「日本よりMaaS、進んでるじゃん」
マレーシアに着いて、クアラルンプール国際空港でGrabを呼んだ。
Grabとは、東南アジアで広く利用されるタクシー配車サービスである。アプリで目的地を入れると、すぐに車が見つかる。料金も分かるし、運転手とのやり取りもほとんどいらない。
「めちゃくちゃ便利じゃん。日本よりよっぽどMaaS進んでるんじゃないか」
最初は、本気でそう思った。
空港を出てからしばらくは高速道路。道路自体は日本とそこまで変わらない。標識が英語で書かれているくらいで、思っていたよりずっと普通だった。
運転手は40歳くらいのおじちゃん。最初は静かな人だった。せっかくなので、「学生で、日本から来たんです」と話しかけてみた。
すると、急に明るくなった。
おすすめの観光地を聞いたり、マレーシアの話を聞いたりしているうちに、昔は営業の仕事をしていたという話になった。
「何を売ってたんですか?」と聞くと、返ってきたのは意外な答えだった。
松下電器。
「テレビとか? 冷蔵庫とか?」
「そう! 俺がそれを売ってたんだ!」
海外旅行でタクシーに乗って、たまたま出会った運転手が、昔は日本企業の製品を売っていた。そんな偶然が面白くて、そこからさらに話が弾んだ。
ところが、高速道路を降りたあたりから、景色が一気に変わった。
巨大な高層ビルが突然現れる。そのすぐ横には、かなり年季の入った住宅が並んでいる。
自分が勝手にイメージしていた「発展途上国っぽい街並み」と、ドバイにありそうなキラキラした巨大ビルが、同じ視界の中に入ってくる。
「すごいな、この街」
と思っていた。
ただ、それ以上に気になることがあった。
車が、全然進まない。
ホテルまでは、あと20分くらいのはずだった。少し進んでは止まる。また少し進んでは止まる。
Google Maps上では20分くらいで抜けるような道に、平気で1時間かかる。
Grabは数分で来たのに、そのGrabが全く進まない。
もっとも、その渋滞があったからこそ、運転手と松下電器の話までできたわけで、悪いことばかりでもなかったのだけれど。
その時はまだ、「なんでこんなに渋滞するんだろう」くらいにしか思っていなかった。
その答えは、翌日すぐに分かった。
自分たちでレンタカーを借りたからだ。
「そりゃ渋滞するわ」
旅行の途中で、マレーシアの山間部からクアラルンプールまで車を走らせた。
前日はGrabの後部座席に座っていただけだったが、自分で運転してみると街の見え方が全然違う。
まず、とにかく車が多い。
都市部の大きな道路を走っていても、歩行者をあまり見ない。もちろん場所にもよるのだろうが、「歩いて移動する街」という感じがあまりしない。
そして都市部へ入るにつれて、道路にも違和感が出てくる。
「なんでここで合流するんだ?」
という場所で車線が減る。その先が急に狭くなる。信号も、「今こっち止めるの?」と思うことが何度もあった。
もちろん、数日運転しただけの旅行者に都市計画の良し悪しなんてわからない。
ただ、少なくとも運転している限りでは、道路全体が一つの設計思想のもとに整然と作られているようには、あまり感じなかった。
「街が発展するたびに、その都度必要な道路を足していったのかな」
そんなことを車内で話していた。
そして、一番衝撃的だったのが駐車だった。
とにかく路駐が多い。
駐車用のスペースが埋まっている、というレベルではない。普通に道路へ停めている。
しかも一列ではない。
二重駐車している。
3車線ある道路のうち、2車線が停まっている車で埋まっている場所すらあった。
それを見た瞬間、車内のみんなで笑いながら叫んだ。
「いや、そりゃ渋滞するわ!」
ナビが、「ここを曲がれ」と言っているのに、その道の入口が路駐で塞がれていて曲がれないこともあった。
3車線あるのに、実質1車線。
それなら、どれだけ立派な道路を作っても渋滞する。
前日にGrabの中で「なんでこんなに動かないんだ」と不思議に思っていたものが、一気につながった。
Grabは便利だった。でも、それだけではなかった
空港でGrabを呼んだ時、僕は、
「マレーシアは日本よりMaaSが進んでいる」と思った。
今でも、Grab自体は本当に便利だったと思う。
スマホを開けば車が来る。行き先を説明しなくていい。料金も分かる。決済もスムーズ。
「車を呼ぶ」という行為だけを見れば、驚くほどストレスがない。
でも、自分でクアラルンプールを運転してみて、一つ気づいた。
移動サービスが便利なことと、街を便利に移動できることは、同じではない。
アプリ上では数分で車が捕まる。でも、その車が1時間動かなければ、目的地には着かない。
デジタルの世界では驚くほどスムーズなのに、現実の道路には大量の車がいて、渋滞があり、路駐がある。
そのギャップが面白かった。
そして同時に、「そもそも移動が便利な街って、何なんだろう」と思うようになった。
車をすぐ呼べることなのか。渋滞せずに目的地まで行けることなのか。歩いて移動できることなのか。電車やバスを簡単に使えることなのか。
空港でGrabを呼んだ時の自分は、そんなことを全く考えていなかった。
ただ、「日本より便利じゃん」と思っていた。
人の動きを見るということ
僕は普段、人流データに関わる仕事をしている。
どこから人が来たのか。どこに人が集まっているのか。そこからどこへ、どういう手段で移動したのか。
そうした「人の動き」をデータで見る。
でも今回、自分で街を走ってみて、その数字の見え方が少し変わった。
ある場所に人が多い。ある道路を人が通る。
それだけを見ても、なぜそうなっているのかは分からない。
実際の街には、道路があり、渋滞があり、駐車があり、Grabがある。
その環境の中で、一人ひとりが移動手段を選んでいる。
データの中では一つの「移動」に見えても、その裏には街の構造と、その人なりの理由がある。
当たり前のことだけれど、渋滞にはまり、二重駐車を避け、ナビに曲がれと言われた道を曲がれなくなって、初めて少し実感できた。
旅先で街を見る時、以前なら建物や観光地ばかり見ていたと思う。
今は少しだけ、
「この人たちは、どうやってここまで来たんだろう」
と考えるようになった。
マレーシア旅行で持ち帰ったのは、観光地の思い出だけでなく、そんな街の見方だった。
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