1〜4話はこちらから
https://www.wantedly.com/companies/evolable/post_articles/110943
(第5話)
UBERに乗り込むとDomesticと告げて、空港に向かう10分ほどの道のりでスマホを見ながらちょこちょこと仕事をする。
アプリのちょっとした不具合に気づいて、スクショを取り連絡を送っていたのだから、酔は回っていたとしても泥酔と呼ぶ類のものでなかったのは確かだ。
ちなみにベトナムの国内線は40分前チェックイン締切。ちょうど締切10分前に空港に着いてチェックインを済ませることができる段取り。旅慣れているがゆえに特にあせることはない。
そうこうするうちにUBERは首尾よく空港へと到着する。
ベトナムでは滅多に乗らないUBERだったため、財布を取り出そうとして改めてメーターがないことで思い出す。
今思えばこのあとの悲劇もUBERだからこそ起こったのかもしれない。
UBER運転手がトランクから取り出した荷物を受け取り、半ば習慣となった座席に忘れ物がないかを確認をして、やや急ぎながら空港の中へと向かう。そこで僅かに感じる違和感。
フライトの一覧を示す液晶を見て気づく。
国際線だ。そう普段使っているホーチミンのタンソンニャット国際空港なら絶対に気づけたこと。
そしてUBERでなくタクシーなら十中八九聞かれる国内線か国際線かの質問が無かったことが災いした。
重ねて大き過ぎる荷物も小脇に抱える真冬に着るコートもドライバーを僕の目的地が国際線と思い込ませるには十分な材料だった。
時計はすでに18:10を表示していた。
残り10分。ダナンて国際線と国内線どれくらい離れていたっけ?手にはあふれるような2週間分の荷物。じわり。今まで感じていた余裕は吹き飛びトランクケースを握る手には嫌な汗を感じていた。
(第6話)
とにもかくにも急いで国内線に向かわなければならない。そう10分以内に多すぎる荷物を抱えて国内線に向かわなければならない。
パッと目に入ったベトナムで躍進するLCC、Vietjet Airのカウンターに国内線はどっちと聞く。
1階に降りて、向こうに5分歩けば国内線のターミナルだと教えられる。
多すぎる荷物に少し手間取らされたとしてもぎりぎりチェックインには間に合う。
もしかすると、日本の読者は思うかもしれない。少しぐらい過ぎても国内線のチェックインは受けつけてくれるだろうと。
しかし、そんなことはないのだ。ベトナムの国内線に100回以上乗っている僕はたとえナショナルフラッグのベトナムエアの最上級クラスのダイアモンド会員であってもばっさりと切られることを知っている。
幾度となくカウンターで争って敗北した苦い記憶が蘇る。
急がなくてはならない。
急がば回れ。という格言を吹き飛ばす程度には僕は焦っていた。
カートに荷物を乗せて移動するという当たり前の判断すら、その時の僕はする余裕を失っていた。
エレベーターに乗り込み、地上に降りて歩く。ただひたすらに歩く。
国内線のターミナルを目指して歩く。
途中に転がっていたカートを見つけた時に初めてカートに荷物を乗せたほうが早いと気づく。
カートに荷物を乗せて先を急ぐ。
国内線の到着ターミナルにつき、エレベーターに乗り込み3階の国内線出発ターミナルにやっとの思いでたどり着く。
エレベーターを降り、目の前は見慣れたチェックインカウンター。優先カウンターには列はない。スマホを見る。6時20分。間に合った。
安堵の気持ちが僕の中に駆け巡った。
(第7話)
ない。ない。ない。銀色のジミーチュウのクラッチバッグがない。
愕然とする。ビジネスバッグを覗く。パスポートケースはおろか財布も入っていない。
チェックインカウンターのスタッフが優しく僕に尋ねる。パスポートがないの?
