GEKIの星と申します。よろしくお願いします。
2025年12月よりGEKIにお世話になることになりましたので、そこに至るまでの軌跡というか道のりを駄文で綴らせていただきます。
イキった写真ですみません。

星 翔平 Planner / Creative Director
2015年、SNSマーケティングの代理店に入社。SNSコンテンツの企画運用からアカウント戦略立案に至るまでのすべての工程を一貫して担当。撮影編集などのクリエイティブ制作に従事。
目次
- 【#1】新卒でSNS運用の会社へ
- 【#2】会社の二大案件を回し、ちょっと強くなる
- 【#3】父と母が倒れる
- 【#4】コロナ到来、自分のチームを持つ
- 【#5】プレイヤーへの回帰と、終わりを決意
- 【#6】2025年、未来は突然に
- 【#7】結び
【#1】新卒でSNS運用の会社へ
2015年4月、私は東銀座にいました。
企業の公式SNS運用をサポートしている株式会社comnico が私の社会人生活の出発点でした。
2名の同期にも恵まれ(グループ会社も含めると4名だが)、企業公式SNSのコンテンツ企画から制作、数値の分析や広告の出稿といったあらゆる業務に関わらせてもらいました。
当時はまだInstagramの運用案件などは全然なくて、公式Facebookページの運用が案件の大部分を占めていました。懐かしい。
公式 Twitter(現 X)の運用案件が決まったのは入社の翌年だったでしょうか。とにかく、2015年ではSNSマーケティングという言葉も今ほど浸透していなかったので、友だちとの会話でも「SNSマーケティング?何それ?」という反応をもらっていたことを今でも覚えています。

2015年入社当時の写真。
新卒らしくフレッシュな印象。もはや誰。
※プライバシー保護のため、ぼかしを入れています
その後は順調に会社の規模が大きくなり、気がつけば「とりあえず3年」と呼ばれる時期も越えて中堅社員の領域に1歩踏み出していました。その頃には同期のふたりはみんな転職してた。なんでよ寂しいじゃんよ。
同期のうちひとりは留学経験を持っていたので、英語をもっと活かせるような環境に身を置きたいとのことで転職。もうひとりはもともと旅好きで、そこから山口県のほうでゲストハウスの運営に携わりたいとのことで転職。
ふたりとも明確な目的を持っていてすごい。
それに比べて、とくに明確な目的を持っていたわけでもない私は、とにかく今の環境で「自分にしかない価値」を出せるようになろうとしました。
そうしないと自分に自信が持てなかった。ふたりのような目標に向かうエネルギーが羨ましくて、自分には圧倒的な自信がないと、それに代替するようなものはないと思ってました。
今思えば、転職していったふたりも別に自信なんてなかったのかも。
ただただ純粋な「もっとこうしたい」だけで動いていたのかもしれない。
私は、心の安定のために残ることを決めました。
勇気がなかった。弱かった。
でも、残るからには絶対に強くなりたいと誓った。
【#2】会社の二大案件を回し、ちょっと強くなる
入社1年目から大手外資系企業の公式SNS運用とレポートを担当、その後2018年ごろに某メーカーの公式SNS運用を担当しました。
入社1年目のときに案件を一緒に担当していた社内の営業から「ぜひ一緒にまた組みたい」と言っていただけてアサインされました。
純粋に嬉しかった。誰よりも強くなろうと走ってきて良かったと思いました。
実際に走り出すと
「明日の投稿まだフィックスしてないけど大丈夫そ?(22:00)」
「キャンペーンのLPアップされたら目視で確認してすぐ投稿しよう」
みたいな目まぐるしい状況でしたが、気づけばその二大案件は会社の売上の3~4割を占めていた規模に。その両案件とも、コンテンツ領域をリードするポジションとして関われていたのはとても光栄でした。
その頃には入社時の倍くらいにまで社員数も増えてました。いっぱい迷惑もかけたけど、仲間にも恵まれてました。心の底から感謝。

企画しては制作、企画しては制作の日々
【#3】父と母が倒れる
2019年には父が高血圧によるくも膜下出血、母が視神経脊髄炎を発症し第2種身体障がい者に。
あまりに立て続けに起きたもんだから結構精神的に追い詰められた。
父に関しては日頃家族から「高血圧なんだから食事も酒も自制しなさい」と言われていたにも関わらず発症したので「言わんこっちゃないこの野郎」という気持ちでしたが、母の病気はあまりにも想定外過ぎたので、正直なところ放心状態でした。
出社してもオフィスのトイレでふと号泣したりと、自分自身も相当おかしい精神状態だったなと思います。ほんとに辛いのは母なのにね。
母の病気はそこから大きな悪化は起こらず、最悪のケースは免れたので、徐々に母の病状も私のメンタルも回復。よかった。
ほんとうに、健康第一です。

