鍼灸院グループを経営する代表の金子が不動産テック事業を展開する異色の経緯に迫る
鍼灸院グループを経営する代表の金子が、不動産テック事業を展開する異色の経緯に迫るインタビューを実施。前編では、鍼灸師になるきっかけを与えた幼少期の原体験から挫折経験、そして “幸せ”の在り方を変えた出来事まで、代表の人生や価値観をたっぷりとお届けします。
“人は変われる”ことに気づいた幼少期
—鍼灸師になろうと思った原体験は幼少期にあると伺いました。詳しく教えていただけますか?
母が美容師だったのですが、立ちっぱなしの仕事のため、「もう足なんて要らない」と嘆くほど、足の痛みに苦しんでいました。そんな母のために、私が足踏みマッサージをしてあげたところ、母は足が楽になったと、とても感謝してくれました。
そこで初めて、”人の役に立っている”ことに喜びを感じました。
当時の喜びといえば、漫画を読む、ゲームで強くなるなど、自分で完結するものばかりでした。しかし、こうして自分が人に対して何かしてあげることでも喜びを感じられるということに気づいたのです。そして、他者に対しての喜びの方が、自己完結する喜びよりも感動が大きいものだと実感しました。
また、当時は足マッサージでお小遣いがもらえていたため、人に喜んでもらえて、さらにお小遣いがもらえるなんて、こんなに嬉しいことはないと思いました。
これが、鍼灸師になろうと思った原体験ですね。
挫折から “人は変われる”ことを実感
—素敵な原体験ですね。しかし、小中学校時代は、苦悩も多かったようですね。
はい、小学生時代は、見た目もパッとせず、兄が地域で有名なワルだったため私が白い目で見られ、いじめられていた時期もありました。学校では授業に集中できず、学力も落ちていきました。
しかし、大人しくいじめられていたわけではなく、「いじめる方が悪い、いつか復讐してやる」と心の中で火がついていました。また、中学2年生の時には、家庭の問題が起き、寂しい思いをしながら過ごしていました。大好きな母が家を出て行ってしまったのです。
いじめられた経験、家庭環境の複雑さなど様々な要素が相まって、「自分は何もできないんだ」と自分の可能性に蓋をしてしまっていました。
—それは大変な出来事でしたね。その後、進展はあったのでしょうか。
小学生の話に関しては、5年生のある日、いじめの主犯格であるS君に怒りをぶつけました。
すぐに親の間に広まり、S君のお母さんからは「大人しい金子くんがこんなことをするのだから、うちの子が悪い」と謝られました。そして、S君のお母さんは私たちを仲直りさせようと、一緒に学校に行かせるようになりました。最初はぎこちない関係でしたが、一緒に登校するうちにS君とは仲良くなり、最終的にはお泊まり会を開くほどの仲になることができました。人は変われるのです。
また、家を出て行ってしまった母ですが、高校に進学すると戻ってきました。当時私には何の取り柄もありませんでしたが、マッサージの時と同じように、自分の得意分野で何かを成し遂げて、大好きな母を喜ばせたいという気持ちが大きくなりました。
そんな時、小・中学校では集中できなかった授業がすんなり頭に入ってくることに気づきました。何かを成し遂げたいと思っていた私は、勉強を頑張ることにしました。すると、みるみるうちに成績が上がっていったのです。今までは、自分に期待しても無駄だと塞ぎ込んでいましたが、実際はそんなことはなく、努力が報われる経験をしました。
小学校時代のS君との関係が良くなった経験からも、この勉強が上手く行った経験からも、”人は、いつか良くなれる”ということを実感しました。
鍼灸院を経営 “周りを幸せにできれば、自分も幸せになれる”
— “人を大切にする鍼灸院経営” を行っているイメージが強いですが、このような経営をされているきっかけはあったのでしょうか?
実は、鍼灸院を始めた当初の私は、いわゆるイヤな奴で、「自分は努力して人生を変えられた。ストイックでない奴はダメだ」という考え方に偏っていました。ゆえに、社員とのいざこざも多く、社員の定着率は高くありませんでした。
そんな私を変えてくれた2つの出来事があります。
1つ目は、社員から言われた一言です。
「代表のことは施術が上手く、尊敬している。しかし、いつも他の社員と揉めているのは見るに耐えない。俺は、この会社を辞めたくない。でも代表がこのままなら、俺は見限って辞める。そうなる前に変わってほしい」と。
2つ目は、とあるセミナーで “周りを幸せにできれば、自分も幸せになれる”と学んだことです。受講時の私は、社員とも、妻とも関係性が崩れており、自尊心が低い状態でした。
セミナーでは、「あなたは何のために頑張って生きているか」という問いがあり、私は、「自分や家族のため」と答えました。すると、講師は「あなたは、自分自身と自分の周りの人を幸せにするために頑張っている。自分が特別に思う人を幸せになってほしいと思うことを ”愛”と呼ぶので、あなたは愛のある人間だ。」と教えてくれました。例えば、自分が生まれた国に対して、より良くなってほしいと願うことは「愛国心」と言いますし、自分を産んでくれた両親や、恋人に幸せになってほしいと思うことも愛なのです。
私は周りとうまく行っていなかったため、自分が周囲に対して愛を持っていると教えられたのは衝撃的でした。しかし、この講師の言葉のおかげで「自分の幸せ」の概念の中には、「周囲の幸せ」も内包されていることに気づくことができました。例えば、家族が幸せでなければ、自分は完全に幸せとは言い切れません。ゆえに、自分が幸せになるためには「周りの人」を幸せにしなければいけません。
そして、この「周りの人」には、社員も入ると気づきました。社員が幸せであれば、自分も患者さんも幸せになる。そして、患者さんが幸せであれば地域が幸せになり、国が幸せになり...と、幸せの輪は広がっていくと考えるようになりました。
この2つの出来事がきっかけで、社員を心の底から大事にしようと考えを改めるようになりました。
例えば、技術力が低い社員に対して、今までは見放してしまっていた部分がありましたが、いつの間にか、社員を伸ばしてあげたいという想いが強くなり、どういう教え方をすれば社員が成長できるのか常に考え、教育に夢中になっていきました。
また、勤務形態も社員を想って変更しました。当初は、週に1日しか休みがありませんでしたが、仕事とプライベートのバランスを考え、週休2日制にしました。さらにその後、技術を磨いてもらうため、診療に徹するのは週に4日のみにし、週1は社内トレーニングの日、残り2日はお休みです。こうすることで、社員はプライベートや休養の時間を大切にしながらも、他院では経験できない豊富な治療法を学び成長を続け、生き生きと働くことができるようになっていきました。
そして、段々と「こんなに社員のことを考えてくれる代表はいない」と慕われるようになっていきました。
——そういった出来事を経て、今の “人を大切にする”鍼灸院があるのですね。最後に伝えておきたいことはありますか。
人間は不完全で当たり前です。
完璧ではないからこそ、伸び代はありますし幸せになる権利もあります。特に日本人は、誰かと比べ、自分に厳しくすることが良いとされる風潮がありますが、そうすると他人に対しても厳しくなってしまいます。
自分と最後まで付き合うのは自分しかいません。完璧でないことを許容しながら、挑戦を続けてもらいたいと思います。