「自分が前に出て輝くより、自分のアシストで誰かが輝く。そっちのほうが、ずっとうれしいんです」
そう語るのは、認定NPO法人日本IDDMネットワークで働く畑中葵さん。高校時代は野球部のマネージャー、その後はラジオパーソナリティ、保険の営業と、一見すると異なるキャリアを歩んできました。
ですが、その根っこにはどんな場所でも変わらない一つの軸があります。それは、相手が今必要としているものを先回りして届けること。
今回は、熊本から佐賀へと移り住み、「1型糖尿病の根治」という大きな目標に向かって走る畑中さんに、これまでの歩みと日本IDDMネットワークでの日々を伺いました。
「お前が一番、野球部だった」── マネージャーが見つけた"アシストの喜び"
ーーまず、子ども時代や学生時代のお話から聞かせてください。
私は熊本出身で、大人になるまでずっと熊本で育ちました。弟が野球をしていたこともあり、いわゆる野球一家だったんです。その流れで、高校に進学したときに野球部のマネージャーになりました。進学校だったのですが、ちょうど先輩の代が強くて、「甲子園を目指そう」と本気で言える環境でした。
家族の中では、弟は甲子園には行けなかったのですが、妹が熊本工業のマネージャーとして甲子園に出場しました。ちなみに、うちの子どもは3人いるのですが、「翔斗(しょうと)、麗斗(らいと)、一夏(いちか)」という、野球にちなんだ名前までつけたんです。それでも結局、誰も野球はしてくれませんでした(笑)。
ーー野球部マネージャーの経験から得たものはありますか?
当時の監督から「マネージャーは"お世話をする"イメージがあるけれど、これはあなた自身の部活でもある。自分の中で"誰にも負けない"と思えるものを作った方がいい。」と言葉をかけてもらったことがあり、それを機に「何をするにも自分が一番できるようになろう」と思うようになったんです。
ノックの球出しも、スコアブックの記録も、一つひとつ本気で取り組みました。スコアを書いていると、誰がどんな情報を必要としているかが少しずつ分かるようになってきました。例えば、ピッチャーなら「この打者は前の打席でどんな結果だったか」を知りたがりますし、監督なら試合全体の流れを確認したいこともあります。誰かに言われてやるのではなくて、「この人はこれが欲しいはずだ」という情報を、先回りして差し出す。そういうことを考えながらやっていました。
仕事をする上で「アシストするほうが好きだな」と思えるようになったのは、きっとあの頃が原点なんだと思います。
ーーそれが、今のお仕事にもつながっているのですね?
そうですね。今でも、同期14人のみんなの誕生日を覚えていますし、年に一回はみんなで集まっています。「お前が一番、野球部だったよな」なんて言われることもあります(笑)。
私は、自分が出した情報で"自分が"輝くのではなくて、その人自身が輝いたりするほうが嬉しいんです。野球で例えるなら、私がアナウンスした打者がヒットを打つような感覚ですね。自分一人でできることには限界がありますが、「あの人がどうすればもっと活躍できるだろう」と考えることには限界がありません。だからこそ、そういう役回りが好きなんだと思います。
ラジオ、保険営業、そして非営利の世界へ ── 一見バラバラなキャリアを貫くもの
ーー社会人になってからのキャリアも、かなりユニークですよね。
高校卒業のとき、家庭の事情で憧れていた大学には行けませんでした。そこで、まずは通信制で2年間学びながら、塾講師のアルバイトを掛け持ちしていました。その後、心理学を学びたいと思い、地元の大学へ進学しました。少し遠回りをしながら学生時代を過ごしたあと、同学年の友人たちが卒業するタイミングでラジオ番組を担当することになったんです。
母が熊本でローカルタレントとして活動していたこともあり、私自身も高校時代から話す仕事に関わっていました。その流れで本格的にラジオ業界へ入り、パーソナリティやアシスタントディレクター(AD)、イベント運営などを経験しました。その後、結婚・出産を経て、保険会社に転職しました。法人向け保険の営業として働き、新人代表に選ばれるなど、やりがいを感じながら仕事に取り組んでいましたが、ちょうどその頃、コロナ禍によって状況が大きく変わり、飛び込み営業が難しくなったことに加え、長男の小学校入学のタイミングとも重なり、自宅で過ごす日々が続いていたんです。そんなときに、友人から「在宅でできる仕事があるよ」と声をかけてもらったことが、日本IDDMネットワークとの出会いでした。
ーーラジオから保険、そして非営利団体と全く異なるキャリアを積んでいるように見えますが、つながりはあるのでしょうか。
一見すると、つながりのないように見えますが、私の中では全部つながっているんです。マネージャーも、塾講師も、ラジオも、保険営業も、相手はいつも“人”でした。相手は見えなくても、ラジオは聴いている人とのコミュニケーションです。結局は、人と人との関わりなんですよね。
マネージャーや塾講師をしていた頃から、「その人が人生を振り返ったときに、思い出の片隅に私のことも残っていたらうれしいな」と思いながら関わってきました。そうやって人に寄り添える仕事がしたいという気持ちは、ずっと変わっていません。だから、一見すると違う仕事に見えても、私の中ではつながっています。今の仕事は、病気や患者さん、そのご家族とも関わる仕事です。だからこそ、これまで以上に“人と向き合う仕事”だと感じています。
ーー非営利団体で働くことへの迷いや不安はありませんでしたか?