人相は悪くなってるけど、メンタルは安定。
でも、ちょっとふっくらしていて。
※プライバシー保護のため、一部にぼかしを入れています
【#4】コロナ到来、自分のチームを持つ
2020年にコロナが到来してからというもの、働く環境は大きく変わっていきました。
当然のようにリモートワークで出社の機会はなくなり、それに伴ってオフィスがシェアオフィスに移転。しかしそれでも中途社員の採用などは行っていたことから、オンラインでチームビルディングをしないといけない環境に。
シェアオフィスになったことで撮影などの業務に支障が出てきたため、八丁堀に1Kの部屋を借りてそこをスタジオとして運用。
それと同時に、新たにチームを発足させることに。
そしてそのチームのマネジメントを担当するようになりました。
少数精鋭のチームだったので、とても頼りになるメンバーに恵まれまして。
おかげで超絶デカコンペにも勝てました。
楽しかったし、発足したてでぶちかましたので、気持ちよかった。
仕組みを作ったりルールを作ったりするのは正直苦手だったけど、とにかく雰囲気だけはいいチームにしたくて、お誕生日も必ずみんなで祝う文化にしてました。1人3,000円を上限として必ずプレゼントをあげるというルールにしてました。この金額が絶妙で、選んでいて楽しい。
チームが11人くらいの規模になったときは、もらうプレゼントの数も10個に。渡す数も10個。いや、出費。
でも、楽しかった。

アベンジャーズじゃなくて、スーサイドスクアッドになろうぜ
そう笑い合ってた最高のチーム
※プライバシー保護のため、一部にぼかしを入れています
【#5】プレイヤーへの回帰と、終わりを決意
マネージャー職をしていると心のなかに「プレイヤーやりて〜」という想いがずっと燻ってました。
実際は案件やりながらのマネジメントで所謂「プレイングマネージャー」だったので、案件には携わっていました。
しかし「マネジメントに注力できるように」ということで、徐々に現場に権限移譲していた状態にずっと心はざわざわしてました。
「え、もしかして俺、鈍ってない?」
そしてもう一つ
「10年間勤めたら、次の環境に行くか」
と。
奇遇にもちょうどその頃、インスタのストーリーで
「SNS運用詳しい人連絡ください!」という友だちの投稿が。
GEKI代表、作左部(以下、チカラ)の投稿でした。
大学生時代に所属していたサークルの後輩だった彼。
「手伝えることあればぜひ!」
と気がつけばコメントしてました。
そこからいくつかのプロジェクトを微力ながらお手伝い。
同時にGEKI以外の方からも様々なプロジェクトにもお声がけしていただくようになり、
「これ、もしかして自分でもやれるのかも?」
と。
同期のまっちゃん、もえしくん、
俺ようやくちょっと自信でてきたよ。
そして2023年のある日、
「2025年、丸10年の勤続を迎えた年に、辞めようと思います」
と、comnicoに伝えていました。
そして徐々にマネジメント職を引き継ぎながらプレイヤーへと回帰。
ちょうどその時期、縦型動画コンテンツ制作のご依頼が多く求められていたため、その領域を牽引するシニアコンテンツクリエイターとして、また現場へと戻っていきました。

あるパーティでの写真
いい写真がすぎるだろ
【#6】2025年、未来は突然に
そんなこんなで気がつけば2025年。
動画のコンテンツも相変わらず増加傾向で、私の手が回らず他のメンバーにも動画案件でガッツリ動いてもらう場面が増えていました。
そしてある巨大プロジェクトの相談が。
その巨大プロジェクトは会期が決まっているお仕事。
「それなら!」と思い真っ先に手を上げ、撮影コンテンツの企画から制作に携わるチャンスを得ることができました。
大変な案件ってわかっているほど燃えるんですよね。
しょうがない。そういうふうにできている。

もうこれ完全に撮影の人
終わりが決まっているからこそ
このプロジェクトの完遂が、自分のcomnicoのキャリアの集大成だな。
そんな想いを胸に日々を噛み締めながら無事にプロジェクトも終了。
すると、突然一通のDM。
「そろそろですよね?!」
そう、チカラでした。
「10年働いたら辞めるかな〜!2025年にはフリーになるとか考えているよ〜」
いつかのそんな会話を覚えていてくれた彼。
連絡をもらってすぐにオフィスにお邪魔しました。
なんか学大に引っ越してんじゃん。
ふーん、かっこいいじゃん。
ぜひGEKIに。と。
後日、人生で初めてオファーのプレゼンを受けました。
(え、こんなスライドまで用意されてるの?)
(ちょっと、昔の写真使ってんじゃん!)
(しまった…Facebookめ…。)
そんな提案を受けること20分ほど。
「答えは2週間ほど待ちますのでぜひご検討ください!」と。
いやいや、
そんなん、参加しないわけ無いじゃん。
チカラ「なにか質問はありますか?」
ワタス「有給制度はありますか?」
あるだろ普通。
なんて質問してんだ33歳にもなって。
なんとか挽回しなければ。
その小さな脳みそをフル回転させて…!
なんて言おう!なんて言えば…!
ワタス「2週間もいらんわ。2秒で即答だわ」
熱い握手を交わし、
6人目としてGEKIへの入社が決まったのでした。
【#7】結び
ざっくりとですが、そんな経緯で私はGEKIにやってきました。
不思議なもので、このような文章を書く機会が全く無かった。むしろ避けていたわけなんですが、後半はもう筆が乗ってますね。文法もぐちゃぐちゃです。でも、それもnoteのいいところですし、お許しください。
改めて、よろしくお願いします。
みんなからは、ぽぽさんと呼ばれています。最近はクライアントからもそう呼ばれ始めました。どういうことだってばよ。
SNS分野のサポートはもちろんですが、それ以外の領域にもっとチャレンジしていきたい。
SHIGEKI的な毎日を、恐れず、喰らい尽くしていこうと思います。
あと、痩せます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

いい写真がすぎるよ
ここからこのメンバーでかましていくゼ!