学習塾「コノ塾」を展開するコノセルでは、公立・私立問わず学校教員経験者の方も教室長として数多く活躍しています。 しかしながら教員からの民間企業へのチャレンジは不安がつきまとうのも事実です。 本記事ではある一人の教員出身者が、どのような転職活動を経てコノセルに入社したのか、そして仕事とプライベートのあり方はどのように変化し、今何にやりがいを感じているのか、ご本人の等身大の言葉でお伝えしていきます。
教科指導だけでない「強み」を持った教師を目指して
—今日はよろしくお願いします。それではまず最初に、お名前と過去のご経歴から教えてください。
はい、林直希と申します。大学院を修了してから中学校教員を経て23年春にコノセルに入社しました。入社後は本所吾妻橋校の教室長を務め、この春からは谷在家校の教室長を務めながら複数教室をマネジメントするユニットリーダーも兼務しています。
—もともとはなぜ教員を志したのでしょうか。
実家が静岡県の田舎なんですが、仕事といえば公務員くらいしか思い浮かばない環境で育ちました。その中でも、自分は塾にも通っておらず「学校での学びが全て」という環境だったので、先生に感謝する気持ちもありつつ、「もっとこういう教え方をしてくれたらいいのに」と子どもながらに思うこともありました。そういった思いから、自分で理想の教育を実現したいという気持ちが高まったのが、教員を目指すきっかけです。
実家のトイレの小窓から見える富士山
—なるほど、そうだったんですね。大学は地元静岡から離れた福岡の方に進学されていますが、これにはどのような理由があったのでしょうか。
静岡とは言ってもあまりに田舎だったので、県内の大学に通うにしても一人暮らしは必須でした。そう考えた時に、関東に限らず日本全国の大学を検討してもいいかなと思ったんです。そんな時に見つけたのが福岡教育大学でした。もともと大学でも野球を続けたいと思っていて、私立大学だと費用がかかることがわかっていたので、国立大学なら学費も安く、野球も続けられるなと。何より福岡教育大学は九州の六大学野球に入っていて、強豪校と試合ができる環境であることもメリットだと感じました。
—なるほど。大学では理科教員を目指して教職課程を履修されたそうですね。
はい、その通りです。理科教員養成課程で学びつつ、大学受験の頃から目指していた硬式野球部に入りました。しかし、硬式野球部はたいてい保健体育教員養成課程の学生ばかりなので、一人だけジャージで量子力学の授業受けてたり、ジャージの上に白衣を着てフラスコ振ったりしてる変な人でした(笑)
—想像したら笑えてきますね(笑) 無事教職課程修了後、教員の道へ進まずに一度大学院を経由されていますが、これにはどのような考えがあったのでしょうか。
大学のゼミで心理学を学ぶ機会があり、とても面白いと感じました。ただ理科の先生になるだけでなく、何か武器や強みを持った先生になりたいと思ったんです。大学のゼミではまだ専門的なことまでは学べなかったので、学んでいた心理学の学派の原点にあたる横浜国立大学へ修行に行こうと決意して、大学院への進学を決めました。
教員生活の苦悩 - 問題山積みの学校現場で直面した理想と現実のギャップ
—そうだったんですね。大学院での経験を経て、いよいよ教員としてのキャリアがスタートするわけですが、入職前の期待と実際に働き始めてからのギャップなどはありましたか。
大学院で学んだ心理学を活かしながら、生徒に学ぶことの面白さを伝えていきたいという期待を持って学校現場に入りました。しかし、配属された学校はその地域でもワースト1、2位を争うようなヤンチャな学校で、生徒の問題行動も非常に多かったんです。警察のお世話になることも少なくなく、不登校の生徒の問題にも対処する必要がありました。
—なかなか大変そうですね。
そういった状況から、業務のほとんどがトラブルの事後処理や行政文書の作成に時間を取られ、本当にやりたかった授業の準備は一番最後に回すしかない状況でした。それに加えて休日は部活動指導もあり休めない日々が続く中で、本当にこれでいいのかということを常に考えていました。もちろん、業務を効率化して生徒と向き合う時間を増やすために、管理職に相談や提案をしたこともありましたが、大きな組織である以上、なかなか変えられないことも多いのが実情でした。
—もがいていたんですね。
こうした現状を何とか変えようと、転職活動を始めました。最初は同じ教員でも、財政基盤がしっかりしている地域なら自分のやりたいことができるのではないかと期待して、ある政令指定都市の採用試験を受けたのですが、最終試験と部活動の大事な試合が重なってしまい、結局選考を辞退しました。その時思ったのが、もし教員という仕事をもう一度やりたいと思ったなら、きっと戻ってこられる。だったら一度大きく環境を変えてみようということでした。そこからエージェントを使って本格的に転職活動を始めました。
—そうだったんですね。転職活動は順調に進みましたか?
