こんにちは!FreeStyle採用担当です。
今回のストーリーでは、FreeStyleを立ち上げた当社代表の山本にフォーカスしてお届けします。
山本の幼少期からこれまでの歩み、会社設立に込めた想い、そしてFreeStyleが描く未来まで、全3部構成でお届けする予定です。
第1部では、山本の等身大の姿を知っていただけるようなストーリーをお届けします。
ぜひ、FreeStyleという会社の原点を少し覗いてみてください!
幼生時代:「誰かと一緒に夢中になる」原点
―山本さん、今日はよろしくお願いします!
よろしくお願いします。
インタビュー、頑張ります!
―まず、山本さんの幼少期から学生時代まで、どんな子供だったか教えてください。
私は現在38歳になるのですが、小学生の頃には自宅にパソコンがあって自由に触ることのできる環境で育ちました。親も寛容で、パソコンだけでなくゲーム機とかも割と買ってもらえていましたね。
特定のグループに所属するというよりは、クラス全体と仲が良いタイプでした。部活動は小学校では陸上部、中学校では卓球部に所属していました。
小学校高学年になるとオンラインゲームにハマっていて、その頃から知らない人と会話したり、協力プレイをすることが多かったです。今思えば、そこで自然と人見知りをしない性格が育まれたのだと思います。ブラインドタッチも、会話に追いつくために自然と身につきました。
また、自宅が通学路の途中にあったので、友達も学校帰りに寄って毎日のようにゲームをしていました。
大人になってから聞いた話ですが、中学生時代のエピソードとして、友人の母親から「夏休みはエアコン代が安かった」そうで、理由を聞くと毎日友達が私の家に来てゲーム三昧だったため、家にいなかったから電気代が安く済んだそうです。(笑)
中学2年の夏休みに両親が離婚して、「妹が一人になるので家に居てほしい」と言われ、卓球部はその時に退部しました。
学生時代は本当に“ゲーム漬け”の日々で、勉強にはあまり身が入りませんでした。今思うと、親には申し訳ない気持ちもありますね(笑)。
当時はゲームが大好きで、一生やってるんだろうなって思ってましたけど、大人になると友人とゲームをする機会も減りますし、仕事も忙しいのであまりやる時間はないですね。時々昔みたくワイワイしたいなって思うこともあります。
ただ、大人になってから振り返ると、当時はゲームが好きというのは勿論あるのですが、自分の場合は、なにより”誰かと一緒に夢中で何かをやる”というのが好きだったんだなと感じました。
―専門学校ではどのような学生生活を送られていましたか?
IT系の専門学校に進学したのですが、実家で猫を飼っていて動物が好きだったので動物関係の仕事に就こうかと悩んだ時期がありました。
ただ、動物業界には「命を扱う仕事」や「長時間労働・低賃金」といった厳しいイメージがあり、結果としてIT業界を選びました。正直、「ITのほうが無難かもしれない」という程度の動機でした。
20代の頃は、よく動物の道に行っていたらどうなっていたのかと、現実逃避や後ろ向きに考えることもありました。
しかし、今では視点が変わって、将来的には「IT業界で稼いで動物業界の支援をしたい」とか、「ITと動物をかけ合わせた事業をしたい」とか、そういう風な関わり方もできると、前向きに考えられるようになりました。
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社会人のスタート:会社員時代とフリーランス時代のエンジニア経験
―就職活動や社会人としてのスタートについて教えてください。
卒業の半年前に1社から内定をいただいたのですが、「本当にここでいいのかな…」と悩んだ末に、結局お断りしました。
最終的には、卒業直前に学校に説明会に来た企業に入社を決めました。
お会いした人事担当の方や社員の方々の雰囲気がとても良く、仕事一辺倒ではなく、信頼関係を重視する文化を感じられたのが決め手でした。
1社目はインフラ系の運用保守を行うSES企業で、約7年間在籍しました。
この会社では2つの現場を経験しましたが、最初は24時間365日で複数システムの監視をしている現場へオペレーターで配属されました。
1年ほど働いたのですが、現場が割とドライな人間関係だったため、あまり馴染めずに終わってしまったことが残念でした。
その後に配属されたネット銀行の保守現場には5年以上在籍しました。配属された運用保守チームだけで約20人、フロア全体では200人超の大規模案件でした。
風通しの良い現場で、人間関係にも恵まれていた現場でした。
ただ、スキル面においては運用保守がメインで、サーバー構築などをするわけではなかったため、あまり成長できる現場とは言えませんでした。
3年ほど経った頃から「このままで大丈夫だろうか…」という不安を抱くようになりました。とはいえ、その当時はエンジニアとしての明確なビジョンもなく、現場の人たちとの関係性は良好だったことから、腰が重くて動き出せなかったのが正直なところです。
同じチームのメンバーは年上の方が多くて、先輩たちが自分のキャリアを気にかけてくれることが多かったんですね。21歳から5年もいたので、「まだ現場変えなくて大丈夫なの?」「エンジニアについてのキャリアはどう考えているの?」と。
そんな中、とあるタイミングでチームのリーダーから、同じ現場にいた別会社の方を紹介してもらう機会をいただいたんです。
ご紹介いただいた方が所属している会社では、今よりもスキルが上がる案件に携わることができたこともあり、お声がけいただいた会社への転職に至りました。
周囲の先輩たちが気にかけてくれていなければ、もっと転職が遅くなり成長が鈍化していたのではないかと思います。
周りの人とのご縁が自分の新しい挑戦のきっかけとなり、やはり自分にとって一緒に働く「人」は大切だと実感した経験でもありました。
―2社目への転職後は、どのような経験をされたのですか?
