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漢方・中医学のプロ 松本社長が 漢方のプロになるまで<自分の身体を治したのは「漢方」だった>

1、漢方相談なんて、そもそも薬系の仕事に就くなんて、全く考えていなかった学生時代

高校までは美術部、大学に入ってESSの幽霊部員。

とにかく何かを読んでいたい活字中毒で、ご飯を食べていても、気づくと「ふりかけ」や「ソース」の原材料や貯蔵法を読んでいました。趣味は読書で、活字のあるものなら、図鑑や科学読み物から小説、マンガまで、何でも読みました。このときの経験が、今の中医学理解や漢方相談に生きていると、言えなくも……あるのかないのか。

一方、「ひと」に興味があり、精神分析や心理学の本も読みました。大学の卒業レポートでは「共時性」を題材に、実証科学の限界について考えました。生意気でしたが、個々の人間の「一回性」や、洋の東西で文化の異なる部分と共通する部分に関心が向いていました。

2、とにかく「しんどかっ」た会社員時代

実家のある旭川(動物園で有名な!)に戻りたくて、唯一「四大卒女子」を募集していた地元のドラッグストアに就職しました(男女雇用機会均等法がなかった時代で……)。小さな頃から馴染んでいたお店で、地元の中小企業だと思って入社したら、数年後には東証一部に上場してしまいました。

ドラッグストアは肉体労働です。勤務時間の8時間は、ずっと立ちっ放しは当たり前。店舗の大型化に伴い、走り回る距離も延びました。ティッシュやお米、ドリンク剤など重いものもたくさん運びます。カロリー消費ハンパない! 勤続年数が長くなるに従って、腰痛に悩まされるようになりました。

また、当時は「ひとの顔色をうかがう」クセがあり、お客さまに商品を販売する、同僚と協力し合って業務を進めるといった「ひとと関わる」ことがとても難しかった……! 会社の経営方針や上司の思い、同僚の事情やバイトさんの感情、お客さまの要望、クレーマーの言い掛かり、そういった「矛盾する欲望」を同時に処理していくのは、わたしにとって負担が大きく、次第にメンタルをやられていきました。腰痛に加えてひどい肩こりや頭痛、イライラ、不安感、動悸。銀行へ振り込みに行くことができず、奨学金を3年分滞納した辺りで「おかしいな」と思いました。

一方、業務で漢方薬をほんの少し学んだこともあり、自分でも使ってみると、個別の症状は軽くなります! しかし、半端な知識であれこれやってみても、根本解決になっていない気がします。勉強を兼ねて、その街で一番の「漢方内科」へ行ってみました。ところが……

3、漢方……自分で勉強するしかない!

病院では、次々と漢方薬を処方されました。アルミパックの顆粒あり、煎じ薬あり……。どれもパッと効果が出ず、ドクターは首を捻りながら、一品一品試しながら出しているようでした。

何種類目の漢方薬が効かなかったとき、わたしは思い切って、自分で考えた処方名を言ってみました。「○○○○○湯はどうでしょうか?」ドクターは「じゃあ、飲んでみる?」と出してくれ、ようやく、あれこれキリがないほど現れていた症状が軽減していきました。

あれ……?

もしかして、ドクターだから、病院だから、間違いない、なんてこと、ないんじゃない……??

そうなんです! 病院のドクターは「西洋医学」の専門家なのです。ものすごく忙しい臨床の中で、西洋流の実証科学に基づいた科学の一分野で仕事をしているのであって、新たに全く別の学問体系である「東洋医学(中医学)」まで修める時間も余裕もないでしょう。

「自分の身体を治したかったら、やっぱり自分で勉強しなきゃいけないんだ」

ついに恐れていたその結論に、到達していました。

4、「中医学」との出会い

中医学の核心に「弁証論治」という考え方があります。書き下すと「証を弁えて、治を論ず」。状態を正しく分析して、治し方を考えようという、ただそれだけの、当たり前のことです。

漢方薬を本気で勉強しようと決めたわたしは、社外の勉強会に出席し、漢方の本を読みました。どれもパッと疑問を解消してくれませんでしたが、あるとき社外の漢方メーカーさんの勉強会の講師をしていた先生に「日本国内で『国際中医師』を取れるようになったよ」と教わりました。「国際中医師」? 初めて聞く名称でした。

その頃わたしは、あまり自分に合わないドラッグストアをいつか出て、自分で漢方相談のお店をやりたいなと漠然と考えていました。薬剤師ではないわたしは、登録販売者という医薬品を販売できる資格は持っていましたが、お客さまに「薬剤師を出せ!」と言われることも多かったので、何かお客さまに安心してもらえるような肩書きがあった方がいいかな……?と、勧められるままにその国際中医師の試験を受けてみました。

ようやく! ようやく、「弁証論治」とは何か、その試験勉強の中で、理解することができました。この辺は、ちょっと専門的でマニアックな話になるので、また別の機会に。

5、脱サラ&独立開業……!

わたしには28の歳から一緒に暮らしているパートナーがいます。そのひとが転勤アリの職種なので、定年近くなってもう転勤しなくなったら、ゆるゆると自分は開業しようかなと思っていたところ!

「松本さんさあ、漢方相談、止めてくれる?」

思わぬ会社命令です。

そもそも入社直後、「これからは漢方相談もできる、専門性の高い人材になってもらう」という社命で漢方を学び始めたんですけどね。

せっかく国際中医師まで取ったのに、何年も相談をしなかったら、せっかく見えてきた弁証論治も失ってしまう。

このときわたしはもう40歳を過ぎていました。ドリンク剤を2ケース持ち上げると、腰骨が「ミシッ」と言うのを感じました。

パートナーに相談したところ、「それは、もう、自分でやるしかないんじゃない?」との言葉。

計画より随分早まってしまいましたが、脱サラ&独立開業しました。41歳になっていました。

6、無理なく、楽しくをモットーに

ドラッグストアの仕事は好きでしたが、自分には合わない部分が多くありました。「ひとの顔色をうかがう」ことがなくなってメンタルは病まなくなりましたが、体力の消耗や拘束時間は生命力を削ります。

開業してからは、まず、自分が健康でいることを最優先に。不健康なひとのところに、わざわざ相談に行こうなんてひと、いませんもんね。

スタッフを雇用してからも、「レジ精算は昼交代時」「棚卸も営業時間中」「相性のいい方だけをお客さまにしてクレーム回避」「自社開催講座優待」「ライブチケット取れたら行ってヨシ!」など、身体にも心にも無理をかけず、楽しい働き方ができることを基本姿勢としています。

頼もしいスタッフと、温かなお客さまに囲まれて、毎日楽しく働いています。「こんなに爽やかなら、もっと早く開業していればよかった」と思う日々。

あなたも、こんな日々に参加してみませんか?

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