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辰野金吾と南天苑の歴史

1913年 潮湯 竣成

堺市大浜公園に娯楽保養施設として建設された「潮湯」。設計は辰野氏率いる辰野片岡建築事務所でした。この別館で、家族向けの入浴・遊戯・休憩施設だった「家族湯」が、南天苑本館になります。右の写真、洋風建築の潮湯本館は戦時中に焼失。移築された別館だけが南天苑本館として現在に姿を留めることになります。

1935年 天見温泉に移築竣成

1934年室戸台風で破損したことを機に、 1935年、南海電鉄が有馬温泉に対抗し沿線でも温泉地(天見温泉郷)を開発したいという意向で「潮湯家族湯」を古来より鉱泉の湧く天見へ移築。同年、大阪の松虫花壇が別館として営業を開始。

1949年 南天苑創業

戦時中、奢侈を控える風潮にて松虫花壇別館が閉館。戦後、空白の期間を経て、1949年に南天苑として創業いたします。この頃から、大浜「潮湯家族湯」の移築話は口承となり、辰野金吾氏設計説は真実が明らかにならぬまま現代に至りました。

2002年 明治建築研究会による調査開始

柴田正巳氏が代表する明治建築研究会が南天苑の調査を開始します。南天苑本館と「潮湯家族湯」との関係が照合されてゆく南海電鉄資料室から戦前の移築当時の資料が発見され、潮湯別館の移築であることが証明されました。

2003年 国の登録有形文化財に指定

口承だった辰野金吾設計説が確実な資料のもとに証明され、2003年、「歴史的な様式をとどめ、現代に残る近代建築である」という理由で、国の登録有形文化財に指定。 旅館業を営みつつ生きた文化遺産として後世にその姿を伝えることになりました。

これから

東京駅や日本銀行本店を設計した名建築家辰野金吾氏による和風建築は希少で、現存する代表的なものは奈良ホテル・武雄温泉・南天苑の3つだけになります。日本の原風景の様な自然豊かな天見の里山の風情、戦禍をのがれ百年を超える年月変わらぬ姿をとどめている 日本旅館南天苑。「大事にしなはれ、もうこんなとこどこにもないわ」という ご贔屓のお客様の声に励まされ、未来に向けて守りそして世界に向けて発信しています。

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