転職先では約1年半勤務しました。
1社目では人間関係に恵まれた一方、2社目ではスキルは伸びたものの、人間関係に悩まされましたね。
その会社では私を含めたチームのメンバーに対して、上司によるパワハラが発生していました。
社内で問題解決に向けた提案をしても改善されず、むしろその上司が昇進したことに強いショックを受けました。
その後、通勤に片道2時間半かかる案件への参加を求められ、一度は断るつもりでした。
「面談の練習になるから」と言われてしぶしぶ参加した面談で、図らずもご評価いただいたのですが、社長が獲得した重要案件であることを理由に強く説得されました。
会社都合100%の納得感のない対応に不信感を抱き、最終的には会社を離れる決断をしました。
その後は、フリーランスとして独立しています。
2社目での経験はスキルが伸びたこと以外はあまりポジティブではなかったのですが、どんなに売上が伸びていたり事業が成長していても、「人」を大切にしない会社は自分には合わないということを再確認することができました。
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―フリーランスとしてのスタートと、転職ではなくフリーランスへ挑戦した背景を教えていただけますか?
28歳〜29歳の頃に独立し、以降約4年間、フリーランスエンジニアとして活動しました。
ありがたいことに、独立当初から安定して案件をいただくことができました。
独立当初から安定して案件を獲得できたのは、会社員時代に積み重ねた経験と信頼があったからだと思います。当時エンジニア歴は約9年、インフラ分野での経験も3年あり、会社員時代に地道にスキルを磨いてきたことがここで活きたと感じました。
会社員ではなく、フリーランスへの挑戦をした背景は大きく2つです。
一つは会社員時代に副業で始めた投資をきっかけに、詐欺まがいの被害に遭ったことです。
約800万円の負債を抱えてしまったのですが、当時の年収は400万円台でこのままでは返済の目処が立たないと感じました。
そんな状況だったため、すべてを自分で管理・遂行しなければならないフリーランスの難しさは理解していましたが、一時的に自分の負担が増えたとしても経済面を優先してフリーランスを選択しました。
年収は会社員時代を大きく上回ることができましたが、営業、契約、スケジュール管理、スキルアップ……実際にやることは沢山あって大変でしたね。
もう一つの背景は、9年のエンジニア経験を経て、自分個人の力試しをしてみたいとも思っていたためです。私は、決してスキル面で大きな自信があったわけではありませんでした。
ただし、周りの知人たちがフリーランスに挑戦している姿を見て、自分も挑戦してみたい。会社に守られた環境の中ではなく、個人の力を更に伸ばし、成長したい。そう思うようになりました。
やることが多くなる一方で、今まで以上に自身の成長のための自己研鑽は必要で、しっかり技術力を高める時間を確保することが難しかったですね。
元々私は自宅での自主学習が苦手だったこと、フリーランスとして物理的に技術を学ぶ時間を確保する難易度が上がったことから、「現場で誰よりも吸収する姿勢」を常に意識していました。
日々の積み重ねによって着実に現場の中で、スキルを身につけていった感覚です。
FreeStyle創業の背景:「人との信頼を、土台に。」
―フリーランスから起業へ。FreeStyle立ち上げの背景を教えて下さい。
FreeStyle創業のきっかけは、大きく2つあります。
1つ目は、「信頼関係と丁寧なコミュニケーションを大切にした環境を、自らの手でつくりたい」という思いです。
フリーランスとして働く中で、「立場が変わっても人間関係の悩みはついて回る」と痛感しました。ある現場では、その現場に10年以上携わる実績十分のリーダーがいたものの、コミュニケーションがやや一方的で意思疎通が難しい場面が多々ありました。
私なりに気を利かせて対応したつもりの作業が意図に反していたようで、厳しい言葉をいただいたこともあります。
こうした経験を通して、「人間関係に振り回されない環境を、自分自身でつくりたい」――そう強く思うようになったのです。
2つ目は、「人とのご縁」です。
フリーランス時代にご一緒した方が、会社を起業して創業支援の事業を立ち上げるというタイミングがありました。継続的に関わってきた方で、私のことをよく知る方なのですが、「山本さんは会社を自分で創ること、絶対向いているよ。うちの最初のモデルケースとして一緒にやらない?」と声をかけていただきました。
漠然と人間関係に振り回されない環境づくりに対する熱意はあったため、その言葉をきっかけに本格的に起業に向けて始動する運びとなりました。
当時は、はじめから明確なビジネスプランがあったわけではなく、信頼とつながりの中で自然に流れが生まれ、結果としてFreeStyleが生まれました。
振り返ると、今回も「人の縁がすべてを運んできてくれた」と、改めて実感します。
―FreeStyleや山本さんの原点にあるのは「人」や「縁」だということが、すごい理解できました!
今一緒に働いている仲間たちも、関わってくださるフリーランスの方々も、すべて“ご縁”でつながっています。
採用活動においても、「ご入社いただけるかどうか」にかかわらず、面談を通じて何かしらプラスの時間になればと考えています。
もちろんFreeStyleを最初から知っている必要はありません。
少しでも「話を聞いてみようかな」と思っていただけたなら、ぜひ気軽にお話しできれば嬉しいです。
―山本さん、ありがとうございました!山本さんの今までの経歴や大切にしていることなど、山本さんのお人柄が読者の皆さんに伝わる内容でした!
今回は、代表の山本についてからFreeStyleを立ち上げるまでにフォーカスを当ててお送りしました!
次回は、FreeStyleという社名に込めた想いや、実際の社員さんの「FreeStyle」な働き方についてさらに深掘りしてきますので、ぜひご覧ください!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
FreeStyleでは現在色々なポジションで採用を展開しています!
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