こんにちは!One Work 株式会社 採用広報部です。
設立から5年目を迎えたOne Work。
ソーシャルインパクトをもたらす人と組織とともに社会を豊かにする。そんな想いで会社を経営してきた代表の大須賀に自身のバックグラウンドや当社設立の背景、今後のOne workの展望と、前編(過去)・後編(現在・未来)の2部構成でインタビューさせてもらいました!
今回のストーリーでは、大須賀のこれまでの生い立ち・自身のキャリア、One Work設立にかける想いを伺っております。ぜひ最後までご覧いただければ幸いです。
■プロフィール
大須賀 洋平
一橋大学商学部経営学科卒
早稲田大学大学院商学研究科ビジネス専攻(MBA)修了
2003 年 リクルート 入社
人材系事業にて企画営業を担当。急成長スタートアップからメガバンクや自動車メーカーなどの超大企業まで、様々なクライアントに対し新卒・中途採用、組織コンサルティングなどの人材総合サービスを提供。その後、企画部門にて、営業企画、商品開発、新規事業(RPO)の開発・推進に従事。
2016年 個人で独立
成長スタートアップをハンズオンで支援することをコンセプトに独立。シード期からIPO準備期のスタートアップまで幅広く支援。2018年から2019年にかけてはREAPRA Venturesで、投資先スタートアップをハンズオン支援。
2020年 One Work株式会社設立 代表取締役就任。
起業を意識するようになった原体験
大学時代までの生い立ち
東京の町田という都心まで1時間程度のベッドタウンで、ごく普通の4人家族の長男として生まれました。父が損保会社のサラリーマン、母が専業主婦、2個下の妹がおり、新興住宅街の一軒家に住む、典型的な核家族です。学校の友人もサラリーマンの家庭が多く、金持ちでもなく貧乏でもない、「一億総中流」と言われた時代におけるモデルのような環境でした。良く言えば、安心・安全・安定している、悪く言えば、強烈な欲求やコンプレックスを持ちづらい環境だったと振り返っています。
「勉強を頑張り、良い高校、良い大学にいき、大手企業のサラリーマンや公務員になって幸せな人生を歩んでほしい」というよくある価値観の両親だっため、幼少期から勉強も真面目に取り組み、学区内で1番偏差値の高い高校に進学し両親が望むような道を歩んでいたと思います。もともとプラモデルなどモノづくりが好きだったこともあり、将来はソニーに入ってエンジニアになりたい、と子供の頃は思っていました。
そのため、皆さんがイメージする「商売人」としての起業家やスタートアップを連想するような環境とは大きく異なり、答えが決まっている問題をいかに正確かつスピーディーに答えを出すか、の練習ばかりをやっていたため、そもそもの答えのない領域で自分で模索したり、新しい解を出すような教育環境とは無縁でした。
【私が幼少期のときの家族写真です】
スタートアップや起業という概念との出会い
そんな中、スタートアップや起業という概念との初めての出会いは、大学受験の浪人時代の予備校での授業です。
当時1990年代後半、アメリカでは今や有名なYahoo・Microsoftのような、スタートアップ企業が生まれはじめ、今後の世界に大きく影響させていく優秀な若手が色んな挑戦をしていることを授業で知り、「いずれ日本もスタートアップが社会を変えていく」という内容に、ワクワク感とスタートアップへの憧れを感じたのを今でも覚えています。
当時はまだ今ほどスタートアップがメジャーではなかったですが、スタートアップとの出会いをきっかけに、大学入学後も自身で起業サークルをつくり、自ら起業家へアポを取りインタビューを実施しホームページを作成し掲載したり、創業期のスタートアップで社長のカバン持ちをしたり、元マイクロソフト日本支社長の成毛眞さんが設立したINSPiREというファンドでインターンしたりと、学生ながら手探りで色々とチャレンジしていました。
