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《インタビュー録》ご挨拶:代表取締役社長 上石 泰義(あげいし やすよし) Part 1

こんにちは、WDC広報担当の宇田川です!

今回は、代表の上石のインタビューです。3部構成でお届けします。Part1では、上石が保険業界に入るきっかけになった出来事を詳しく聞きました。それではお楽しみください!

簡単に自己紹介をお願いします!

家族は妻と子供二人と犬がいます。息子は高校2年生、娘は小学6年生です。出身は生まれも育ちも千葉県千葉市です。

保険業界に入る前はどんなお仕事をされていましたか?

高校卒業後、大学には進学せず、フリーターとして様々な仕事をしていました。最初は人材派遣のドライバーとして働き、日当7,000円をもらっていました。そのとき、コンビニのフランクフルトを食べたのがとても美味しくて。これをきっかけに真面目に働こうと決心しました。どん底からの社会人スタートですね(笑)

その後、派遣スタッフとして真面目に働いていると、運よく「内勤をやらないか?」と声をかけられ、異動して内勤をさせていただきました。私の支社の上司がとても良い方で、「上石くんは、営業に向いてる!」と、しきりに言ってもらっていたことをキッカケに、内勤から営業へ異動し、手取り足取り何でも教えていただきました。

20代前半の私は、「ワークライフバランスが大切だ」と考えていて、朝9時から5時まで働けばお給料は貰えるし、残業なんかしないで、仕事が終わったらとことん遊びたい派でした。その影響もあって、働きたくない人の気持ちは今もとても理解できます(笑)

その上司は、褒めて伸ばすことがとても上手だったので、関係も良く、教えて貰ったことを素直に受け入れて実践でき、教えられたことを愚直に行い続けました。愚直に行うと成果がでるので、営業として数字を上げることの面白さに目覚めました。ある程度、数字を上げられると次の壁に当たりました。サラリーマンとして働く中で、「どんなに頑張ってもお給料はなかなか上がらない問題」です。

営業が得意になると、1ヶ月のノルマを1週間で終わらせてしまうこともありました。しかしノルマを越えすぎると翌年の予算設定がとても高くなるので、少しだけ超える程度に調整していました。

1週間でノルマを達成した月は、残りの3週間は喫茶店でゲーム三昧の日々が続きました。当時やっていたRPGはレベル99を越えていました。手持ちのゲームもどんどんクリアして暇つぶしのためのゲームも足りなくなったので、同僚から借りていました(笑)喫茶店でのゲーム三昧を続けた結果、常に無気力な気持ちになってしまい、「俺は何をしているんだろう」と、外で頑張っているサラリーマンを見て羨ましく思っていました。

自分がいくら頑張っても、やりすぎても意味がないということに悩んでいました。

元トップセールスが保険営業として働き始めたきっかけは?

保険業界に足を踏み入れたきっかけは、学資保険に入ったことです。

子供を授かったタイミングで、妻がママ友達と話した際に「学資保険」の話題になったそうです。当時はソニー生命の学資保険が業界で最も返戻率が高く、妻がソニー生命に問い合わせ、そのまま学資保険に加入しました。

担当していただいたライフプランナー(ソニー生命の営業の呼称)が非常に素晴らしい方で、常に前向きに働いていて、仕事を楽しんでいるように見えました。その後、担当ライフプランナーと定期的に連絡を取る中で、その方が営業所を作るとのことで、「1号ライフプランナーとして来ませんか?」と私を誘ってくれました。当初は保険に全く興味が無く、むしろマイナスのイメージを持っていました。

1年ほどかけて誘っていただいた末、面接を受けることを決めました。最初は気乗りしなかったのですが、その方の働きぶりやソニー生命の保険に対する考え、会社の歴史に感銘を受け、次第に「ソニー生命、保険営業って良い仕事だな」と感じるようになりました。

ちょうど30歳になる年で、今後を考えるタイミングでもあったので、良いご縁をいただいたと思っています。

ソニー生命に入社してから、人生の転機と言ってもいいほどの変化があったそうですが、具体的にはどのようなことですか?

ソニー生命に入社したての頃は、本当に落ちこぼれだったと思います(笑)私には「学」が無かったので、役員面談でボロカスに言われ落とされました。運よく再チャレンジをさせていただき、何とか【育成枠】でソニー生命に入社できました。

私はソニー生命に拾って貰ったと思っていたので、恩返しをしたいと謎のパワーを発揮しました。入社当初は、知り合いに保険を販売するのが苦手で、自分のこれまでの人脈リストは、はじめの2か月でシュレッダーをして、何も無いすってんてん状態まで追い込みました。

やるしか無い状況に追い込まれると底力が覚醒します。もう毎日が我武者羅で、タウンページで「あ行」から突撃電話をしたり、新興住宅地で1軒1軒ピンポン営業をしたり、公園でママさんにアンケートを取り学資保険を販売したり、飛び込み訪問を沢山したり、無い知恵を振り絞り、やれることは何でもしました。そんなドブ板営業をやり続けて、母数が増えると確率論で結果が出るもので、次第に数字が上がっていきました。

その内に念願の社長杯(ある一定の成績基準を超えた人への表彰)にも入賞でき、わくわくしながら行った初のハワイの表彰式。そこでとても衝撃を受けました!

社長杯の入賞順位が高ければ、ホテルの階が上になるという超実力主義の世界。初めてのハワイ表彰式は5階か6階だったので、エレベーターで私が先に降りるとなんだか負けた気分です。帰国してから、もっと気合いが入り、上の階に昇りたい!という、謎のプライドと負けず嫌いの性格が、その後の高挙績に繋がり、頑張り続けることができました。

ソニー生命は、いい意味で絶対評価の完全実力主義なので、そんな会社で貴重な30代を過ごし、とても成長をさせて貰ったと本当に感謝しております。

ソニー生命時代になにか気づきがあったということですか?

はい。仕事以外でも思考の変化があり、大きな気付きがありました。私が知ったのは、金融業のダイナミックさです。

金融商品は目に見えなく、契約の概念だけで、大量のキャッシュを生むという不思議さがあります。保険商品は、一般のお客様からすると保障(補償)に見えます。保険会社側では預かった保険料で、株式や債券などを大量に購入し、それを運用管理して利益を出しています。日本の国債も大量に保有してるので、国にとっても大事な役割を担っています。

日本人の至宝、大谷選手がいるドジャースは、大元を辿れば保険会社が所有していたり、周辺のメディアを買って利益を出したりと、海外の保険会社がやっているビジネスは日本と比べ物にならないようなスケールの大きさです。例えば、再保険会社(1つの保険会社では背負いきれないような大きなリスクがある場合、背負いきれない部分のリスクを引き受けてくれる会社)というのもあります。

(こういったことからもわかるように、)ソニー生命で営業を学び、成長させて貰い、金融の勉強もさせていただき、自分の考えは劇的に変わりました。

数兆円、数十兆円という、とてつもない額の資金を運用しているのを間近で見ると、不可能だと思っていたことが何でも出来ると思いますし、もっと知りたいという自分自身の成長意欲、知識欲もどんどん高まりました。

人材派遣で良い上司が営業として成長をさせてくれて、妻と息子のお陰でソニー生命の学資保険を契約たことがきっかけでソニー生命とご縁が生まれ、懇意にしていた担当者から声を掛けられソニー生命に入社することが出来ました。私は、実力ではなく運が良かったとしか思えません。

受け入れてくれる好きな人からの言葉、懇意にしてくれた人のアドバイス、それらを素直に受け止めて行動した結果、たまたま良いご縁が生まれ、今の自分があると思っています。

本当に感謝しております!




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