お給料は、それまでより一度下がりました。しかし、当時はちょうどコロナ真っ只中で大変だった時期でした。多くの企業が急にZoomを導入したり、在宅勤務へ切り替えたりしていましたが、日本IDDMネットワークはコロナ以前からリモートワークの体制が整っていたんです。そのため、組織としても働き方としても大きく混乱することがなく、むしろ安心感がありました。
また、当時すでに年間事業規模が2億円ほどあり、ふるさと納税も活用していました。「非営利団体でも、これだけの規模で活動しているんだ」という信頼感もありました。私が入職したのはちょうど創立25周年のタイミングで、長い歴史もあります。もし別の病気を対象とした団体だったら、入職していなかったかもしれませんが、祖父も父も糖尿病で、私にとっては身近な病気でした。父は今もインスリン治療をしているので、患者家族という立場を活かせると感じました。
さらに、日本IDDMネットワークは研究費助成にも取り組んでいますし、患者・家族に向けたイベントなども行っています。これまでのイベント経験や法人営業の経験を全部活かせると思えたのが、大きかったですね。
「著名な方に連絡する」経験──"甲子園を目指す"ように走れる場所
ーー入職して最初の数ヶ月は、大変でしたか?
リモートなので、「これってどこだっけ?」と気軽に聞けないのが少し大変でしたね。自分で調べながら一人で進めないといけませんし、いろんなツールも覚えないといけない。そこは大変でした。経理の仕事も、まったく経験がありませんでしたので。
今は佐賀に住んでいますが、最初は熊本からリモートで働いていました。担当する業務の幅が広がる中で、代表をはじめ事務所が佐賀にあることもあり、より密にコミュニケーションを取りたいと思うようになったんです。ちょうど佐賀には移住支援の助成金もありましたし、夫も転職を考えていた時期でした。さまざまなタイミングが重なり、家族で佐賀へ移住することになりました。
ーー今は、どんな業務を担当されているのですか?
経理業務が一つあります。とはいえ、本格的な経理は専門の業者さんへ委託しているので、私はその間をつなぐ役割ですね。その他、協力してくださる企業さんとの窓口対応や営業、イベントの運営も担当しています。それから、担当が決まっていない業務を引き受けることも多いですね。
NPOの経理は、一般企業の会社とは少し違います。寄付金もあれば事業収入もあり、それぞれ会計上の扱いが異なります。そのため、「うちはこういう目的でこれをやっている」という事業の中身を理解していないと、仕訳ができません。いろんな角度の仕事をすることで、団体そのものを深く理解できるようになった気がします。
ーー「やりがいがある」「面白い」と感じるのは、どんな瞬間ですか?
