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世界最先端のコオロギ研究を支える2児のお母さん。【メンバー紹介#4】

今回は、4人目のグリラスメンバーのご紹介です!
ご紹介するのは、2021年6月に入社した研究担当の中嶋英子さん。

徳島大学で5年間ゲノム編集の研究に携わっていた経験を生かし、グリラスで新しく立ち上げた世界初のコオロギ研究施設で日々研究に勤しみながら、二人のお子さんを育てるパワフルなお母さんです。

「たぶん、少しドライな方なんです(笑)」と語る中嶋さんですが、取材の後半にかけて、柔らかく、熱く、コオロギにかける今後の夢について語ってくださる様子が印象的でした。子供時代のお話や、グリラスにたどり着くまでの紆余曲折を伺いながら、世界最先端のコオロギ研究を支える中嶋さんについて迫ります!

中嶋さんってどんな人?

生まれは奈良ですが、2歳の時に引っ越しをして小学校3年生まで東京で生活していました。父が転勤族だったのでとにかく引っ越しが多かったのですが、少しドライな性格なので、友達と離れるのが嫌!と強く反抗した記憶も無いし、引っ越しを苦に思ったこともありませんでした。

東京から移った先は海外。中学に上がるまでの4年間、エジプトのカイロで暮らしていました。エジプトと言うとよくびっくりされるんですけど、子供の頃の適応力ってものすごいですよね。途上国だから停電も断水も当たり前、行ってから知ることばかりで驚いたことも多かったけれど、それにもすぐ慣れてしまったように覚えています。日本人学校に通っていたので基本は日本語を使う暮らしで、アラビア語や英語に触れる機会もあったけれど、そこで身に着いたかと聞かれると全然です。日本の学校の体育館のようなしっかりとした設備がなかったので、毎日外でサッカーをしたり、どちらかといえば活発な方だったと思います。その時からとにかく元気なことがとりえで、記憶にある限り学校を休んだことが無かったし、社会人になってからもまだ病欠をしたことがないのがちょっとした自慢です(笑)。


帰国してからは高校卒業までを神戸で暮らしていたのですが、親元を離れてみたい!という一心で長野県の大学を選び、好きだった生き物について学べる農学部に進学しました。当時から、動物や植物の生命現象を知ること・解明することに興味があります。思い返してみたら、今日までその想いを軸に進む道を選んできたような気もしますね。今取り組んでいるゲノム情報のことにもこの時から関心をもっていました。

ただ、大学生のうちに「なりたい自分像」というものもあまり定まっておらず、卒業後は就職することに決めたんです。新卒で関西の大手スーパーのグループ会社に就職しました。

グリラスに来るまでのこと

その会社では食品の品質管理の仕事をしていました。店で売られている食品に異常が無いか調べる細菌検査や、お客様からの問い合わせに対する検査、その報告書の作成などが主な業務です。毎日似たようなルーティンワークだったのが、2年目3年目から辛くなってきてしまって。転職を考えるようになっていった時、探し始めたのが大学生の時に好きだった研究関連の仕事でした。

ですが、気になる募集のほとんどが……というよりほぼ全ての研究に携わる仕事が「大学院卒」が採用の条件になっていたんです。うっすらわかっていたことだけど、考え始めると止まらなくなってしまって。それなら、と一念発起して大学院に入りなおすことにしました。選んだ奈良県の大学は院からしか入学を受け付けていない所だったので、普通の大学よりいろんなバックグラウンドを持った人が集まっていて、おもしろかったですね。院にいる2年間では、「神経細胞の形態形成のメカニズム」をテーマに研究に取り組んでいました。

その後就職して、グリラスに来るまでの間にまたいくつか転職を繰り返します。院を出てすぐはコンタクトレンズのケア用品の会社で点眼薬の候補物質の薬効を調べるような仕事をしたり、結婚出産のタイミングで退職した後は街の小さな電気屋さんで働いたり、兵庫県にある大学で留学生対応の事務員をしていた時期もありました。夫の転勤が多かったのと、二人の子供が3歳になるまでは長く一緒に過ごして見届けたいと思っていたので、なかなかフルタイムで働くことができなかったんですよね。

