「行ってみないと始まらない…」
どこかのテーマパークか旅行代理店の広告で使い古されたような陳腐な言い回しであるが、今回の出張はまさにそのフレーズが相応しいものであった。
今回訪問した主な目的は当社未踏の中央アジア圏における新規案件の発掘である。キルギス、カザフスタンの2カ国を周ることとなった。
但し、どちらの国においても圧倒的な割合で相手方が英語を苦手としており、当方もキリル文字には全く親しみがないため、コミュニケーションに大きな課題が残るものの、マイクロファイナンスであれば、ビジネス上の言語や肌感覚は共通しているだろうし、このエリアに降雪期に行くよりはマシ、と見切った上での渡航となった。
キルギスの首都ビシュケクでは計3件の候補先と会うことになっていたのだが、大まかな訪問日程が確定した後に「ちなみに月曜は祝日だから面会は火曜以降で」と言われてしまい、しまった!と思っていたものの、上手い具合に調整が利き、ビシュケク到着日の夜に現地案内役と会い、その翌日午前が候補A社、午後に大手外資系機関B社へ表敬訪問、翌水曜昼に候補C社との面談を終えた後、カザフスタンへ移動というスムーズなスケジュールに我ながらうっとりしていたのであった。
Day 1:繋がらない男
夜分に成田を出て、まだ薄暗い明け方に乗継のドバイ空港に着くと、物悲しい響きが漂う宗教音楽に送られながら、ターミナル間の移動バスは賑やかなモールから外れた方向を目指し、恐らくは最も不便であろうエリアへと到着した。隣ゲートはカーブル行き(アフガニスタンの首都)との表示や、ヒジャブを被った母子が大量の箱状の荷物を抱えて待機しており、此処に至って漸く自分が今まで想像の範囲でしかなかったエリアに行くのだなという実感が如実になってきた。
機内で複数回の居睡を経て、国際空港と呼ぶには少々物足りない感がある小振りなマナス国際空港に着き、入国手続きを終えて辺りを見渡すと、目指していた携帯事業者のブースが目に入る。ここで30分ほどやりとりを続けるのだが、一向に手元の端末計3台どれも認証がなされず、現地SIMを入手するという目論見が崩れ去ってしまった。諦めて市内のホテルへ向かおうとするも、恐らくはブースで苦戦していた此方を遠目に狙っていたのであろう複数のタクシー運転手が次々に声を掛けてくる。バスで行くから構わないでくれ、と覚えたてのロシア語交じりの英語で伝えるも「今日は祝日だからバスはない」とのことであった。途方に暮れたまま、ロータリーの右手に目をやると探していたバス380番がしっかり待機しており、タクシー運転手達の安易な嘘に呆れながらも、バスに乗り込んだ。このバス、市内まで50ソム(約80円)で連れて行ってくれる優れものである。
因みにビシュケクのバス交通網は旧ソ連時代の名残からか驚くほど充実しており、市内の移動であれば10ソムから乗れるため、UBERやGrabのようなライドシェア系のサービスは入っていない。また、走っている車について、現地入りするまではLADAのような旧ソ連的な車両ばかりが走っている風景を期待していたのだが、空港から市内への移動中に見ていた限りでは10台に1台どころか100台に1台程度しかなく、メインはトヨタ車、また聴き慣れた水平対向エンジンの音に振り返れば、かつて自分が乗っていた初代フォレスターと同じモデルが半ば地面にバンパーを擦り付けながら爆音とともに去って行く状況であった。そのため、ビシュケク市内では保管状況の良い旧ソ連系の車両を見つけた際に、まさにコレだ!と写真を何枚も撮らせてもらった。
尚、製造年の浅い日本車が走り回っている背景としては、少し前まで多くの旧CISの国民がロシアへ出稼ぎに行き、そこで貯めた資金でロシアに輸出されてきた日本車を買う、ということが流行っていたらしい。元々が平原の民であり、「鉄の馬」である自動車は大事に乗るため、頑丈さやメンテナンスの確実性や部品の入手可能性、コストの観点で日本車が圧勝ということになったのであろう。
想定していなかったほどの日本車と驚くほどの数の親子連れを見ながら、なんとか宿につき、wi-fi接続を得て、現地案内役に到着の旨を伝え、夜に会うことを再確認して横になると、そのまま夜まで寝入ってしまった。
Day 2:大当たり
昨夜、aрпaというキルギス産の比較的ライトなビール一杯で留めておいたこともあり、寝起きに全く支障はなかったのだが、シャワーがいつまで待っても湯にならず、仕方なく行水から一日が始まった。初見ということでタイを締め、ややドレッシーな外羽根タイプのワークブーツにスーツ、手土産という格好でホテル前で待っていると、定時に訪問先A社のCFOがやってきた。投宿先から先方のオフィスまで、ものの5分といったところだったので、挨拶もそこそこに大統領府の見える建物敷地に到着し、塹壕のような半地下のスタッフ用通用口から中に入る。
湿度が低く、建物の寿命が長い地域ならではの傾向なのだろうか、とにかく建物が古い。ドアの建て付けの悪さ等に多少不安になりながらも応接室へ通されると、代表が通訳を連れて出迎えてくれた。穏やかな家長といった風体の代表は英語がそこまで得意ではないとのことで通訳を介しての挨拶となったが、これが大当たりだった。
「当社では、借入人とその家族に便益が図れるサービスを提供することを信条としている。逆にいえばグループファイナンスなどはそのポリシーに反するので行っていない。」
当初の挨拶は形式めいたもので終わると思っていたところを見事良好な方向に裏切られ、こちらが知りたかった核心的な部分へと一気に踏み込んでくれるものだった。爾後、コンプライアンス担当やマーケティング担当、CFOとの個別面談についても、欧州系の金融機関からの調達を経験しているせいか、概ねこなれた感はあり、スムーズに進んだ。ただ、通常の銀行融資と当社からのローンによる資金調達とで、差異を噛み砕くのに若干苦戦しているようであったので、後で多少フォローが必要だなと思った程度であった。
その後、実際にA社の融資希望者が並ぶ店内の見学を終えると、近くのキルギスレストランに移動し、国内地域の経済格差やワールド・ノマド・ゲーム(遊牧民オリンピック)といった話題まで交わしつつ、どこの部位が不明ではあったが、牛や羊や馬の肉や麺類を味わった後、謝辞を伝えると次の面会先へとタクシーに乗った。
午後からの面会先はキルギス国外の資本ながら、現地に即した事業を長年続ける国際的な大手金融機関である。他のブランチとのコンタクトがあったことから、表敬的に訪問したものであったが、ここでも意外な反応が得られた。詳細は省くとするが、通常であればスケールメリットが働いて低減することが期待されるコストが意外にも国際水準での調達となると割高となってしまうらしく、当社との協業余地は充分にあることを双方で確認し、和やかに終話した。しかも有難いことに、見学しておこうと思っていたバザールまでのタクシーまで手配してもらい、これまでのところキルギス出張は大成功だな、と安堵した次第であった。
(中編につづく・・・)