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2024年1月に、海外店舗8店舗目となるKurasu Hong KongをオープンしたKurasu。国内では京都に2店舗のカフェを構え、西陣の町家を改装した焙煎所から、毎週各国へコーヒーを届け、HarioやKalitaといった大手から個人作家の作品まで、Made in Japanのコーヒーと器具を京都から世界へと発信しています。
Kurasuが第一号店であるKyoto Standをオープンしたのは2016年8月のこと。その頃のKurasuは、今とは打って変わって従業員がバリスタを含めて5人ほどのまだ小さなチームでした。代表のYozo(大槻洋三)は当時、オーストラリアで生活をしながらのリモート経営。生まれ故郷である京都で、地域に根ざしたお店づくりを、と踏み出した大きな一歩でした。
そして一店舗目が無事軌道に乗り始めたばかりの2017年、なんとKurasuはシンガポールに進出することに。ここから、グローバルブランドとしてのKurasuの今日に至るまでのストーリーが始まります。
今回は、初めて海外でお店を開くことになった時の様子や、シンガポールチームを今もリードしてくれているAngeloとの出会いなどについて、Kurasuの創業者で代表のYozo(大槻洋三)に当時を振り返ってもらいました。
旧友との再会がもたらした思わぬ契機
—— 海外店舗の第一店舗目として、シンガポールでお店を開くことになった経緯を教えてください。
仕事の都合で、2017年の頭にシンガポールに引っ越したんです。当時はKyoto Standを開けたばかりだったので、京都とシンガポールを行ったり来たりする生活をしていました。
実は、海外進出は初めから視野にあったわけではありませんでした。シンガポールに移住したことで、長らく会えていなかった昔からの友人らと再会したり、新しく人付き合いをしていく上でもネットワークがそれまでの生活と変わっていった時期でした。
その年の4月ごろ、不動産、ホテルなど既存のプロパティを作り替える仕事をしている知人がコワーキングスペースを手がけることになり、「Kurasuにカフェとして入ってもらえないか?」と打診を受けました。提示された条件もよく、自分もシンガポールにいるということで、やってみよう、と決めました。
海外第一店舗目が開くまで
スケルトン状態の店舗スペース。自然光がたっぷり入る空間が気に入った
—— 出店しようと決めてまずしたことは?
コワーキングスペースのオープン日がもう決まっていたので、先方のデザインチームにこちらの要望を伝えるような形で、5月の時点ではすでに図面の話をしてスタートしていました。
初めて店舗スペースを見に行った時、白を基調とした天井が高い空間で、自然光の入るスペースが多いところが気に入ったのを覚えています。土台がミニマム、クリーンで、自分のカラーを入れやすい環境だとも感じました。
予算の制限はもちろんありましたし、ファニチャーも先方が決めるなど、コワーキングスペースの一部として出店するという前提がある以上、ある程度の制限はありました。
そういう意味ではKurasuの世界観100%では設計できない環境でしたし、今もし同じ話があったとしても、Kurasuを表現しきれないので出店はしないと思います。ただ、当時のKurasuのフェーズにおいては、ぴったりの条件で、出店してとても良かったと振り返って思います。
店作りにあたって、マネージャーとしてジョインしてくれたAngeloにも協力してもらいました。元々Kurasuのことを知ってくれていた上に、感性もとてもリンクしていると感じられる相手で、ローカルのコーヒーシーンを熟知しているからこそ、そこに刺さる雰囲気・機材のセットアップも含めて決めてもらい、色々な場面で本当に助けられました。
店舗デザインの図面。コワーキングスペースのデザインチームに希望を伝えながら、少しずつ思い描く形に
—— 出店にあたって、収支計画などはどのように決めていったのですか?
収支計画はもちろん作りましたが、コワーキングスペースのビルの中にある店舗なので、前提として集客などはある程度コワーキングスペースのキャパシティによるところがあり、その辺りも考慮に入れました。
席数など含めて、Kyoto Standの経験も早速活かすことができ、Angeloのこれまでの経験も踏まえて採算は取れるとはわかっていました。シンガポールは家賃がとても高いのですが、この時の出店条件として、シンガポールとしてはかなり抑えられており、総合的に非常に良い状態で運営をスタートさせることができました。
—— メニューなどはどうやって決めましたか?