いえ、それが順調とはいかず。平日は授業や学級運営、土日は部活動指導などで、なかなか自分の転職活動に時間を割くことができませんでした。結局、夏休みに入ってから情報収集や選考を受けるという形になりましたね。最初はあまり業界も絞らずに、幅広く見ていました。それは自分の経験や強みがどこで活きるのかわからないという、ある種ネガティブな思い込みから来ていたのかもしれません。
—ネガティブな思い込みとは、具体的にはどのようなものだったのでしょうか。
教員仲間とも話すことがあるんですが、教員のキャリアというのは学校現場でしか通用しないスキルが培われがちなので、転職する際に思うように行きたいところに行けないんじゃないかという潜在意識が、自分の中にもあったんだと思います。
—なるほど。実際にはどのような業界を志望していたんですか?
不動産や電気通信会社、それから教育業界も幅広く受けていました。いくつか内定をもらったところもあったのですが、どうもしっくりこない感じがして、結局辞退するような状況が続きました。そうこうしているうちにまた2学期が始まってしまったので、一度転職活動は中断せざるを得なくなりました。
コノセルとの運命的な出会い - 一次面接で感じた「ここで働きたい」という強い衝動
—そうだったんですね。コノセルとの出会いは確か2022年の冬頃だったと思いますが、これはどのような経緯だったのでしょうか。
2学期が終わり、終業式の翌日から再び転職活動を再開しました。その時にキャリアアドバイザーの方から、コノセルという聞いたこともない企業を猛プッシュされて。正直そこまでやる気は出てなかったんですが、アドバイザーの方がそこまで言うならと思って、受けてみることにしました。とは言え、乗り気ではなかったので、履歴書も他社に出したものを流用するような感じで、こだわりは全然なかったですね。
—なるほど、そんなスタートだったんですね(笑)
そんな中で初めて一次面接を受けた時に、最初にお会いした社員の方が非常に魅力的な方で、一気にモチベーションが上がったのを今でも覚えています。
—面白いですね。どんなところにモチベーションが上がる要因があったんでしょうか。
これまでもたくさんの面接を受けてきましたが、どの会社も形式的というか、面接の質問として設定されているから質問しているという雰囲気を感じていて、正直うんざりしていたんです。でもコノセルの面接は違いました。自分から話したいと思うことをちゃんと聞いてくれて、さらに「なぜ?なぜ?」と掘り下げてくれたおかげで、自分自身の内面を振り返ることができました。
それに加えて、合理的で建設的な議論ができる人がこの会社には多くいるということも、面接を通して感じ取れたんです。よく考えたら、大学院で必死に論文を書いてきた自分は、本当はこういう人たちと仕事がしたかったんだと改めて気づかされて。この会社で頑張ってみたいと強く思うようになりましたね。
教員時代は泣く泣くあきらめていた、理想のワークライフバランス
—コノセルに入社して果たしたかったことと、入社しての実際みたいなところはいかがですか。
一つは、働くことも全力でやりたいけど、プライベートも充実させたいというのがありました。教員時代は、実際それができていなかったので。
—教員時代のプライベートってどんな感じだったんですか。
土日も部活動の指導がメインになってしまって、1日丸々空いているような日が全然なかったですね。また部活がなかったとしても、終わっていない仕事のことや翌週に向けた準備など、仕事から完全に離れられるような時間はありませんでした。でもコノセルに入ってからは、本当に仕事のことを考えずにリフレッシュできる休日が過ごせるようになっています。
—それは良かったですね。仕事とプライベートのバランスはいかがですか?
