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学生時代のアメリカ旅行で感じた人の温かさ

英語すら上手に話す事ができないけど、海外の多くの場所に旅行をしてきました。
学生時代、友人と共にアメリカでレンタカーを借り色々な都市を巡っている時、ジョージア州の郊外の小さな町で食料品の買い物をするためにスーパーに立ち寄りました。買い物を終え自分達の車に戻ると、当て逃げされたのか、ボディーは大きくへこみ、助手席はへこんだドアでまともに座れない様な状態になっていました。インターネットも普及していない時代、レンタカー会社の支店が近くにあるかも分からない、アメリカの保険の仕組みも全く知らない、でも旅行日程はまだまだ続くという状況で途方に暮れていました。英語に自信がなく電話でどこかに問い合わせすることにも、警察に相談に行く事にも躊躇し、困り果ててその日宿泊する予定だったホテルのスタッフの方に相談をしました。そのスタッフの方は、私達の酷い状態の車を見て「あなた達折角の旅行なのに可哀想ね。私がレンタカー会社とか保険会社に話しをしてあげる。」と各方面に電話を掛けて色々な手続きを本当に親身になってしてくれました。2日後、レンタカー会社からホテルに「最寄りの営業所に来てくれれば代わりの車を用意する。保険で全部処理するから追加のチャージは不要。」という連絡が入り、私たちは無事に旅行を続ける事ができました。
現在の様にネットが普及した環境であれば、言葉が通じない国でもある程度の情報を得る事ができて自分達で何とか対処できたかもしれませんが、ネットが無い時代には、このホテルのスタッフの方の助けが無くては恐らくまともに旅行を続けられなかったと思います。
何もわからない不安、言葉が通じないもどかしさの渦中にいた私達にとって、ホテルのスタッフの方は本当に救いの神で、英語もまともに話さない外国人に対し親身に対応してくれる温かな気持ちに対し感激し、心から感謝しました。帰国後、その思いを伝えるためにホテルに感謝の手紙を書きました。20年以上経った今でもその小さな町の小さなホテルの事が忘れられず、一緒に旅をした友人と会う度に「いつか絶対にあの町に行って、あのホテルに泊まりに行きたいね」と話しをします。
こういうプライベートでの経験があって、自分自身がホテルの運営に関わる時にはこういうホテルにしたいという信念が生まれたと思っています。

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