──心臓外科医から在宅医療へ。AGRIEが目指す未来
原点は、自分たちの"手あて"を患者さんのもとへつなぐこと
どれだけ高度な医療知識や技術があっても、良いサービスを作っても、必要な人に広がらなければ誰も利用できない。困っている人のもとへ医療を届けるために——広げること、伝えること、つなぐこと。
文系か理系か、資格の有無は関係ありません。どの役割も最終的にやっていることはひとつ。患者さんのもとに"手あて"を届けることです。そこに込められた想いをお伺いしました。
「心臓外科医」から「在宅医療」の世界へ![]()
──医師としてのキャリアは、心臓外科からスタートされたと伺いました。在宅医療への 転身は、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
医者になって10年目のとき、在宅医療への道を選びました。
若い頃は、最前線で命と向き合う医療に憧れ、心臓外科の世界に身を置きました。ただ、早期退院が可能になる中で痛みが残っていたり、リハビリが必要な状態で自宅に戻るケースが少なくないことに課題を感じていました。退院後も安心して回復に向き合い、日常を取り戻していける場所が必要だと思いました。
高齢者や障害のある方への医療は、生活に寄り添うかたちで提供されます。誰もが憧れる世界ではないかもしれないけれど、社会から求められているところにこそチャンスがあると考えました。自分のやりたいことよりも、世の中から求められることを選ぶ。患者さんにとって家でも病院でもない「第3の場所」を作りたいと思ったんです。
早期退院に伴う不安や心細さは、患者さん自身はもちろん、ご家族も同じです。「もう少し病院で診てほしい」という想いもよく分かります。退院してからの方が、継続した深い関わりが必要になる。その時間を一緒に過ごしていける場所を作りたい。そう思って在宅医療に関わる事業を始めようと決めました。
天邪鬼な少年時代と、医師として直面した心の限界
──なぜ医師を目指そうと思ったのでしょうか?きっかけを教えてください。
…ともっともらしく語っていますが、子どもの頃はわんぱくで、やんちゃなガキ大将。人と同じことが嫌いな天邪鬼で、常に「どうすれば人との違いを作れるか」を考えていました。
中学校では大好きなバスケ部がなかったので、友達に声をかけたり手紙を書いたりして自分で作ろうとしましたが、校長先生に跳ね返されて失敗したこともあります。「もっとこうしたらいいんじゃないか」と考えて動くのは、子どもの頃から変わらないのかもしれません。
幼い頃から、いつかは自分の命も終わるという恐怖がありました。小学生の時、突然の交通事故で祖母を亡くしました。死はいつでも、誰にでも平等にやってくる——この頃からそれを感じていたのかもしれません。「人の命に関わりたい」という思いが、無意識のうちに作られていたのだと思います。そして高校時代、アメリカのドラマ『ER緊急救命室』を見て、医者を志すことを決めました。
医師になって4年目。ようやく自立して色々なことができるようになった頃、大きな挫折を経験しました。新生児の心臓手術の術後管理をしていた時、ご家族の辛い気持ちや言葉をすべて自分の責任として受け止めてしまいました。
さらに私を追い詰めたのは、シビアな点滴の管理です。例えば体重わずか1.5キロの赤ちゃんに対して、1時間あたり6ccしか水分を入れられない中で、必要なカロリーも計算しなければなりません。もし計算を間違えて水分を入れすぎると、不要なむくみを引き起こし、心臓への負荷を増大させてしまいます。自分の指示が、生死に直結するんです。知らないことも次から次へと出てくる。「もし自分が指示を間違えたら、患者さんが死んでしまうのではないか」。そう思うと指示を出すことや、患者さんと向き合うことが怖く、苦しくてたまらなくなっていきました。
どん底で出会った言葉
──今の伊藤理事長からは想像もできないエピソードですね。そこからどのようにして立ち 上がっていったのでしょうか。