メリハリがついてますよね。「今週の土日はここに行こう」とか「こんな風にリフレッシュしよう」と計画を立てられること自体が幸せです。また丸2日あるので、結構遠出もできるんです。そういうのもまた仕事のモチベーションになったりしています。
教員時代は休日は文字通り「休む日」って感じで、部活が終わった後の午後に「今日はようやく休めるぞ…」と思っていた記憶があります。ワークライフバランスとは程遠かったですね。
—休日が「仕事のために休む日」だったんですね。
そうなんです。仕事のために体力を回復する日みたいな感覚が強くて、溜まってしまった平日にはできないことを片付ける日という位置づけでした。でもコノセルに入ってからは、その感覚が本当に変わりましたね。
—今となっては、休日の位置づけはどう捉えていますか。
そうですね。今ではプライベートの生活と仕事がしっかりとそれぞれ存在していて、どちらも自分にとって大切なものだと感じています。仕事は仕事でいい仕事がしたいですし、プライベートはプライベートで充実した時間を過ごしたい。そんな風に考えられるようになりました。
—主従の関係じゃなくて、独立して対等な関係になったんですね。プライベートが充実したことで、仕事上での変化はありましたか。
そうですね。例を挙げるとすると、生徒と話す話題が豊かになったと感じています。例えば生徒が映画の話で盛り上がっているときに「その映画、僕も見たよ」みたいな会話ができるようになったんです。教員時代は映画を見る時間なんてありませんでした。
—勉強面以外で生徒との会話が豊かになったのは素敵ですね。
あとは体調面も教員時代よりずっといいですし、メリハリがついたことで安心感も生まれました。教員時代はずっと「この仕事を続けていくのだろうか」「この先ここにいていいのかな」みたいな不安や迷いがあったんですけど、今はそういうのが一切なくなりました。
—教員時代は先行きに不透明感があって、迷いながらやっていたんですね。
そうなんです。学校の教員って、自分の工夫で減らせる業務があまりないんですよ。やらなきゃいけないことが上から降りてくるだけで、溢れかえっている状態。自分の工夫で業務を減らすことなんてできなかったので、ワークライフバランスを充実させるなんて考えられませんでした。でも今は自分で自分をコントロールできるし、周りにもワークライフバランスを大切にしている人がたくさんいる。そこが教員時代とは全然違いますね。
—自分の工夫次第で変えられることが少なすぎたんですね。
そうなんです。教員になると、コンプライアンス的にも、リスク対策としても調査や報告業務というのがたくさんあって。それに対応していたら時間はどんどんなくなっていく一方でした。今の方が圧倒的に生徒と関わる時間は長いですし、生徒のために時間を使えている実感があります。
画一的な学校の枠組みでは実現できなかった、生徒への向き合い方
—次に聞きたかったのが、まさにその生徒との関わりについてです。教員時代にはできなかったけれど、コノセルに入って実現できていることはありますか?
教員時代は学習指導要領であったり学校の規則に縛られて実現できないことが多々ありました。でもコノセルに入ってからは新しいことにどんどん挑戦していける環境があります。「こうやった方が生徒によりよい価値を提供できるんじゃないか」と感じたことを、すぐに実行に移せるんです。そういう意味で、フットワークの軽さは学校教育とは全然違いますね。教員時代に「こうしたい」と思ってもできなかったことを、今は自分たちで関わって仕組みを変えていけるところが本当に魅力的だなと感じています。
—いいですね。具体的にどんなエピソードがありますか?
例えば、教員時代は生徒と1対1で面談する機会があまりなかったんです。面談期間のようなものは設けられるのですが、結局全員と話すとなると1人10分くらいしかとれません。それに加えて聞かなきゃいけないことが半ば決まっているので、形式的なことしか聞けずに終わってしまいます。「この子、もっと相談したいことあるんじゃないかな」と思っても、深掘りできないことがほとんどでした。でも今は面談の時間をしっかり取れるので、生徒が将来やりたいことや今困っていることにじっくり向き合えています。
生徒の無自覚な才能を発掘。可能性を広げる面談のチカラ
—林さんが生徒面談において大切にしていることを教えてください。
私が一番大事にしているのは、その子自身も気づいていないような「本当にやりたかったこと」や「頑張りたいこと」を、一緒に見つけてあげることです。そこに火をつけてあげるというか、くすぶっていた想いに火をつけるというのが一番大事だと思っています。だから「テストの点数を何点上げよう」みたいな表面的な話ではなくて、「将来こんなことをやってみたい」とか「こういう高校に憧れがある」みたいな話を深掘りしていきます。その達成可能性は置いといて、とにかくそういう話ができる存在になりたいんです。
—素敵ですね。何か具体的なエピソードはありますか?
