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【代表紹介vol.3】チーム解散の危機からド素人で飲食店→IT業界に参入した話

前回はこちらから読んでいただけます!

残酷にも、教え子から告げられた他者理解力の低さからチーム解散


先輩のお店のコンサルティングを経て、インスタグラムを使ったSNSマーケティングで飲食店集客ができると手応えを感じた私は、飲食店事業に参入しようとしていました。

ただ実家が飲食店をやっていたことや学生時代にカフェを開業した経験はありますが、店舗設営は先輩に任せていたので具体的なノウハウが完璧にわかっているわけではありません。


それに今回は学生の延長でやる店舗ではなく、本気で事業として取り組む店舗です。さすがに今回ばかりは素人では難しいだろうと判断して、私は社会人になってから一番親しかった、家族で居酒屋を経営する友人にメニュー開発、店舗設営を任せることにしました。


ちなみにこの時には通販事業ももちろん並行していたので、店舗事業もプラスするとメンバーも6人くらいに増えていました。

そしてその6人の中には自分が学生時代に塾経営をしていた頃の教え子もいました。この教え子はただの教え子ではなく、私が一番お世話になった女性経営者の方の息子さんです。


実は私が父と喧嘩して家出した時はオフィスがなかったので、この経営者の方の親御さん、つまり教え子の祖父母の会社のオフィスを安価で使わせてもらってたくらい、家族ぐるみで大変お世話になっておりました。


その大事な教え子を、メニュー開発、店舗設営を任せた友人に彼の修行も兼ねて預けることにしました。そのため運営周りは完全に彼ら2人に任せていました。そして私が物件周りの契約であったり、集客周りの準備をしていました。


そんな矢先に大大大事件が起きます、、、


オープンは2月を予定しており、12月に物件契約の仮契約を済ませたばかりの頃でした。


ある日、私は突然教え子に「先生に話がある」と近所のサイゼリヤに呼ばれました。メニュー開発の相談かな、くらいにしか思っていなかった私は早々に向かうと、教え子が先について待っていました。


お店に着くと注文を済ませて、料理がきて、軽い雑談をしていました。


そして料理を食べているときに、突然、教え子に「僕は〇〇さん(任せていた友人)のお店で働こうと思ってる」言われました。


「いや、今も修行も兼ねて働いてるじゃん」と伝えたのですが、


どうやら詳細を聞くと、これから私たちが作る店舗ではなく、彼の実家に就職しようと思っているという内容でした。

私はもう頭が???


大混乱の状態でした。正直訳がわからないという状況です。

なぜなら、任せていた友人とは進捗確認のためにほぼ毎日のように会っていました。その友人からは上記のような話は一切聞いたことがありません。

私はパスタを食べてたフォークが完全に止まってしまって、状況を理解するのに必死でした。

どうやらさらに話を聞くと、実は任せていたメニュー開発も、店舗設営も何も進んでいないということがわかりました。


そして友人も教え子も私に対して不信感をずっと持っていたということに気づきました。

不信感?一体何が?と思いましたが、


教え子の前なので悲しさと悔しさの涙をこらえ、そしてその日は帰りました。

そして帰ってすぐに、教え子の親御さんの女性経営者の方に電話をして、全力で謝りました。


「どうやら私の日々の言動や行いが勘違いを生み、不信感を生み出してしまい、〇〇(教え子)が私の元を離れることになってしまいました。本当に申し訳ありません。」と


私は塾を経営していたので親子の結束の強さを知っています。基本的に親御さんは子供の話を一番に信用することを知っていたため、私がどれだけ伝えても誤解を解くために理解をしていただくのは難しいだろうと思いました。そしてすでに息子から聞いて親御さんの不信感も買ってるんじゃないかと思っていました。


恐る恐る返答を待つと、親御さんはこう言いました。


「夏目くん、ごめんね、あの子も若いから許してあげて!」


え???


「夏目くんがそんなことする訳ないじゃない。あなた不器用だから次から経営者なら誤解されないように気をつけないとね」と


え???


私はこの言葉に、先ほど必死にこらえていた悔し涙と悲し涙が、その方への感謝が上回り、溢れんばかりに止まらなかったのを今でも覚えています。


不信感を与えてしまった自分を信用してくれる人もいるんだということを身を以て感じました。


実は直前まで人間不信になりかけていたのですが、この言葉で立ち直ることができました。


そしてその方の言うように自分の経営者として「他者を理解する能力」そして「他者に自分を理解してもらう能力」が圧倒的に欠けていることに気づきました。


弊社のパーパスにある「他人のものさしで他人を見る人が増えれば、世界はもっと良くなる」は、性別や年齢、人種が違っても人間同士の勘違いをなくし、互いを相互理解し、この世から怒りと哀しみがなくなり、喜びと楽しみでいっぱいの社会になってほしい、というこの時の私の原体験からきています。


この言葉に私は本当に救われました。きっとこの方の一言がなければ私は友人を憎んで、そして恨んでいたかもしれません。そして誰も人を信用しないと思っていたかもしれません。


でも私はこの原体験が自分自身の課題であると向き合うことができました。後日、実際に友人に会って真相や話を聞いてみると、やはり自分の表現力の足りなさが彼に勘違いを生んでしまっていたのだなと気づくことができました。


そのため、このような話を書いておいて相反するかもしれないですが、タイプが違う人間だっただけで、彼には私にはない魅力がたくさんあります。今は別々の仕事をしていますが、いつまでたっても尊敬できる友人です。実際に今も1年に何回か互いの心境を電話で確認するくらいの仲です。