そのような経験があったため、就職活動は行わずに「自身で独立したい、ビジネスを立ち上げたい」という思いはありつつも、これまで一人で商売をした経験もなければビジネスの実知識もほとんどなく、何から始めていいのかわかりませんでした。
そのため、最終的には「将来的に起業できる力を培える企業へいこう」と考え、商社や外資コンサル、ベンチャーキャピタルなどを受けていましたが、起業家輩出企業と言われ起業志望の人が多く在籍していたことや、一人ひとりのWillを大事にするオープンでフラットなカルチャーに魅力を感じた、リクルート社へ入社意思決定しました。
自分自身で起業することを決めた背景
リクルート時代はどのように過ごしていたか
将来的な起業が目的だったため、新卒の配属はどの事業部でもよく、とにかく営業をやってビジネス力を高めたいと思っていましたが、たまたま人材系の事業部へ配属されました。今振り返ると人材系のビジネスをずっとやっていくことになったため、大きな分岐点だったなと思います。(笑)
1年目〜3年目までは首都圏エリアのリテールマーケットの営業担当として、1日100本以上の新規電話がけをしたり飛び込み営業をしたり、もう二度とやりたくないと思うくらい大変でしたが笑、振り返ると文字通りの営業の足腰を徹底的に鍛える期間でした。4年目〜8年目はエンタープライズ営業として、東京で大手メガバンクの担当や、名古屋に3年間転勤しトヨタグループという事業部の中でも唯一の顧客専任組織での担当として、人材・組織ソリューションを提供する経験を積むことができました。事業部の中でも最も難易度が高いと言われているような企業を複数担当させていただくことが、私自身のコアなビジネススキルがついたと感じています。
その後、9年目〜11年目は、事業部トップ直轄の企画組織においてボード会の事務局や、外国人材サービスやRPOなど新規事業の立ち上げなど、企画・事業開発系の業務に携わりました。それまでの営業系の仕事と使う筋肉が全く異なる企画系の筋肉を鍛えることは貴重な経験でした。
【リクルート1年目(2003年)の新人グループのメンバーが20年後(2023年)に集まったときの写真です】
このように、リクルートでは目の前の仕事に全力を尽くし、お客様や事業テーマを通じて「リクルートという場やリソーセスを活用して社会へ貢献できるか?」ということに向き合っていたため、30代前半までは本格的に転職活動で動いたことはありませんでした。
リクルート退職を考えたきっかけは
起業するための力を養うためにリクルートへ入社したものの「起業することは手段であり、自分が仕事を通じて社会にインパクトを創出することが目的」と意味づけをし、今独立するよりリクルートに居ることの方が社会の貢献度合いが大きいと自身の中で納得させている部分もありました。
しかし、30代中盤に差し掛かったときに、リクルート社の名刺を持ち続け「リクルートの大須賀です」と名乗っている自分に違和感を持つようになってきました。いつか区切りをつけなければ、リクルートという魅力的な環境に甘え続け、自分で独立するという挑戦の機会を逃すと思い、当時あった早期退職制度が適用される「35歳」という最初のタイミングで、何をやるかは決めず、2014年3月に退職しました。
スタートアップやナンバー2としての経験、そして独立へ
何をやるか決めずに退職したため、2014年はモラトリアム的期間として「スタートアップ」で実際に働いてみたいと考えました。先輩の紹介を通じて業務委託で入った1社目は、社長がパワハラ気質で1週間で辞めました笑。次も友人の紹介を通じて「Tokyo Otaku Mode」という会社に出会います。海外に対してオタクコンテンツを発信したり越境ECを展開している、当時伸び盛りのスタートアップで、時給1,000円のインターン生として8ヶ月ほど働きました。スタートアップは目まぐるしいほど日々変化があり、いわゆるスタートアップのカオス状況やグロース期の組織を中から経験することができました。
その後、2015年には、リクルート時代の先輩が個人で経営していた人材コンサルティング会社に二人目として参画させていただき、成長企業向けの人材コンサルティングに従事しました。