そうですね。卒業生の一人に、お母さまが介護施設で勤務されていて、その影響から将来は介護福祉士になりたいと言っていた男の子がいたんです。でも時々本人が浮かない顔をしている瞬間があって。本人の好きなことや得意なことを深掘りしていったら、実はAIやプログラミングがめちゃくちゃ好きだったんですよ。
学校貸与のパソコンのフィルタリングを解除するプログラムを自作したりしてて(笑) 教員だったら間違いなく指導しなきゃいけないんですけど、塾の先生としては「そこまでできるのはすごいね」と褒めることができました。本人も大きな声では言えなかった興味を認めてもらえたことにホッとした様子でした。
—やっと人に言えたという喜びでいっぱいだったでしょうね。
その通りだと思います。一方で、お母さんのことは本当に大切に思っていて、介護福祉士になる夢も持っている。プログラミングも極めたい。その両方の想いに向き合った時に、彼は志望校選びにすごく迷っていたんです。でも、今はプログラミングを学ぶ場所は学校以外にもたくさんあるよね、というような話をしたら、自分で早速色々と調べて学び始めたんですよ。だから進路は介護福祉士を選びつつ、プログラミングは学校外の時間で続けていくという棲み分けができたみたいです。
きっとこの話をしなかったら、スッキリしないまま介護福祉士への道を進んでいただろうし、プログラミングへの情熱を無駄にしていたと思うんです。でも、どちらの想いも大切にしていいんだよ、と伝えることで、彼の中ですっきりと整理ができたみたいでした。
—人手不足が深刻な介護福祉業界をAIやプログラミングで変革していく可能性を秘めていますね。
そうなんです。そういう可能性を引き出し将来の展望に変化を起こせるのが教育に関わる面白さでもあり、やりがいでもあるんですよね。
教員時代のスキルはコノセルでも大いに活きている
—話を少し変えて、教員から民間企業へのチャレンジに不安を感じる人が多いと思うんです。スキルという点に注目した時に、まずは教員時代の経験が活きていると思うことから教えてください。
僕も活かせるものがないとすら思っていたのですが実際は間違いで、教員時代の経験がものすごく活きていると感じています。例えば、ある生徒を見た時に「この子は学校ではこういう立ち位置なんだろうな」というのが想像できるんです。塾では静かめの子でも「実は学校ではグループの中心でキャッキャしてるんじゃないか」と予想できたり。また、塾で活発に発言している子でも「学校では孤立しているかも」と懸念を抱いたりすることもあります。もちろん当たり外れはあるんですけど、そういう"勘"が働くのは間違いなく教員時代の経験のおかげだと思います。
—なるほど。教員時代の生徒に向き合った経験が活かされているんですね。
そうなんです。教員をしていると、色々な家庭環境の生徒に出会うので、ある程度パターンが見えてくるんですよね。「こういう発言をする子は、家ではお母さんにこんなふうに言われているんだろうな」とか「お兄ちゃんとの関係が悪かったような子は、こういう特徴があるかも」みたいに、経験則を頼りに想像することが多いです。
—面白いですね。保護者対応に関して教員時代から変わらず大切にしていることはありますか。
そうですね。私が保護者対応で心がけているのは、生徒本人だけでなく、保護者の方の悩みにも寄り添うことですね。実は、生徒が悩んでいる時って、保護者の方も同じように悩んでいるんです。でも保護者の方は誰にも相談できずに1人で抱え込んでしまっていることが多い。だから私は、まずは保護者の方の苦しみに耳を傾けるようにしています。もちろん、こちらとしては「こういう風に生徒に接していけばいい」というアドバイスをすぐにでもしたいんですけど、そこはぐっと堪えて。とにかく、保護者の方が本当は何を求めているのか、どんなことで困っているのかを汲み取ることを大切にしていますね。これは教員時代から変わらずに意識していることです。
コノセルで身につけた"変化を楽しむ力"
—一方で、コノセルに入ってから新しく身につけたスキルや経験というのはどんなものがありますか。
コノセルに入ってから身につけたことは本当に沢山ありますね。特に、コノ塾はまだ設立から日が浅いこともあって、色々な仕組み作りの段階にも関われているんです。私は入社1年目にも関わらず、早い段階から全教室共通の掲示物デザインなど、様々な部分に携わらせてもらいました。学校教員で自分のような比較的若い年次だと、全体に影響をもたらす仕事はまず任されないですからね。コノセルでは、自分のアイデアを形にして、それを多くの教室に届けるためにはどうすればいいかを考え、実行することができます。まだまだトレーニング中ですがこのような企画力は教員時代にはできなかったけれど、入社してから身につけたスキルだと感じています。
