ダイレクト出版の社員に向けて書いたレターを転載しています。
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To: ダイレクト出版のみんなへ
From: 小川忠洋
組織が大きくなればなるほど、チームに人が増えれば増えるほど、「コミュニケーション」は、とてつもなく重要になってくる。
なんでそんなにコミュニケーションが重要かというと、ちょっとイメージして欲しいんだけど、組織というのは、各人が異なった「機能」つまり、「役割」や「責任」を担っているわけ。
心臓は血を全身に送り出す機能、肝臓は体の有害物質を処理する機能というように、組織というのは、1個の生命組織であろうが、会社のような社会的組織であろうが、大抵は、異なった機能を持っている細胞の集まり。
生命組織であっても、例えば腕を怪我して、そこから流血してしまったら、その細胞はその情報を送って、怪我したところに雑菌が入らないように免疫系が働いたり、もしかしたら、流血が多くならないように血圧も下がるかもしれない。(門外漢なので何も知らないんだが。)
脳の構造を考えてみてもわかる。脳が高度な思考をできるのは、脳細胞と脳細胞がシナプスと呼ばれるものでコミュニケーションしているからだ。(電気信号のようなものなのかな。)
要するにコミュニケーション、つまりは、情報の流通は、組織を1つの細胞の集まり以上の機能を持つより高度なものにする、基本的なものなわけ。大切なのは「情報」が行き交うことで、コミュニケーションが大切だからと言って、雑談やおしゃべりが必要だというわけではない。(ちなみに、雑談にも価値はある。)
コミュニケーション・エラーが起きると、「言った」「言わない」という不毛な話になる。それで、最終的にはどっちに責任があるかわからない、うやむやな状況になってしまう。責任がうやむやになるのはとても日本的だが、これではいつまでたっても改善しない。
なので基本的な原則をもう一度、確認しておきたいと思う。基本的にコミュニケーションは、「相手が受け取った量」が成果だ。自分が話した量は全く関係ない。なので「あの件、よろしく」でも相手に伝わっているならOKなわけで、10分くらい詳細に説明しても、相手に伝わっていないのならNGなわけ。
そうすると、考えてみるとわかるのだが、「言ったやん!」というのはまるで意味がない。大切なのは自分が言ったかどうか、ではなく、相手が受け取ったかどうか、なわけ。
となると、コミュニケーションの「責任」はどこにあるか?というのが明確になる。
そう。伝え手だ。つまり発信者である。コミュニケーションの責任は発信者にある。
例えば、ぼくが誰かに仕事を委任したとして、全く違う成果物が上がってきたら、しっかりと伝わってなかったという意味で、責任はぼくにあるわけ。
相手が聞いてなかった。なんてことは言い訳でしかない。だからこそ、伝え手は、自分が伝えたい事が相手にきちんと伝わっているか確認する必要がある。そして、自分がメモを取るだけでなく、相手がメモを取るのを確認する必要がある。(相手がメモも取らずに頭のなかに入れといて、忘れましたじゃ困るわけだ。)
これは、チャットや電話などでしかコミュニケーションを取らない外注の人とかと仕事するときにも、大きなポイントになる。
人間、相手が悪いって思ってたら、絶対に成長はしない。
そして、責任所在が不明確だと、誰も嫌な思いをせずに済むが、同じような間違いをずっと繰り返すことになる。
コミュニケーションは伝え手に責任がある。
と考えれば、エラーが起きた時も、責任がどちらにあるのか?明確になる。責任が明確になれば、次回からは改善されるはずだ。
間違いをしたり、失敗をするのは決して悪いことではない。
しかし、それから学ばなければ、ただの失敗、ただのアホだ。
自分の間違いを認めるのは、誰にとっても気持ちのよいものではない。
しかし、人が成長するときは、大抵、嫌な思いをしたり、ストレスのかかる時だ。
重要なことなので忘れないでほしい。
「コミュニケーションは相手の受け取った量」が成果であり「責任は発信側」にある。