大学院の海外視察研修で、スイスを訪れた。
スイスは世界でも有数のイノベーション大国であり、ヨーロッパの中でも鉄道の定時性が高いと聞いていた。
「一体どんな最新テクノロジーで交通を動かしているんだろう」
そんな期待を持って、現地に入った。
さすが、世界一のイノベーション大国
空港で最初に乗ったのは、自動運転の移動システムだった。
トンネルを走っていると、壁にスイスの絶景が映し出される。電車は動いているのに、映像はまるで窓の外に固定されているように見えた。
「これどうなってるんだ?」
「日本の地下鉄にもあったら面白いのに」
研修メンバーとそんなことを言いながら、空港内の移動だけでかなり盛り上がった。まだ入国したばかりなのに、「さすがスイスだな」と、早くも少し納得していた。
ところが、市街地へ向かう電車に乗ると、印象は少し変わった。
空港駅を出て、次の駅に着いた時だった。
ホームの一部には土砂が積み上がり、工事の真っ最中。階段も十分に整備されているようには見えなかった。
空港を出てまだほとんど時間も経っていない。しかも、世界一のイノベーション大国というイメージを持って来ていたので、
「え、こんな感じなんだ」と少し拍子抜けした。
駅のトイレも基本的に有料だった。しかも一度お金を払っても動かない。もう一度払っても動かない。結局3回払って、3回とも使えず、ただお金だけが消えた。
「世界一のイノベーション大国って、もっと全部がスマートなのかと思ってたんだけどな」
そんなことを研修メンバーと笑っていた。
さらに、チューリッヒ中央駅へ向かう電車に乗ると、車両にもかなり年季を感じた。冷房はなく、背もたれが外れている座席もある。
一方で、研修期間中に何度か公共交通を使ううちに、別の特徴には気づいた。
ヨーロッパでは電車が遅れることも珍しくないと聞いていたが、スイスでは確かに予定した時間に電車が来て、乗り換えも成立する。
日本人の感覚からすれば、それ自体は驚くほどのことではない。
ただ、駅や車両の状態を実際に見た後だと、むしろその正確さの方が気になった。
ホームは工事中でもいい。トイレが多少不便でもいい。車両が古くてもいい。
でも、電車はちゃんと来る。
最新技術を探しに来たはずなのに、少しずつ見る場所が変わってきた。
スイスの鉄道のすごさは、最新技術そのものではないのかもしれない。
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ホームの時刻表。自分たちが使った電車は、ほぼ時間通りに発車していった。
ただし、時間厳守ゆえの注意点もある。少しでも発車時刻に間に合わなさそうだと、ドアはかなり容赦なく閉まる。何度かちょっと待って!と思ったが、そこは待ってくれない。
すごいのは、新しいことではなかった
そんな見方が変わったのは、研修中に教授らとスイス経済について議論していた時だった。そこで出てきたのが、スイス社会に根付く「ボトムアップマインド」という考え方だった。
スイスは連邦制の国で、地方分権の色が強い。中央が細部まで一律に決めるのではなく、それぞれの地域や主体が、自分たちに何が必要なのかを考えながら社会をつくっていく。
一方で、そうして地域の主体性に委ねるからこそ、人々が生活するうえで欠かせない最低限のサービスについては、社会全体で支える。
この話を聞いた時、数日前に見た鉄道の光景が蘇った。
ホームには土砂が積まれている。トイレはお金を払っても開かない。車内には冷房もなく、背もたれが外れている座席まである。
正直、細かいところを見るとかなり雑だった。
でも、電車は予定した時間に来る。乗り換えも成立する。
そこで初めて、「ああ、だからこれでいいのか」と思った。
鉄道は、人々が仕事や学校へ行き、日々の生活を送るために欠かせない社会インフラだ。だからこそ、採算だけで判断するのではなく、公的な支えも入れながら長い時間軸で維持する。
そして、鉄道に求められる「必要最低限」は、豪華な座席や最新の設備ではない。
予定した時間に来て、予定した乗り換えができ、目的地まで確実に移動できること。
全部を最高水準につくり込むのではなく、必要なものを見極め、そこは絶対に外さない。
最初は「世界一のイノベーション大国なのに、意外と古いな」と思っていた。
でも研修でスイス社会の考え方を知ってからは、その古ささえ少し違って見えるようになった。
新しくすることそのものではなく、人々にとって本当に必要なものを確実に守る。
そのボトムアップの思想が、スイスの鉄道にも表れているように感じた。
待てよ、日本って結構すごくないか?
スイスの鉄道を見ながら、今度は日本の鉄道を思い出した。
例えば山手線は、時間帯によっては3分に一本で電車が来る。日本で暮らしていると、それが当たり前すぎて、特別なことだと意識しない。
でもスイスの鉄道を見たことで、少し見え方が変わった。
スイスは、人々の生活に必要な最低限を見極め、それを社会全体で確実に守る。
一方で日本の鉄道は、そこからさらに一歩進んで、利用者の多さや都市の高密度さに対応するために、現場の連携や細かな改善を積み重ね、サービス水準そのものを高め続けてきた。
数分間隔で大量の電車を走らせながら、正確さまで維持する。
それは単に「日本の鉄道技術が高い」という話ではなく、限られた条件の中で、現場が徹底的にオペレーションを磨き込んできた結果なのだと思う。
必要最低限を定義し、それを確実に守るスイス。 その最低限を超えて、サービス水準そのものを高め続けてきた日本。
同じ「鉄道が時間通りに来る」という現象でも、その裏側にはそれぞれ違った思想があるように感じた。
海外視察研修というと、海外の先進事例を学び、日本に持ち帰るイメージが強い。
でも今回、意外だったのは、スイスを見ることで日本の強みにも気づけたことだった。
「日本って、ものすごいことを当たり前にやっていたんだな」
という感覚は、現地に行かなければ持てなかったと思う。
インフラを見ると、その国が少し見える
今回の研修で面白かったのは、鉄道そのもの以上に、その背景にある考え方だった。
人口の分布、都市のつくられ方、国と地方の関係、公共サービスをどう捉えるか。
そうした歴史や文化が、インフラにはかなり素直に表れる。
世界一のイノベーション大国で最新テクノロジーを探していたはずが、最後に残ったのはもっと根本的な気づきだった。
インフラを見ると、その国が何を大切にしてきたのかが少し見えてくる。
スイスの交通を見に行ったはずが、最後には日本の鉄道まで見直すことになった。
そんな予想外の気づきを持って、日本への帰路についた。
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