実は、徳島に来たのも最初は夫の転勤が理由でした。その時には子供も大きくなっていたのでまた研究系の仕事を探し始めた時に、徳島大学の新しい学科「生物資源産業学部」で新たに募集されていた技術補佐員の求人を見つけて、5年間植物のゲノム編集のラボで働いていました。

その後、ようやくたどり着くのがグリラスです。お世話になっていた研究室が解散になるタイミングで、自分で調べて、自分で問い合わせをして入社しました。

グリラスを選んだワケ

基本的には何でも食べれる人なので、「昆虫食」にはあまり抵抗がありませんでした。むしろ雑誌や新聞で見かけてすごく気になっていたくらい。

少し働き出してから強くなった想いも込めて、いま改めて言葉にしてみるとグリラスを選んだ理由は二つあります。一つは、コオロギを食用としてあたりまえの食材にすることで、世界中のみんなが食べ物を十分確保できる未来を作りたいから。日本というとっても豊かな国で生まれ育つ間、生きることが困難になる経験ってあまり無いと思うんです。けれど、一歩海の外に出ると困っている人、実際に命を落としてしまう人も大勢います。いずれ来ると言われている食料危機に対して、飼育のコスト規模も少なく、ゲノム編集も植物に比べてずっと容易、タンパク質も豊富で栄養価の高いコオロギが、世界を救う救世主になりうるのではないかと強く思っています。

二つ目は、誰もが一つ一つの食べ物を大切にする世の中になってほしいから。両親が食べ物を本当に大切にする人で、子供の頃から残さず食べなさいと強く言いつけられてきた記憶に始まり、カイロで暮らしていた時は何とか入手したお米の袋から石やゴミ、おかしな色をした米を一生懸命取り除くお手伝いをしていたことを覚えています。食べ物のありがたさを、両親の言葉と実体験から教えられて育ったこともあり、大人になった今もその意識は強いです。大量生産大量消費が当たり前になっている世の中で、食べ物は捨てても仕方ない、という風潮があるかもしれません。けれど、そんな流れにのったままでいるのではなく、「捨てないためにどうしたら良いのか」1人1人が考えて行動できる世の中になってほしいと思っています。

コオロギにはその意識を変えるポテンシャルがある。自分が大切にしたいと思っていることと、会社として目指していることがたまたま重なっていたのがグリラスでした。「食べ物を大切に」そんなシンプルなメッセージを届ける発信は、今後やってみたいことの一つです。

入社後の感想と、これからのこと

6月に入る時まで知らなかったのですが、入社当時社員に研究専任の人が誰もいなかったんですよね(笑)。研究所の設備もまだできていなかったので、最初はコオロギ生産のお手伝いをしたり、徳島大学の三戸先生(グリラス研究顧問)の研究室に短期で加わり、コオロギの実験について1から教えていただいていました。9月から少しずつ研究所での作業を初めて、10月から段階を踏んで実験をいくつか始められている状態。まだまだ始まったばかりで、詳細もお伝えしづらい所があるのですが、とにかくより良いコオロギをつくる、という一心で仕事をしています。


家族もコオロギに抵抗は無いみたいで、C. TRIAのクッキーやクランチを美味しい美味しいと言って食べてくれています。むしろ、息子の前でぽろっと弱音を吐くと「やりたい仕事につけたんだから、頑張りなよ」と背中を押してくれるくらい(笑)。たまに「本当に私の子供かな......??」と驚かされつつも、あたたかく応援してくれていますね。

今後について、研究の立場で目指したいのが「手軽に」食べられるコオロギの品種改良です。手を止めず、昼夜生産に取り組んでいるけれど、どうしてもまだ大きなコストがかかっているのが現状です。その分最終製品の価格も下げられず、今のままでは決してお求めやすい商品とは言えないですよね。より生産効率を上げるための育種に取り組みながら、会社として目指すゴールであり、私自身も強い想いを持って取り組める「コオロギが当たり前になる未来」に向かって、そのお手伝いができればと思っています。


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中嶋さん、ありがとうございました!

株式会社グリラスでは、今回ご紹介した中嶋さんや他の個性豊かなメンバーと共に働いてくれる仲間を大募集しています。中嶋さんが働く世界初のコオロギ品種改良を目的とした研究施設での研究担当をはじめ、営業・コーポレート担当など。やりたい業務が要綱になくても、お気軽にご相談ください。みなさまからのご連絡お待ちしています!

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