思わず叫ぶ。僕の鞄がないんだ。
スタッフが僕にさらに尋ねる。後ろに来た乗客を先に受けつけていいかと。どうぞと応えるしかない。
そして動揺を隠せない僕は探す。探す。ジミーを探す。はては入っているはずもないボストンバッグをあけてみる。人間とは不思議なもので混乱をきたすと0%の可能性すら探す。
そして現実を受け止める。ないものはないと。
そして、パスポートも財布も日本から持ってきた数十万円が入った三井住友信託銀行の封筒も日本の在留カードもシンガポールのEPもクレジットカードもジミーチュウも全てを失ったのだと。
そして否が応でも予感する新興国でそれが起こった時に待ち受けるその後の運命も。
ちなみに、そんな時にするべき最良の手段をあなたは知っているだろうか。僕は知っている。諦めることだと。
現に数年前にタクシーから降りて、数十秒後にいつもならあるはずのヒップポケットにある財布の感覚がないことに気づいたときに、全てのクレジットカードも運転免許証も保険証も間が悪く入っていた数十万円の現金を失ったときに僕は諦めた。
そしてその数分後には全てを受け入れてそれを見つけたタクシードライバーとその家族におとずれた小さな幸せを祝福した。
同乗していた友人に一人ODAだよ。と嘯いたことも、一生自分が運転する車に無免許で乗らなければいけないような緊急自体が訪れない限り乗らなくていいとそれ以来、運転免許証を再発行していないし、おそらくは失効したことも覚えている。
そう、新興国で貴重品を失った時に出来る最良の行動は諦めることなのだ。
もちろん諦めたあとに稀に見つかることはある。それでもなお一度諦めて冷静になることだと僕は断言出来る。
懸命な読者は気づいただろう。この物語は僕とジミーが起こした物語だということに。そして第一話のあのラウンジのジミーチュウの写真が最後に迎えるハッピーエンドを予感させるかもしれない。
それは間違ってはいない。
それでもなおこの物語を読み進めることをオススメする。この物語を読みおえた時に懸命なあなたはきっとその意味を知るはずだから。
(第8話)
全てを諦めた後に訪れる僅かばかりの冷静さは少しばかりの勇気を与えてくれる。その時に訪れた小さな勇気は僕に諦めの中の一筋の光を示した。どこで無くしたかをはっきりと覚えていない。
そこから導き出せれる2つの可能性。食事を取ったダイニングに忘れてきたという可能性とUBERの車内に忘れてきたのではないかという可能性。
そして、その2つのどちらかの場合、見つかることもあり得るということに気づく。
まずはつい30分前に楽しい時間を過ごしたダイニングに電話をする。こういう時にスマホは有難い。グーグルはいつもと変わらず冷静に店の番号を僕に教えてくれた。
すぐにダイアルをする。話し中。間髪をおかずにリダイヤル。つながる。電話の先のスタッフにさっき食事を取っていたものだけど、サラダとカルボナーラと白ワインを飲んでいたものだけど、鞄を忘れてはいないかと勢い込んで尋ねる。ちょっと待ってねと言われて、祈るように待つ僕をよそにツーツーと切れた電話の音が響く。
すぐにリダイヤル。先ほどの電話口の女性かどうかもわからず、さっき食事を取ったものだけど、サラダとカルボナーラと白ワインを頼んだ僕だけど、鞄を忘れてはないかと。一番道路よりの席に座っていた僕だよ。と告げる。何時くらいかと聞かれる。苛立ちと焦燥と祈りが混じる気持ちで、5時過ぎに来たと告げる。
あーちょっと待ってね。と告げられる。
なぜかこんな時その状況を全く知らない人にも人は共感を求めてしまう。僕の今の状況を祈りを察して欲しいと。無限にも思える数十秒を祈りながら待つ僕に、スタッフが審判を告げる。
「ソーリー。ノー」と。あーそういえば、さっきバーガーを頼んだ僕にも同じセリフを告げたななんてことを村上春樹の小説の主人公なら思うのだろうが、僕にはそんな余裕はなかった。
「本当に?本当にないの?」と無様にも縋るような声で尋ねる。
今度は少しばかり同情を込めた声で彼女は告げる。「ソーリー。ノー。」
無数の想像が駆け巡る。僕のちょうど向かいに置かれたジミーは道路にさらされていていつ攫われてもおかしくない場所にいたなとか。
少しばかり残されていた希望と勇気が0になる前に僕はその場から動き出しながら、UBERのアプリを立ち上げた。
その時僕の頭の中に巡っていたのつい1週間前にセブにある合弁会社のCFOの女性スタッフがランチをとりながら教えてくれたハッピーエンドのストーリー。
この間セブに来た合弁先の社員がUBERのトランクにパスポートも入った状態でスーツケースを忘れた時の話。
機転を効かしたそのスタッフがUBERの情報からfacebookを辿り、そのドライバーを特定し、連絡して無事手元に戻って来たというテクノロジーが生んだちょっとした奇跡の話。
そう消えそうになる小さな希望と僅かばかりの勇気をその話が支えてくれた。
僕には僅かばかりの可能性がまだ残されていた。
続きはこちらから
https://www.wantedly.com/companies/evolable/post_articles/110993?source=feed-activities-following