「書く」ことにこだわり続ける。スタジオユリグラフ代表森石の創業ストーリー(後編) | 株式会社スタジオユリグラフ
皆さん、こんにちは!スタジオユリグラフ採用チームです。今回は、代表取締役CEOである森石に、これまでのキャリアやスタジオユリグラフ設立の経緯、そしてAIライティングアシスタント「Xaris」に込...
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皆さん、こんにちは!スタジオユリグラフ採用チームです。
今回は、代表取締役CEOである森石に、これまでのキャリアやスタジオユリグラフ設立の経緯までを聞いてみました。
スタジオユリグラフがどういう背景・価値観のもとに運営されているのか?を知る手がかりとなれば幸いです。
歌手→小説家→ライター。挫折を経て「書く」道に
ストレスで血を…叩き込まれた「書く」仕事のリアル
倒れて自覚した「書く」ことへの執着。そして海外へ
次回。部署がまさかの消滅。たった一晩で無職に…?
――「書く」ということを仕事にしようと思ったきっかけは何でしょうか?
もともと物心ついた頃から本を読むのも文を書くのも好きで。中学時代に自分でウェブサイト作ってネット小説をアップしたりもしていて。昔から「小説家になりたい」とうっすら考えてたんです。
ただ、安定しない職業だとは分かっていたし、親からは安定した会社に入れと言われていたこともあって、なかなか周囲に言えず、大学を卒業して不動産会社に就職しました。ただ、やっぱり「書く」を仕事にしたい気持ちは消えなくて。
そのとき「書く」仕事なら小説家じゃなくて「ライター」って道もある。そっちならまだ食っていけるかも? って思ったんです。
いろいろ悩みもしたのですが、結局一年で会社を辞め、編集プロダクションに転職しました。雑誌の下請け制作をやっている会社です。これがキャリアのスタートでした。
ちなみに入社後、「小説家で食っていくのは無理そうだけど、ライターならいけるかと思って」と先輩に言ったら「ライターをナメんじゃねえ」とこっぴどく怒られました。そりゃそうですよね。
――編集プロダクションでの仕事はどんなものでしたか?
先輩の言った通り「書く仕事は甘くない」って現実を嫌ってほど叩き込まれる毎日でした。
自分もそれなりに書けるつもりでいたんですが、全然だめ。たった400字の記事を10回以上書き直させられて、頭がおかしくなりそうになったのを覚えています。
あと「書けなくて血を吐く」人を人生で初めて見たんですよ。当時の社長なんですけど。
取材して〆切が近づくと「どうやって書けばいいんだ」って悩んで、ストレスで吐いて、胃から何も出なくなっても吐くのが止まらなくて、喉だか食道だかの血管が切れて血を吐くんです。
「マジか」って思いましたね。
僕はそこまで覚悟がキマってなかったし、だから当然、物覚えも悪けりゃ要領も悪かったです。社長に「お前のいいところは辞めないこと。それ以外は全部ダメ」と言われ、じゃあ絶対やめてやんねーと意地で3年近く働いたのですが、結局体を壊して入院。ろくに話もできないまま退職しました。
この職場には愛憎入り混じった感情があって、なかなか一言では総括できないのですが……。当時の社長を思い出して、「自分は血を吐くほど本気でやれてんのか?」と思うことはありますね。
――入院したあとは、どうなったんですか?
病院に押し掛けてきた親に連行されて、地元に戻りました。
「もう倒れるくらい好きなことをやったんだから、あとはもう地元で堅実な仕事を探しなさい」と母には言われたんですが、仕事を探しはじめると、どうしても「ライター」って言葉を検索しちゃうんです。
自分より凄い人をたくさん目の当たりにしたし、才能がないと言われ続けたし、いろんな人に迷惑もかたのに……やっぱり、諦められなかった。
「あぁ、俺はもう一生、書いて生きていくしかないんだ」って思ったんです。
そのときタイミングよく、香港のメディア企業が、台湾支社で働く日本人を募集してまして。それに勢いで応募したら通ったんですよ。
――巡り合わせですね。
母には「東京でボロボロになってようやく帰ってきたと思ったら今度は海外ぃ? あんた本当いい加減にしなさいよ!」と怒られましたが(笑)。受かっちゃったもんはしょうがない。
そんなわけで5年近く、台湾で働いていました。
日本人向けに動画ニュースを作るディレクターというポジションで、動画の企画や脚本、ナレーションまで担当していました。
初めての外資企業でしたが、世界各国のメンバーがいて、いろんな価値感に触れられました。「あなたが面白いと思うものを作れ」というスタンスで、個人の裁量が大きかったのも良かったですね。
かなり過激で、中国政府にもガンガン批判するような社風でしたが、「世の中に何かを発信する」ことへのスタンスを学ばせてくれた良い会社だったと思います。
今回のインタビューはここまで。
後編では、挫折を乗り越え海外で就職したはずの代表が、なぜ日本に戻り、沖縄で起業したのか? をお伝えしていきます。お楽しみに!
後編はこちら↓