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TOP Searchの創業ストーリシリーズ第1弾!子供時代編

目次

  • ともさん(夏目)の自己紹介とキャリアを教えて下さい

  • 早速ですが、ともさんの事を教えて下さい。どんな子供だったんですか?

  • 大変な高校生活。大切な学びですね。ちなみに、そこからのともさんの大学時代が気になります。

みなさま、こんにちは!今回は、弊社代表の夏目にこれまでのキャリアに関してのインタビューを行いました。TOP Searchの創業ストーリシリーズになります!全3 シリーズに渡り、弊社代表の夏目のキャリア、TOP Searchの創業と、その後の目指す未来を語って頂きます!少しでもTOP Searchのことを知ってもらえる事が出来れば幸いで御座います!

ともさん(夏目)の自己紹介とキャリアを教えて下さい

 静岡県浜松市出身で、高校まではずっと野球の生活を送り、大学は京都産業大に通っておりました。その後は、JAC(当時日本No.1の人材紹介会社)、ロバートウォルターズ(当時グローバルNo.1の人材紹介会社)、その後はRGF(リクルートグループのエグゼクティブサーチ企業)を経たのち、2021年にTOP Searchを創業しております。

早速ですが、ともさんの事を教えて下さい。どんな子供だったんですか?

一言でいうと、わんぱく坊主で、学校から親によく電話がきていました。そして人とは違う道を選ぶ傾向にありました。例えば、小学4年から野球を始めた理由も、静岡というサッカー大国と言われる地域だったため、周りは本当に皆サッカーをやっていました。だからこそ一人だけ野球をやった方がカッコいいかもと感じ、野球を始めました。(笑)まあ、そんな感じです(笑)

あとは動物が大好きで、特に犬が大好きです。小学校6年生の時まで飼っていたラブラドール(約50キロぐらい)が亡くなったときは、一日中泣きじゃくりました。亡くなった当日は、朝まで一緒に寝たのを鮮明に覚えてます。同時に、家族や仲間だけは大切にしないとと感じたのを今でも覚えています。

相当大好きだったんですね。TOP Searchの仲間を大切にする姿勢は、そこから来ているのかもですね。ちなみに、そこからはずっと野球を続けられたんですか?

高校卒業まで続けました。中学校ではクラブチームの関東大会で優勝をし、複数の高校からスカウトも来ている感じでした。ただ当時、親元を離れるのはまだ考えることが出来ず、地元の強豪高を選び、野球漬けの日々でした。

強豪校に入ってどうでしたか?

地獄の始まりでした。(笑)

思い出すのは今でも嫌なぐらい、苦い思い出ばかりです。部員120名ほどいるような野球部で、1年生から試合に出させてもらえる感じだったのですが、いじめの標的になりました。時効なので言いますが、あばら骨を折られ、私のグローブやスパイクだけがゴミ箱に捨てられていることは日常茶飯事でした。先輩から、夏目は良いサンドバックだからお前らも殴れよと、もう人間扱いすらされていなかったですよ。また住宅街の中に野球部のグラウンドがあり、東京ドームの2倍くらいのグラウンドを深夜まで一人で整備をする大役を先輩から頂いた事もありました。(笑)その際は、グランドの明かりが消えた中で、迎えの車のライトで両親と僕と3人でグランド整備をした記憶もあります。全くいい思い出ではないですね(笑)

本当につらい、高校時代だったのですね。今何を感じられているのですか?

1年からベンチ入りし、天狗。そこから地獄に落ち、精神的に病み、自殺まで考えました。そこから学んだことは大きく3つ。1つは、どんな状況でも調子に乗ってはダメな事。油断大敵ってやつですね。もう1つは、ここでも家族や仲間の大切さです。

最後の1つは、言葉の重みです。私は耐えるに耐えられず野球部をある時1週間休部しました。当時私は絶対に野球部を辞め、転校するつもりでした。

しかしある日、中学時代の先輩が私の休部をどこかから聞きつけ電話をくれました。

そこでの一言が僕を再起させたのを鮮明に覚えています。それは、「今の夏目は暗い、中学時代の夏目は凄く面白くて明るくて楽しいやつだった。今の夏目はどう?」という言葉です。野球部を辞めて転校するの一点張りだった私が、悔しくて悔しくて堪らなくなりました。過去の自分に負けてる自分が悔しかったんです。

今当時を振り返ると、言葉の重みを感じます。人生や生死を分けたりするくらいですからね。

大変な高校生活。大切な学びですね。ちなみに、そこからのともさんの大学時代が気になります。

京都産業大学に、当時好きだった人を追いかけて通常の受験で入学しました。大学も野球推薦で行けたのですがこれ以上は続けたくなく、偏差値31から54まで約5ヶ月で上げて、やっとの思いで第一志望の大学に入学出来ました。人生で一番勉強した時です(笑)

 転機が起きたのは、アメリカ留学です。全く興味のなかった海外留学に、親の強い勧めもありチャレンジをしました。アメリカにいる人たちは自身のやりたい方向性が明確にあり、自身の強みや今後の進む道を決めた同世代の人ばかりでした。

このままでは自分はダメだと感じ、どうすれば自分の道や、強みが見つけられるか、どうすれば成功した大人になれるかを考えるきっかけになりました。

 アメリカから帰国した後は、京都の大学だった強みを活かし、京都駅や清水寺、金閣寺にいるあらゆる海外の人に声を掛け、英語力向上とコミュニケーション向上のためガイドしまくっていました(笑)

また、ニューヨークのウォール街で成功したビジネスマンに一人でインタビューをしたのを覚えてます。聞く質問は一つのみ。「あなたのように成功をするためにはどうすればよい?」でした。今でも覚えていますが、そこでのインタビューで、成功者が答える共通点は一つありました。

それは、「仕事を家族のように愛すこと」でした。

目から鱗でしたね。ウォール街を歩く人たちは走っているのかというくらい速いスピードで歩いていて、多忙を極める人たちでした。ただ多くの人が自分の仕事を愛しているという事。とても良い経験と発見でした。

トモさんがグローバルな感じになってきましたね(笑)そうやってメンタル強化や、飛び込みインタビューで営業力をつけていったのでしょうね。

そうですね。今考えると英語もろくに話せないのによくやったなと思います。(笑)

何事も挑戦することが大事ですね。


私もどんどん挑戦するようにします!今日はここまでありがとうございました。

次回のシリーズ2でもまた色々とお話しお伺いさせてください。次は社会人になったともさんです!


第2弾はこちら!!!

TOP Searchの創業ストーリシリーズ第2弾!社会人編 | 株式会社TOP Search
今回は、創業ストーリシリーズ第2弾!今回は、弊社代表のともさんの社会人スタートからを振り返ります!壮絶な高校時代からどのようにキャリアを歩んできたのかを知れる第2弾となっております!前回の記事は...
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