生徒のやりたい、なりたい、を実現するため
-なぜ高等学院をつくったのですか?
それは私の「3つ」の人生経験からなります。1つ目は、大学での教育実習が影響しています。実習先の生徒は、大学には進学せず、就職するか専門学校に行く子たちばかり。まさに、社会に出る直前の状態でした。しかし、私は社会のことを知りません…。そこで、「社会のことを何も知らない自分が、何を教えられるんだ」と違和感を抱き、教員ではなく、サラリーマンの道を選択しました。もちろん、現役の先生方を非難したいわけではありません...。
-社会のことを知ってから教育に戻ろうとされたんですね。実際、社会はどうでしたか?
いざ社会に出てみると、社会で活躍する人物と、学校教育が輩出する人物に、乖離が起きている….。と、すごく矛盾を感じました。これが2つ目の出来事です。わかりやすい例だと、東大出身の人間が社会で必ず活躍できるか?と言われても、「いやぁ、人によるでしょ」が全員の共通理解だと思います。古文や漢文を一生懸命やった人間が、社会で活躍できるか?と言われても、「そんなわけない」と返ってくるはず。一方、学力はそこそこなのにコミュニケーション能力がずば抜けている人は、ほぼ全員が社会で活躍できているのではないでしょうか。実際に、新卒が求められるスキル堂々の1位はコミュニケーション能力なわけです。それもそのはず。教育は100年以上変わらず、いまだに大量生産時代の「右向け右」の答えのある一斉授業型をしてしまっているのだから。しかし、今の時代はそうではないはずです。メタバース、AI、目まぐるしく変化する現代において「正解」なんてありませんよね。だからこそ、これからの時代に求められる教育は、一人ひとりの個性を見ていき、その人の考える力を養う「個性教育」が求められると確信しました。
-そこで「個性教育」の価値に気づかれたわけですね
はい、そこで「AO入試こそ個性を尊重できる教育だ」と感じ、AO入試の専門塾に転職をします。これが3つ目の出来事です。僕たちの教え子の中には、「いじめられていた子」がいます。わかりやすいトラウマ(コンプレックス)を抱える生徒でした。ただ、ここからが個性教育が面白いところです。その生徒は、最初の方は僕と話すことすらできなかったんですが、何回も面談を繰り返していくうちに「いじめられていたことは、弱みだと思っていたけど、強みにもなることに気づきました」と言うんです。いじめられた経験があるからこそ、いじめられっ子の気持ちがわかる。そんな自分だからこそ、スクールカウンセラーになっていじめられっ子の味方になりたいんです。そう言われたんです。実際、その生徒はその内容をエピソードトークにして、大学にも合格できました。自己肯定感がどん底だった状態を知っているので、その変わりようはとても胸を撃たれましたね。
-コンプレックスやトラウマも、強みに変わる。これは救われる人たちが多そうですね。
はい。実際に私と学院長の藤原は、前職からの同僚で、数百人の生徒たちに関わってきましたので、人が変わる瞬間をたくさん見てきました。ただ、塾としては限界があるとも感じましたね。というのも、塾の時間はせいぜい、週2,3時間。高校生、一人一人と接している時間はあまりにも短いものでした….。その経験から、時間比率の一番大きい学校での時間を変えなければ、生徒の人生を本当の意味で変えられないのではないかと感じます。つまり、
「塾では無理だ。学校をつくらないといけない。」そう感じ、青楓館高等学院の設立に至るわけです。
-なるほど。そうやって今の青楓館の教育理念などに繋がってくるのですね!
そして実際に開校した今、何を感じていますか?
開校したあとに感じるのは「本当に青楓館をつくってよかった」ということですね。なんせ、生徒たちが入学前とまるで別人のように変化したからです。手前味噌ではありますが、これは自信を持って言えます。「めちゃくちゃ生徒が自慢です。だって、めっちゃ凄いもん。」でも、正直….。その生徒たちが、青楓館に来ていなかったらどうなっていたのか。落ちこぼれる生徒もいたのではないか?とも思います。だからこそ思うんです。青楓館の存在意義とは?何なのかと。
-青楓館の存在意義とは?
それは、「生徒のやりたい、なりたい、を実現するために存在している」ということ。だと考えています。実際、当校には
・投資部に入り、10万円の元金を290万円にした生徒がいます。
・電車の全車両に掲載された広告デザインを作成した生徒がいます。
・不登校だったのに、ほぼ毎日学校に来ている生徒もいます。
・市の委託事業を、企業と提携して進めている生徒がいます。
などなど。言い出すと止まらない生徒自慢ですが、いろんな個性が花開いています。でも、おそらくみんな入学前は「こんなことできる!」なんて思っていなかったんじゃないかな。と思います。でも、僕らからすると『高校生なら何でもできる!可能性しかない!』って感じなんです。もちろん、そんな環境で育った生徒はイキイキしています。だからこそこれが、僕たちの存在価値だろうな。と思うんです。