オープンキッズベース(OKB)で働く多様なメンバーたちを代表が直接インタビュー・記事執筆して紹介する企画。今回はプロデューサーとしてグローバルマーケティングを牽引するだけでなく、中国のカントリーマネージャーとして子会社立ち上げも行なう周瑜(シュウ ユ)さんにインタビュー。OKBに入社を決めた理由や、彼女の夢に迫ります!
【周瑜さんプロフィール】
中国・安徽省出身。中国の大学にてジャーナリズムを専攻し、テレビ局でのディレクターも経験。卒業後は国有の中国建設銀行に入社。プロモーションチームなどのマネージャーを経験したのちに、独立し、中国にて起業した経験を持つ。日本に留学後、大学院在学中にOKBにインターン生として参画。大学院修了後にOKBに正社員として入社。現在はプロデューサーとしてクライアントの日本・中国を中心とした海外マーケティング支援・SNSプロデュースに従事している。また2021年4月に立ち上げた中国子会社のカントリーマネージャーも兼務。OKBの元気印。
好きなことに向かって一直線!
ーー周さんが日本に興味を持ったのは何故ですか?
私は安徽省・合肥市生まれです。日本に来てから一度も同郷人を見たことがないくらい、あまり故郷の外に出たがらない人が多い地域で生まれ育ちました。
そんな中でなぜ日本に興味を持ったかというと、おじさんが「日本文化学者」だったんです。小学生の頃は両親が仕事で忙しかったこともあり、毎日おじさんの部屋で日本の文化や歴史の本を見ていました。当時はあまり意味がわからなかったけれど、「男はつらいよ」のDVDとかを見ていましたね(笑)
それと同時に、小学校低学年の頃に「セーラームーン」ブームが起こりました。周りは男も女も関係なくみんなセーラームーンが好き。もちろん私も大好きです。あとはドラゴンボール、スラムダンクも大流行した、そういう世代ですね(笑)
元来新しいことにチャレンジしたり、知らない世界を体験するのが好きな性格なので、いつか日本に行ってみたいと思うようになりました。
ーー学生時代はどんな学生でしたか?
小学校の頃に学校の放送部で毎週月曜日の放送を担当したことがあって、その時のアナウンスをみんなに褒められて嬉しかったことがきっかけで、中学・高校とアナウンスやディベート部を続け、大学でもジャーナリズムを専攻し、新聞放送部ではリーダーも務めました。
大学2年のときには地元のアナウンサー大会で準優勝して、テレビ局にアシスタントディレクターとしてインターンしたことも。昔から自分の好きなことを決めたら、とことん突き詰める性格。これは今も変わっていません。
大学卒業後もテレビ局に入ってディレクターや企画の仕事をやりたいと思っていたのですが、中国のテレビ局は入社するだけでも人脈がものすごく必要な世界。人脈の無い私に対しての親からの勧めもあって、結局は安定している国有大手銀行に入社しました。
銀行ではプロモーションや不正行為監視のチームで5年間働き、最終的には40人ほどのチームを任されるリーダーも経験しました。同僚と一緒に働くことはとても楽しかったのですが、自分が本当にやりたい業務内容からは離れていて、「やっぱり自分がやりたいことをやろう」と決め退職したんです。
「あいうえお」だけ覚えて念願の日本へ
ーーそこから一度起業されてますよね?安定した大企業からいきなり起業される勇気がすごい。
まず「日本に留学してジャーナリズムやメディアを勉強しよう」と決めました。ただ日本語の勉強をしたことが無かったので、留学する前にまず勉強しなければならなかった。その勉強期間に、実学としてメディアやプロモーションについて学ぼうと思って起業したんです。
実は銀行に勤めていた頃、毎年の忘年会での出し物をいつも私が企画、監督していて。1年間の振り返り動画なども自分で製作していたのですが、それが同僚からすごく好評だったのでこれなら独立しても食べていける、という甘い考えもあったんです(笑)
実際、いくつかお仕事としてやらせていただいたのちに、「あいうえお」を覚えたくらいの日本語レベルで日本へ留学しました。
ーー念願の日本に来てみて、どうでしたか?
自分が漫画やアニメを見て憧れていたイメージの通りの生活で、本当に楽しかったです!最初は「アルバイト」というものに憧れていたので、まだ日本語は全然だめなのにコンビニでアルバイトを始めたりもしました。
ただ一方で、挫折も味わいました。
日本語能力試験N1を取らないと志望するメディアやジャーナリズム専攻の大学院を受験できなかったのですが、N1は年に2回しか受けるチャンスが無くて。私はそのことを知らず受験タイミングを逃し、一度在留期間を終えて帰国することになってしまいました。
すごく悔しくて、帰国後は家から一歩も出ずに猛勉強してN1を取得。そこからとりあえず美容メーカーの派遣社員に応募して就労VISAを取得し、日本に戻ってきました。そして派遣社員として働きながら大学院を受験したんです。
自分はメディアや企画、プロモーションに関わる仕事をやるために日本に来たので、大学院入学初日には好きな仕事を探すためにインターンシップを探していましたね。
OKBではメンバーみんなが「主人公」
ーーOKBと出会った時の第一印象はどうでしたか?