恐怖と不安に飲み込まれ、前に進めなくなっていたとき、偶然、中村天風さんの著書に出会いました。そこで触れた『人生は心一つの置き所』という言葉は、今でも変わらず、私を支え続けています。心の持ち主は自分だけ。目の前の状況を良くするのも、悪く切り取るのも自分次第。どんな状況でも、そこに意味や価値を宿したり、明るい部分を見つめたりできるのは自分。心を上手く使うことが、人生を豊かにする。どん底を経験したからこそ、見えてきたものがありました。あのときに出会った言葉や考え方は、自分自身を大きく変え、今でも支えになっています。
3か月ほど休み、自分の心を取り戻したとき、それでも「もう一度やりたい」と思えたのは、やはり自分が好きでやりがいを感じていた心臓外科の世界でした。なんとしても戻りたい。その想いは揺らぎませんでした。当時の教授に復帰を相談したところ、「小児の診療をしていない、成人の病院で再スタートしてはどうか」と背中を押してもらい、再び医療の現場へ戻る決意をしました。
在宅医療への道を選び、起業を決意した時は近隣の事業者、同業の先輩、金融機関——多方面から猛反対されました。銀行からお金を借りる必要もありました。自己資金が足りなかったため、消費者金融を回り、銀行から8000万円の融資を背負いました。さらに、施設の建設に関わる補助金が突然下りなくなるという絶望的なトラブルも乗り越え、最終的には約10億円もの借金を背負ってのスタートになったんです。
これだけの借金を背負うのは、正直怖かったです。それでも諦めなかったのは、苦しいことや越えるべき壁が多いほど、その先の未来はきっと面白くなると信じていたからです。
そしてそれは、誰かにとっての大きな希望につながるとも、本気で思っていました。人生に時々やってくる大変なことは、自分を成長させるための課題と考えることもできる。あの頃向き合ってきた一つひとつが、今の自分へつながっています。
どん底を経験したからこそ、見えてきたものがありました。あのときに出会った言葉や考え方は、自分自身を大きく変え、今でも支えになっています。
テクノロジーと「手あて」で、社会を変えていく
──様々な課題を越え、これからどんな医療を実現していきたいと考えていますか?
目覚ましいテクノロジーの進化がもたらす、医療現場の変革にとても強い関心を持っています。AIやロボット技術はものすごい速さで進化していくと思いますが、人の手と心が宿る「手あて」には、確実に唯一無二の価値が残ると感じています。地方の病院減少や、子どもの自殺・不登校など児童精神の問題といった、社会が困っている分野はたくさんあります。こういった部分にテクノロジーを組み合わせて解決していく、その先頭を走っていきたいんです。今の若い世代はAIが身近で、当たり前に使いこなしてきた世代です。その知識や力と我々の経験を掛け合わせながら、自分たちの「手あて」を共につくり、価値を広めていきたい。どれだけ素晴らしい医療技術も、届かなければ誰も利用できません。だからこそ、現場の医療職だけでなく、つないでいく全ての役割に意味がある。これからも変わらない目標は「自分たちの手あてを患者さんのもとに届けること」です。
「世の中を今よりもっと良くしたい」——その気持ちを根っこにしっかり持っている人と、仲間になって一緒に働きたいと思っています。
取材後記
取材後日、新入社員のみなさんとも直接お話する機会をいただきました。
「誰かの人生の決断に関わる仕事がしたかった」と、AGRIEへの入社を選択した理由を迷いなく言葉にする姿が印象的でした。彼らと話していて改めて感じたのは、AGRIEに集まる人々が、単なる憧れや耳障りの良い言葉だけでこの場所を選んでいないということ。生きていくなかで必ず必要となる医療や介護を担うという社会的な意義や本質的なやりがいはもちろんのこと、そこに経営戦略や組織としての挑戦と前衛性があることもAGRIEの魅力のようです。
「世の中をより良くしたい」という温かな志を、理想論で終わらせず、確かな戦略と行動力で形にしていく。伊藤理事長のその真剣な姿勢が組織の揺るぎない土台となり、新しく加わるメンバーの背中を支え、力強く押しているのだと実感しました。根底にある温かな想いと、それを実現していく戦略・実績。その両方を備えたAGRIEという組織が、熱意ある新しい力とともにこれからどんな未来を描いていくのか。
次に彼らとお会いするとき、一体どんな顔で現場の話をしてくれるのだろう。今から楽しみです。