メニューは基本的にKyoto Standと同じにしました。それに加え、シンガポール店では知り合いのペーストリーショップから仕入れたロールケーキを出していましたね。
当時はまだKurasuで自家焙煎をしていなかった頃なので、日本のコーヒーロースターのコーヒーを飲める、というコンセプトでメニューができていました。その結果、同じ業界の人々なども興味を持って集まってくれるようなお店になっていきました。
シンガポールチームを率いるAngeloとの巡り合い
—— Angeloは今もシンガポールチームにとって欠かせない、カリスマ性のあるリーダーですよね。Angeloとはどのように出会ったのですか?
Angeloとの出会いは本当に偶然の巡り合わせで、シンガポールに引っ越してすぐの頃、街を歩いていてたまたま見かけた「パブリックカッピングやってます」というサインがきっかけです。何気なく入ってみて、そこでカッピングを主導していたのがAngeloでした。
カメラロールに、2017年1月22日、と残っている写真
当時、AngeloはKnockhouseという、機材、マシン、業務用のハイエンドなものから家庭用の機材までをメンテナンスする会社に勤めていて、カッピングもその一環のイベントでした。それまでにもPapa Palhetaなど色々なコーヒーショップで働いた経験もあり、ヘッドバリスタ、トレーナー、焙煎、機材メンテなどもこなすオールラウンダー。
業界のネットワークもあり、センスもある素晴らしい人材で、話をしてみるとフィーリングもマッチすると感じました。シンガポールでのコーヒー業界で唯一の知り合いで、こんなに感性の会う人とこんなに早い段階で出会えたのはとてもラッキーだったと思います
コワーキングスペースの話をいただいた頃、Angelo自身も今後を考えていたタイミングだったようで、一緒にKurasu Singaporeをやってくれないか、と声をかけて、今に至ります。
シンガポールでコーヒーショップをオープンして
—— 初めての海外進出で感じた難しさや課題などはありましたか?
シンガポール店に関しては、初めてで期待値がそこまで高くなかったのもありますが、店作りから運営まで、順調に進みました。Kurasuの色、というものもまだ今ほど確立していなかった時期だったので、うまく行った部分もあると思います。
店舗スペースも使い勝手が良く、売り上げも初月から期待値以上。難しさを感じたところというと、シンガポール特有のものというよりも、来客数が多すぎてキャパシティオーバーになってしまったことや、コワーキングスペース側とのやり取りや制限などですね。
—— 現在はコワーキングスペース自体が閉業してしまい、Kurasu Singaporeは2020年にWaterloo店へ移転、そして2023年4月にはOrchard Standがオープンしていますね。シンガポールでコーヒーショップを経営する中で、どのような学びがありましたか?
他のロケーションでもオファーがあったモールなどとも共通するのですが、コワーキングスペースなど、ハコの主導や制限があると、デメリットを感じる場面が多かったです。例えばモールでも、独自イベントなどはやりにくいですよね。
また、コワーキングスペースの営業に合わせてクローズする日などを決められたり、コロナウイルスが広がったことでコワーキングスペースの収益が減り、通常営業が厳しくなった結果、それが店舗の動き方の制限につながったりなど、やりたいことが制限されていました。
シンガポールでコーヒーショップをやってみて学んだことというと、コミュニティの狭さですね。コーヒー業界ではその中でも派閥があり、どことどこが対抗している、など複雑な関係があるんです。でも、日本からやってきたKurasuはどこの派閥にも属しておらず、ニュートラルな立ち位置を確立することができました。
日本らしい、ハイグレードのコーヒーのダークローストや、ハンドドリップメインのサーブ方法など、シンガポールの人にとって珍しいと感じるものも多く、新鮮に感じてもらえたようです。その結果、派閥争いに関係なく業界のいろいろな人も集まってくれるような空間に育ちました。
また、Angeloが率先してコラボレーションやイベントも企画してくれるなど、新しさもありローカルにも根付いた両軸を持つ店作りをすることができました。
日本に住んでいて、いきなり海外でお店を開けよう、と思っていたらかなりハードルが高く難しかったと思います。このタイミングでシンガポールにいることができたこと、リスクが低い状態で始められたことなどにも助けられ、海外でやってみる、という体験ができ、またやってみたらできるな、と思えたのがこのシンガポールでした。Kurasuのブランドのポテンシャルも感じられ、その体験は今の各国の店舗展開にも確実につながっています。
海外進出を経て、より強まったブランド価値と土台
—— シンガポール生活で体験したコーヒーシーンの様子はどうでしたか?
