柄と「業界を変える」というメッセージ性、あと車が好きだったので「カーセンサー」に決めました。
——カーセンサーで社会人として学んだことで印象に残っていることはありますか?
「何のために仕事をするのか」という働き方のスタンスですね。
それまでの僕は、なんのために仕事をするのかを考えたこともありませんでしたし、とくにやりたいこともありませんでした。
しかし配属して最初の上司に「自分達が数字をあげたいから、ではなく、お客様に何をしてあげたいか、が先にならないとなにも動かないぞ」と教えられて。
「極端な話、数字は最終的に辻褄を合わせればいいじゃん。本当にお客様がやってほしいと望んでいることをやるべき。そうじゃないことをやる意味ある?自分の家族にも提案できることをお客様に提案しなさい」と言っていたんです。
自分がやりたいことを中心にすると「僕は何がしたいんだろう?」を考えることになりますよね。そうするとやりたいことがない場合、目指す先を見失ったり、打ち手を考えられなくなったりしてしまいます。
しかし「お客様はどうしたいんだろう?どうなりたいんだろう?そのために自分は何をしたらいいんだろう?」を考えると、自然とやるべきことが頭に浮かんでくるようになりました。
——スタンスが変わって行動の変化はありましたか。
お客様のやりたいこと、目指すことを実現するために、お店の状況や周りの環境を分析したり、直接お客様に聞くようになりました。ときにはご意見をいただくこともありましたが、その分腹を割って話すことでたくさんの学びを得ましたね。
そういう姿勢で仕事に向き合っているうちに、中古車業界での情報格差を構造的に変えるためには自分達の商品の仕組み自体を変えなければと思うようになり、企画職を希望。企画職には東京での営業経験が必要とのことで、2021年の春に東京の営業チームへ転勤する話をもらっていました。
——EZOへの入社が2021年2月ですよね。希望が叶いそうなタイミングでEZOへの転職をしたのはどうしてですか?
転勤の話をいただいたと同じ時期に、EZOが一緒に働く人を探していると、先輩から(EZOの)田中雄土社長を紹介されました。
——EZOで働かないかと誘われたんですか。
いいえ、そういうわけではなく、僕の周りにどんな人がいるのか、EZOにあいそうな人ってどんな人だと思うか教えてほしいということでした。しかし事業の話を聞いていて、僕自身が転職したいなと思ったんです。
——それはどうしてですか。
自分の人生の時間を優先しようと思ったんです。
企画職への異動には東京での営業経験が必須でした。2、3年営業職をしてから企画職へ異動となると、さきほどお話しした「中古車業界を変えるために商品を作る」を実現するまでには時間がかかります。
しかしEZOの反響革命事業は立ち上げ段階なのですぐに企画に取り組めます。会社としても新しい事業なので、考えたことをすぐに反映できる環境だろうと。「業界の負を変える」「業界をもっとよくする」というのは僕の仕事のうえでのアイデンティティでもあり、EZOの「既存の価値観や業界の慣習にとらわれることなく不動産の色あせない価値をつくる」というメッセージにも共感しました。
業界は違っても「業界の負を変える」に取り組めるのは同じ。しかし、今の場所だと業界の負を改善するための企画という仕事に辿り着くまでに2〜3年かかる。でも転職すればすぐにできそうだと思ったんです。
それならば自分の限りある人生の時間を優先しようと、転職を決めました。
——さまざまな業界を経験した西村さんにとって、業界が変わっても活躍するために必要な力ってなんだと思いますか。
「やりきる!」って気持ちと、自分の軸を言語化できる力だと思います。
飽きたり、迷ったり、立ち止まりたくなる瞬間は誰しもあると思います。でも「自分はなんでここにいるんだっけ?」って思った時に「自分がそこで何をしたいのか」が言語化できていて立ち帰れると、自分自身や、これから行く先を見失わないと思います。
僕の場合は「なんのためにEZOに入ったんだっけ?何を達成したかったんだっけ?」を見失わなければ、やりたいことはたくさん出てくる。日々の現場業務で大変なことや難しい場面にぶつかったとしても、「お客様のために何をしたいんだっけ?」を思い出せれば、歩みが止まることはないと考えています。
やる理由を見つけながら、同じ方へ向かいたい
〈ミーティングをする反響革命のメンバーら。写真中央:西村〉
——反響革命の今後についても聞かせてください。
2022年5月に反響革命が立ち上がって約2年。僕が入社したときにはまだ具体的なプロダクトもなく、経営陣2人の頭の中のイメージでしかありませんでしたが、今では全国の不動産事業者約100社にご利用いただくサービスにまで成長しました。
今後もサービスを拡大していくために、今は組織作りに力を注がなければと感じています。今は少人数なので、情報伝達のルールや仕組みがなくてもコミュニケーションがとれています。
でもこのままの状態で人数が増えると、声が届かなくなってしまうのではないかと危機感を抱いていて。「あれをやりたい」「このフローを変えます」っていう発信をした時に、それを何のためにやるのか、どうして、目的は何?誰のためにやるの?という意図や目的まできちんと伝わらないと、業務の密度や仕事の方向性がバラバラになってしまいます。
新しい仲間が入ってきた時に、すぐに同じ方向を向いて働けるような仕組みや、相互に影響を与えながら動けるルールや風土を作っていくことが大事だと思いますね。
——そのためにどんな人と一緒に働きたいですか。
“やる理由”を見つけられる人と一緒に働きたいです。
何かをやろうと思ったときに意見を出したとして、それがやらない理由だけだと前に進まなくなってしまう。「こんな課題があるんじゃないですか?だから、こうしたらできると思います」と、前に進むための議論ができる人だとうれしいですね。