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【創業秘話】無人島で出会った"生ごみ処理機"

■無人島で1ヶ月暮らしている時に出会った生ごみ処理機

株式会社伝然、代表の尾賀です。

生ごみ処理機に出会ったのは、無人島でした。

ちょっと何を言ってるかわからないですよね(笑)

20歳で経営者の道を志し、23歳で脱サラしたもののうまくいかず。
貯金は底をつき、いきついたのが無人島でした。

きっかけは、友人のたった一言「尾賀は何がしたいの?」

私は、この問いかけをきっかけに、小学校の卒業アルバムに"無人島で1ヶ月暮らす"と書いていたことを思い出したのです。


私は昔の宣言通りに、無人島に行き1ヶ月暮らしました。持ち物はナイフ・テント・マッチだけ。水も食べ物もなしです。とても過酷な日々で、12kg痩せて帰ってきました。

長くなるので、話しはここまでにしますが、無人島ではwifiが使え、パソコンは持っていました。

本島に帰ったら何をしようかと考えていた私は、ネットで事業の種を探していました。

その時に見つけたのが、生ごみ処理機の代理店販売の募集だったのです。

「どうせ事業をやるなら、お金を稼ぐためだけではなく、環境や自然に良いものがいい!」そう思った私は無人島から代理店に応募し、さっそく代理店になりました。

これが全てのはじまりです。

■取引先が夜逃げ...

自分自身商品を使ってみて、素晴らしい製品であることは体感済みでしたが、中々売れません。

代理店を始めて1年経った時、ようやく月に数台売れるようになってきました。

「これは、もっと売れる!!」

そう確信した翌月。

当時、製品を輸入していた会社と連絡が取れなくなり、事業は頓挫しました。

代理店は100社近くあったものの売れず、他の事業も上手く行っておらず、逃げたようです。

この時、私に借金だけが残りました。

■ 借金返済に追われた2年間

知人の会社に拾ってもらい、借金を返すために2年間ほぼ休みなく1日14時間働きました。

そして、仲間と事業を成功させ、借金返済だけでなく2000万円ほどの種銭を貯めることができました。

webマーケティングに関連する会社だったので、事業を創るためのコアなノウハウをこの時期に身につけました。

■ 株式会社伝然を創業

どうしても生ごみ処理機の事業をもう一度やりたいと思っていたので、会社を退職。
株式会社伝然を創業しました。

海外の生ごみ処理機の工場やメーカーと何社も交渉し、努力の甲斐あって、自社ブランドの生ごみ処理機を販売する運びとなりました。

そして、"ナクスル(NAXLU)"という名前を付け、販売を開始し現在に至ります。

■ 販売は絶好調!ここから更なる高みへ

ナクスルの売れ行きはとても良く、喜んでいただいている実感がかなりあります。商品をリリースして2年が経ちましたが、Amazonの口コミ評価は4.6と大好評です。

しかし、周りを見渡すと、BtoCの環境業界で活躍するスタートアップはほとんどありません。

弊社のナクスルはまだまだ伸びる余地がありますし、環境業界のマーケットには社会的意義と可能性を感じるばかりです。

今後は、国内の生ごみ処理機の会社として、圧倒的な地位を築き、環境問題に取り組む会社として事業規模を拡大していきたいと思っています。

そして、世界進出、年商100億を目標に、会社を成長させていきます。

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