シンガポール、中国、インドネシアなどでは、若い人がコーヒーを飲むカルチャーがこの10〜20年で急激に伸びています。ただ、その前にはあまりコーヒーの歴史がないんです。なので、コーヒーシーンのベースはスカンジナビア、アメリカ、オーストラリアなどの影響を受けた浅煎りが主流です。
反対に日本では、戦後から繋がり、更に枝分かれしてきたコーヒーの歴史があります。喫茶店や深煎りの文化など、バラエティも豊か。深煎りのコーヒー自体はシンガポールなどでも飲まれてきましたが、スペシャルティグレードのコーヒーを深煎りで楽しむ、という文化はシンガポールでは新しい感覚として捉えられています。また、選ばれるコーヒーの産地も少し違います。
例えば、良いグレードのパプアニューギニアのダークロースト、などはシンガポールではまず見かけません。Angeloも、日本のコーヒーシーンというとBEYOND COFFEE ROASTERSさんやMORIFUJI COFFEEさんなど、スペシャルティの深めの焙煎が得意なロースターの印象が強かったようです。
—— 反対に日本では当時、オーストラリアなどのコーヒーシーンの影響はまだメインストリームではなかったですね。Kyoto Standと、Kurasu Singaporeとでも、その差はコンセプトに現れていたのでしょうか?
特別意識をして差別化したわけではないです。ただ、Kurasuの店作りをする時に、常に考えるのが「今までにない体験や価値を提供できるか?」ということです。
Kyoto Standでは、日本各地のコーヒーロースターさんを紹介する、というコンセプトに加え、オーストラリアに住んでいた時の経験から、日本・京都に当時あまりなかった、バリスタとの距離の近さやコミュニケーションを体験してもらえる店作りをしました。
反対にシンガポールには、オーストラリアにインスパイアされたお店はすでにたくさんありました。オールデイブレックファストを提供していて、バリスタと会話しながら、というような。なので、同じようなコンセプトの店を出してもそこに新しさはありません。シンガポールの環境には、Kurasuのコンセプトの中でも「日本各地のコーヒーが飲める」というところがより刺さったところがあり、自然とそこにフォーカスする形になりました。
「その地域でKurasuとしてどんな価値の提供ができるか?」というのが根底に通じている考え方なので、Kurasuとしての土台がありつつ、インドネシアのKissaや香港の店舗など、店作りが別々の方向やアプローチになることに矛盾はありません。
それぞれの国に、素敵なコーヒー屋さんはもうたくさんあるんですよね。国内でも同じです。「東京でやりませんか」とよく言っていただくのですが、Kurasuとして作ったとしても、何か新しい価値を体験を提供できるか?と考えた時に最適解がないので、出そうとは思いません。
Kiguのような、海外のコーヒー器具を実際にみて触って体験できるようなお店は少ないと思うので、そういったお店であれば面白いかもしれませんね。
—— なるほど。やはり海外店舗第一弾ということで、盛りだくさんのストーリーですね!一つの記事にはおさまりません。また次回、シンガポール二店舗目となるWaterloo Streetの店舗について、海外展開・ローカライズをする中でブランドアイデンティティの確立がどんな道のりを辿ったかなど、聞かせてください!