オフィスに1人になると繁々とビルの屋上に上がる。
六本木のはずれにしては、広く抜けている眺望で、夕映え時や月がのぼる時に10分ほどぼんやりするだけで随分と気分転換になります。
コロナ感染に怯えている間に過ぎた2020年上半期。
その真っ只中だった3月に、入社4年目に入りました。
「前兆に従って行くこと」を書いてから3年の間。
これまでの経験や知識を総動員しても、後悔や反省の念を常に抱えながら、業務をこなしていく毎日。
調べて、考えて、迷って。
この1年は特に「どう組織にしていくか」を常に考えたように思います。
それでも、3年という時間を経て、最近なんとなく自分の感覚を信じられるように、
そしてそれを根拠として仕事に活かすことができているという感触を得てます。
初めて部門長を担当した8年前。
人生で1番しんどい1年でした。
1日1日過ぎるごとに比例して、自覚していくマネジメントスキルの至らなさ。
部下の子たちの様子や出されていたサインにすら気づけない状況把握力の低さ。
それに加え、起こること全て自分の責任だと責められる立場に、打ち拉がれ、苛立ち、勝手にどんどん孤立していきました。
「ここでは誰も味方じゃない。誰も信じないし、誰も頼らない。」
これでもかって程にささくれ立った当時の態度は、最後に残った極小のプライド片で、唯一自分自身を守ってくれるような鎧だったように思います。
そんな時、私がアシスタントとして付いていた部長から
『君が辛い思いをしているのは分かっている』と言われました。
それだけ。発言の前も後も、特に何をしてもらったわけでもなく。
本当に言われただけ。
それなのに思いっきり頭を殴られた感覚の衝撃でした。
「分かってくれている人がいた」
暖かい毛布に包まれたような安心感を得て救われたと同時に、それまで以上に落ち込み、現実を突きつけられました。
どれだけ自分本位だったか。
どれほど周りや部下の子達を見ていなかったか。
気づかない間にマネジャーという役職だけから生まれた空虚で醜悪なプライドを持っていたか。
1番辛辣で、1番厳しくて、なのにこの上なく優しい。
当時の私が1番必要としていた言葉だったし、この8年の間も幾度となくこの一言に支えられました。
「たった一言で心は離れる。ほんの一言で心は救われる。」
後者が当たり前に発せられる、それが私の描く強い組織です。
人が集まれば、自ずと問題は出てくるもの。それは会社という単位の集合体の場合、ことさらに。
でも、だからって「しょうがないよね」とか「どうにもならないでしょ」とかで片付けたくない。
どのメンバーも確固たる思いを持って、この会社に来てくれました。
一人一人が楽しんで仕事をしながら、それぞれが活きる環境を提供したいし、実現できると疑わない。
『混沌とし、みんなで踏ん張って進まなくてはいけない状況下でも、
誰かの見えない不安や凝り固まった気持ちをふっと軽くする言葉を掛け合える』
そんな環境を当たり前に準備していたい。
これからも"礎"として大切にしたいこの想いを、ここに。
入社3年目の記しとし、また頑張ろうと思います。
これからの3年。
3年後の私がこれを読んで、少しは自分のことを「よくやった」と言えるように。
そして結びに。
”ビジネスを考え、それに賛同した人が集まり、事業の実現と円滑な運営に携わって、組織という集まりが出来上がっていく”
私はこの貴重な過程を、一番いい席で一番長く見ることができています。
なので改めて、今。このタイミングで。
私をジョインさせると決断してくれた当時のメンバーに最大で最高の感謝を込めて🙏