やはり患者・家族、支援者の皆さんと触れ合えるイベントですね。それから、普通に生きていたら絶対に会えなかった方々と、仕事を通じてお話しできることも非常に魅力的です。たとえば、外資系製薬企業の方々や、研究者、糖尿病専門医の先生など、これまでの人生では接点がなかったような方々とご一緒する機会があります。
私が入職したばかりの頃、ノーベル賞を取られた有名な先生へ連絡するという業務がありました。普通に考えたら、「世界的に有名な先生にメールを送る」なんて、想像できないことですよね。。その後、同じく賞をお渡しした先生も昨年ノーベル賞を取られましたし、現在理事の先生も「実現できればノーベル賞級」という研究をされている。そんな方々の挑戦を身近で感じられるのは、とても貴重な経験だと思います。
そして何より、「1型糖尿病を治したい」という一つの目標に向けて、全員が本気で人生をかけている感覚が本当に充実しています。私にとっては、「甲子園を目指そう」と本気で言っていた高校時代に近い感覚があります。当時は、甲子園という目標があったから頑張れましたが、今はそれが、「1型糖尿病の根治」という目標になっています。
ーー「非営利=のんびり」というイメージとは、違うんですね。
そうなんですよ。研究を進めるためには資金が必要なので、お金を集める活動にも本気で取り組まなければなりません。のんびりどころか、みんなミッションに本気で共感して、バリバリ働いている。むしろ、ベンチャー企業に近い雰囲気かもしれません。もちろん大変なこともありますが、みんな本当に楽しそうに働いているんです。
「みんなで治そう」── 佐賀から、社会を変える挑戦へ
ーー患者さんやご家族と接する中で、印象に残っているエピソードはありますか?
先月、糖尿病学会に出展した際に、糖尿病に関係するさまざまな方とお話しする機会がありました。その中で20代の患者さんが、「働き始めてしばらくしてから、あえて費用のかかるポンプ療法を選ぶようになった」と話してくださったんです。「どうしてですか?」とお聞きすると、「自分で収入を得られるようになったから、親に負担をかけずに、良い治療を選べるようになったんです」とおっしゃっていました。
私はそれまで、逆だと思っていたんです。子どもの頃は支援制度もあるので高額な治療を選びやすくても、大人になって自己負担が増えると、少しでも費用を抑えようと考える方が多いのではないかと思っていました。でも、そうではない患者さんもいる。一人ひとり、抱えている病気は同じでも、状況はまったく違う。会うたびに、新しい視点が一つひとつ増えていくんです。
実際、医療費の問題はとても大きな課題です。18歳・20歳を過ぎると自己負担が3割になって、ポンプ療法を使うと月に3〜4万円の負担がかかってしまいます。そのため、成人の1型糖尿病患者の医療費に関する要望書を国に提出したり、佐賀県では企業版ふるさと納税を使って、25歳までの患者さんや妊娠・出産期の方の医療費を支援したり、という取り組みも行っています。
ーーこの先、日本IDDMネットワークで実現していきたいことは何ですか?
職員の間では「ファミリーみたいな組織だよね」と話すことがあります。私は、その温かさをこれからも大切にしていきたいと思っています。まだ1型糖尿病の患者さん全員が日本IDDMネットワークに関わっているわけではないので、関わる人がもっともっと増えていけば、本当に社会を変えられると思っています。
私自身も家族に糖尿病の患者がいることもあり、この病気を決して他人事とは思っていません。当事者的な視点でもあると思うのですが、1型糖尿病が治れば、2型糖尿病だって治るようになると思うんです。1型糖尿病の患者さんは約10万人といわれていますが、2型糖尿病まで含めれば、多くの人にとって身近な病気となります。研究には資金が必要です。その資金を限られた人たちだけで支えるのではなく、「みんなで治そう」という輪を広げていくことができれば、大きな力になると思っています。それが実現できたら、とても夢のある未来につながるのではないでしょうか。
ーー最後に、この記事を読んでいる方へメッセージをお願いします。
この記事を読んでくださっているということは、少しでも興味を持ってくださったということだと思います。だからまずは、「1型糖尿病という病気があって、それを治そうとしている私たちがいる」という存在を知っていただけたら、それだけでうれしいです。
そして、その活動を私たちは佐賀から発信しています。佐賀という地域についても、ぜひ知っていただけたらと思います。非営利団体というと、どこかゆったりとしたイメージを持たれるかもしれません。でも、実際はそうではなくて、ここは基盤がしっかりしている、ちゃんと働ける場所なんです。もし少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ一度お話しできたらうれしいですね。佐賀は移住支援も充実していますので、そうした選択肢も含めて知っていただければと思います!