私はそれまでもインバウンド系の会社でSNSマーケティングのインターンシップを経験していたのですが、どこも中国語を活かせるとはいえ機械的な作業業務が多い仕事で。もっと自分の企画が活かせるようなチャンスを探そうと思って見つけたのがOKBでした。
いざ面接に行ってみると、若い社長が出てきてびっくり。すごく明るい印象で、楽しそうだと思いました。
ーーインターン生から社員として入社してくれたわけですが、これまでどのような仕事をされましたか?
クライアントのマーケティング戦略立案、中国向けのSNS運用、コンテンツ企画と制作ディレクションにいたるまで、幅広くやらせていただいています。
はじめた当初は中国向け自社メディアを運用したのですが、Weibo、Wechat、抖音(中国Tiktok)などで結果が出せなくて。「やばい、これじゃ会社が赤字になる」って心配していました(笑)。
でもいま振り返ると、それらの失敗があったからこそ今があるなと思います。今は最新のトレンドを常にウォッチしながら、自分たちのプロジェクトに活かせるようになってました。
特に社員として入社した後は、本当に会社の成長を自分事として捉えるようになりました。OKBでは「自分たちが主人公」であり、私はOKBを自分の息子のように思ってます(笑)
OKBに何か悪い所があったら、それを見過ごすのではなく一生懸命直します。もし誰かからいわれのない理由でOKBの悪口を言われたら、全力で守ろうとすると思います。それくらいの気持ちで働けているのはすごく幸せなことですし、OKBには一緒に戦ってくれる仲間が揃っています。
ーーそんなことを言ってもらえるとめちゃくちゃ嬉しいです(涙)。
OKB上海を中国でも有名な会社に育てたい
ーーちなみに、今年4月には子会社OKB上海を一緒に立ち上げてくれました。新卒でいきなりカントリーマネージャーに指名されたときはどう思いましたか?
はじめは私より経歴の長いメンバーの方が適任なんじゃないか?私が独身で駐在させやすいから?と疑いましたね(笑)
でもやるからには頑張ろうと思いましたし、これまでもやったことがないこと、新しいことにOKBでいっぱいチャレンジして乗り越えてきたのでそんなに不安は無かったです。きっとできる、って。
今年の5月には1人で上海に出張にいき、現地のニーズやトレンドの理解、現地パートナーとの商談などをしてきました。単身出張も行く前は不安でしたが、実際に行ってパートナーたちと話をすることで、会社としての具体的な方向性も見えてきました。
いまは私が持って帰って来た情報をベースに社長と二人で事業仮説を立て、実行に移しているところです。
ーーそんな周さんの今後のキャリアについてお聞かせください。
まずはプロデューサーとして、ブランディング、マーケティング戦略、SNSアカウント運営などの知識をさらに深めていきたい。そして信頼できる事業パートナーを増やし、経営者としても力をつけていきたいです。
そうしてゆくゆくはOKB、そしてOKB上海を中国で有名な会社になるくらいに育てたいと思っています。
私はOKBと出会えて本当にラッキーだったと思っています。ちょっと遠回りだった経歴かもしれないけれど、いま本当に自分がずっとやりたかったことをやれています。
この「ラッキーさ」を大切にして、新しいチャレンジを今後もやっていきたいですね。
ーーでは最後に、どんな方にOKBに来て欲しいですか?
私がOKBの一番好きなところは「社風」です。
みんな友達のような仲間で、かつ信頼関係を土台に、みんなが好きなことに向かって働く自由な風土があります。
でもだからこそ、口先やスキルだけの人ではなく、本当に仲間になって一緒に戦ってくれる人に来て欲しい。経験がなくても大丈夫なので、恐怖や不安を乗り越えて、一緒にゴールを達成する勇気のある人に来ていただけると嬉しいなと思います。
【編集後記】
採用時に「周瑜」という名前を見たときに、「三国志の武将が応募して来てくれた!」と心躍ったことを覚えています。そしてその名に違わぬ獅子奮迅の働きで、業務はもちろんのこと、会社のカルチャーそのものを創ってくれています。これからもOKBのラッキーガールとして、OKBの未来を切り拓いてくれることを楽しみにしています!
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