スタートアップのいちメンバーとしての経験や、二人目参画の経験を通じ、「オーナーシップを自分で持ち、自分で考え、自分で決めたい」と思うに至り、2016年の1月にフリーランスとして独立することを決めました。
独立後は、リクルート時代に培ったHR領域での知見を活用し、自分が好きなスタートアップをハンズオン支援したいと考え、スタートアップ×HR領域のフリーランサーとして活動しました。当初は、「自分ひとりで稼いでいけるのだろうか」という不安はありましたが、運良くリクルート時代の先輩や友人の人脈からスタートアップ向けの営業支援や採用支援のご相談をいただくことができ、間もなくリクルートで働いている時よりも稼げるようになりました。
自らがオーナーシップを持ち、お金は儲かっていて自分が好きな案件を選べ、働く時間や場所も選べて自分のやりたいように仕事ができ、短期的にはとても良い状態だったのですが、独立して2年目ぐらいからどこかモヤモヤし始めました。振り返ると、2つの課題に整理できました。1つ目は、「学習の機会が少ない」という点です。フリーランスでは、どうしても自分が持っているスキルへの発注となるため、スキルの切り売りになってしまい、自分が経験していない領域へのチャレンジ機会が圧倒的に減っていることに物足りなさを感じていました。2つ目は、「インパクトの小ささ」です。組織のリソーセスを最大限活用しながらビジネスをしていたリクルート時代に比べると、自分一人が働くことで社会に影響を与えられる範囲はとても小さく、限界を感じていました。
そのような時に、FabeBookのフィード広告に流れてきたREAPRA Venturesの求人に出会います。この出会いが、今のOne Workを創業するきっかけとなりました。
One Work 立ち上げのきっかけとなったREAPRA社との出会い
REAPRA Venturesは、エス・エム・エスというメガスタートアップの創業者である諸藤周平さんが立ち上げたベンチャービルダーです。スタートアップ領域で経験豊富なシリアルプロフェッショナルなメンバーが、東南アジアと日本でスタートアップをハンズオン支援し産業を創り上げるという構想を掲げて展開し始めたところでした。自分がフリーランス時代に掲げていたテーマや形にしたかったことの数段上の上位互換をやっていると感じ、先ほど述べたようなモヤモヤも感じていたときだったため、とても興味を持ちすぐに求人へ応募しました。
【REAPRA社時代の写真です】
自分の会社業務を一部やりながらもフルコミット型の業務委託メンバーとして参画しました。REAPRAの取り組みは非常にユニークで、起業家がインパクトを創出するために起業家の内面に踏み込み、起業家のメンタルモデルの変容に伴走するというようなことでした。
たくさんの起業家の皆さんと向き合う機会を経て、自らの生い立ちから「起業家に対する憧れ、自分には遠い存在」と思っていたのですが、その認識は間違っていたのではと思うようになりました。
外から見ているとキラキラしているスタートアップや起業家も、内面に向き合うと、自分と変わらない普通の人間であり、凸凹が多く、突出している点もある一方、自分のほうが能力が高いところもあるのではと感じました笑。イーロン・マスクや孫正義などは規格外だと思いますが、世の中の全員が彼らみたいなスーパー起業家ではないし、そこまでのレベルに達していなくても少なくとも50人・100人規模の組織をつくりあげている。自分と能力差はたいしてない起業家たちと自分が決定的に違うことは何か。それは「この領域で何をやるかの旗を掲げ、困難な状況が訪れてもその旗を掲げ続ける」という” 覚悟 “の部分が一番違うと気づきました。
逆に言うと、ごく普通と思っていた自分でも「覚悟を持って旗を掲げる」ことができれば、仲間を率いてより社会にインパクトがある事業を創れると確信しました。
その確信があり、今のOne Workを立ち上げようと決めました。
この記事を書いた人
神里 瑠菜:One workにて採用・広報担当として従事。