—そんなスキルの獲得にあたっては周りのサポートなどもあったんでしょうか。
おっしゃる通りです。入社して一番感じたのは、色んな得意分野や強みを持った方がたくさんいて、しかも皆さん快く教えてくれるんです。分からないことがあれば自分から質問しに行くと、どんどん有益な情報を提供してくれて。この会社には本当に尊敬できる人がたくさんいるので、教えを請うことが全然苦ではないんですよね。むしろ「教えてください!」とお願いすると、想像以上のアドバイスが返ってきます。だからまずは自分から様々な人とのつながりを作っていくことが大切だなと思っています。
—独りよがりにならずに、周りに助けを求めることが大事だということですね。
その通りです。そもそも私は教員という全く異なるバックグラウンドで入社したので、塾の仕組みについては本当に何も知らない状態でした。でも、だからこそサポートしてくれますし、自分から情報を求めに行けば、いくらでも教えてもらえる。結局のところ、自分がアンテナを張って情報を吸収しに行く姿勢があれば、前職とか関係なく、どんどん成長できる環境だと思います。
教員出身者に贈る、コノセル転職へのエール
—最近、教員から転職検討の方がものすごく増えています。林さんとしてはどういったマインドを持った教員の方がこの会社に合うと思いますか?
そうですね。まず一つは、与えられた役割で全力を尽くすことですね。これは教員という仕事柄、必然的に求められることだと思います。例えば担任の先生なら、担任としての仕事は手を抜かずにやり切る。これはコノセルでも変わらず大切にされていることです。
一方で、この会社は常に変化し続けていて、新しいことにもどんどんチャレンジしている。そこが学校とは大きく違うところです。だから、そうした変化を楽しめる人、ワクワクできる人は間違いなくマッチすると思いますね。逆に言うと、学校のように何年経っても変わらない環境が心地いい人だと、ちょっとついていくのは難しいかもしれません。私自身は、ずっと同じことの繰り返しは退屈に感じてしまうタイプなので、変化が速いコノセルの環境はすごく面白いし、やりがいを感じています。
—ちょっと質問の角度を変えて、今後どんな人と一緒に働きたいと思いますか。
現状の仕組みに満足しきらない人ですね。例えば今、学校にもICT化の波が来ていて、タブレットの導入が進んでいるじゃないですか。でもそれに対して「俺はチョークと黒板だけでいい」みたいなスタンスの先生だと、正直この会社では通用しないと思うんです。新しいことにチャレンジする姿勢、どんどん変わっていくことへの楽しさを感じられる人に来てほしいなと思っています。
—では最後に、教員からコノセルへの転職を考えている人に向けて、メッセージをお願いします。
教員からの転職は、大きな不安を伴うかもしれません。「学校特有のスキルしか身につけていない」という固定観念や、「民間企業で通用するのだろうか」という不安を感じる方も多いと思います。
でも、私の経験からは「心配ない」と断言できます。教員時代に培ったスキルは、ここコノセルでも存分に活かすことができるはずです。子どもたちと真摯に向き合う姿勢、授業への熱意、同僚と助け合うチームワーク。どれも教員ならではの強みであり、コノセルでもきっと発揮できるはずです。
それにコノセルでは、教員時代にはかなわなかった理想の働き方、理想の教育を追求できます。プライベートと仕事のメリハリ、一人ひとりの可能性に寄り添う指導。そういった教員時代の悩みや葛藤が、ここならば解消することができます。
常に変化を楽しみ、自ら学び続けることを大切にする組織です。変化を前向きに捉えられる方、新しいことにチャレンジし続けられる方は、ぜひコノセルという選択肢を考えてみてください。
—素晴らしいメッセージをありがとうございました。林さん、今日は貴重なお話をたくさん聞かせてもらって本当にありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。この話が誰かの背中を押すきっかけになったら嬉しいです。今日はありがとうございました!