教え子は会いたいと言ってもなかなか会ってはくれないですが、彼曰く元気にやってるみたいです。今はとても良い経験だったなと思っております。

ただ現実に戻ると、メニュー開発も進んでいなければ、店舗設営も進んでいないことに気づきます。


そしてさらに私を困らせたのは、私に対しての勘違いの連鎖は他のメンバーにも進んでいて、結果的に時間差で教え子だけでなく、残りのメンバーも辞めることになって、この時チームはほぼ解散状態となってしまっていました。


ど素人が飲食店事業に参入、オープン日の大失敗が全てTVに放送される


チームはほぼ解散状態で、店舗経営をしていく上で残されたメンバーは私とデザイナーとコンセプトを考えてくれたサポートメンバーの3名になっていました。物件に関してもすでに仮契約を済ませたばかりです。

一時は諦めようかとも思いましたが、後には戻れないと思い、こうなったらもう自分たちでやるしかないと覚悟を決めました。

デザイナーに関しても大変不安な状況であったと思います。でも私にはなんとかなるかもしれないという自信がありました。それは今までの小さな成功体験です。

今は昔と違って、調べればなんでも出てくる時代です。料理の技術も壁の塗り方も、机の作り方もGoogleやYoutubeで調べれば何でも出てきます。だからこそデザイナーに「僕は料理と厨房機器を集めるから、お前は内観と外観のデザインを作ってくれ」「分からないことは全部Googleに書いてあるから」と伝えて任せることにしました。


そしてオープンまで残された期間は約2ヶ月、ど素人たちによるメニュー開発と店舗設営が始まりました。


まずメニュー開発を担当した私が1番最初に始めたことはメニューと営業時間を絞ると言うことです。私たちは本来「養豚農家とお肉屋と割烹屋の三代目が作る豚肉バル」というコンセプトの業態をオープンしようと考えていました。今でこそ珍しくなりましたが、当時インスタグラムで人気だった豚肉の野菜巻き串のお店です。


ただ、ディナーをするとなると料理を50種類は開発しないといけない。ただそれを2ヶ月で開発するのは不可能です。そしてただ作れば良いという問題ではなくて、来てくださった方に本当に美味しいと感動してもらうものではないといけません。

そう考えると、2ヶ月で本当に美味しいと思ってもらえるメニューなんて、どれだけ頑張っても料理ど素人の私にできるのは2種類が限界だと思ったので、


ここは思い切ってランチを2種類の豚肉を使った丼にのみメニューを絞って、オープンすることを決めました。


そしてこの際にもう一つ決めたことがあります。それは可能な限り火を使うメニューは控えようと思ったことです。火加減は強さや時間次第で料理が大きく変わってしまうと思ったので、基本的には電気を使った料理を中心としたメニューを作ろうと思いました。


その結果、生まれたのが「低温調理器で作るローストポーク丼」と「炊飯器で作る角煮丼」です。どちらも機械でほったらかしにしておくだけで作れるメニューです。さらにこの2種の丼のセットメニューとして「電気圧力調理鍋で作る豚汁」も作ることにしました。メニューが決まればあとは開発するだけです。


では店舗設営の方はどうなったか?



まず内観外観のデザインに関してはデザイナーが本当にGoogleで調べて張り紙や木をホームセンターで買ってきて我流で自分で張り替えたり、切ったりして作っていました。


「Googleで調べて分からないものはない」と勢いよく言ったのは私ですが、その様子を見て本当に期日までにしっかりしたものはできるかと不安でしたが、日に日にできてきて、2ヶ月で本当にオープンできるところまで完成しました。


人間本気になればなんでもできるもんだなと私自身、お願いしておきながら感心していました。

そうこうしているうちについにオープン日を迎えることになりました。もともと集客やPRが得意だったので、オープン日にTV局が3社来てくださりました。


そしてインスタグラムを使った集客もうまくいって外にはオープン前から行列ができていました。


ここまで大変でしたが、最高のスタートだと思っていました。


そんな時にまたしても大事件が起きました。


自己紹介の中でどれだけ大事件が起きるのかよと、書いていて思いますが、本当に大事件です。


何とローストポーク丼を作る低温調理器と、角煮丼を作る炊飯器、そして豚汁を作る電気圧力調理鍋を同時に使うと、ブレーカーが落ちたのです。


ただ問題はここからです。


そもそも通常は、このようなトラブルに対応するために、オープン前に身内だけを集めたプレオープンを行うのが飲食店業界の常識ではあるのですが、ど素人たちなのでプレオープンの概念を知らずに当日、ぶっつけ本番のオープンを迎えていたのです。


そして今まで別々に試作をしていたので、同時に電気を使っておらず、ブレーカーが落ちるという経験をしたことがなかったため、大パニックになってしまいました。


ブレーカーをいち早く直せば!と思ってブレーカーを直しに行こうと思うのですが、そもそもブレーカーがどこにあるかも知らないという状況でした。ブレーカーを直すどころかブレーカーを探すところからです。


ちなみにこのあたふたシーンも全てTVに撮影されてます。そして見つかったと思って直しても、また3つ同時に回すと電源が落ちます。何回やっても落ちます。


それは今思えば当たり前です。なぜならアンペアがオーバーしてるからです。ただ当時の私たちにはアンペアが何かもわかっていないので、電気をつけては落ちてつけては落ちての繰り返しです。


TVにも放送されています。そしてオープンするまで時間もあと少しです。もう絶体絶命です。


正直お店の前に立って今日は営業できませんと全力で謝ることも覚悟しました。心臓がはちきれそうなほどパニックになっていました。


そこで、急遽角煮を電気調理からガス調理に変えて、対応することにしました。1度もやったことのないオペレーションではありますが、もうぶっつけ本番でやりきるしかありません。


そしてなんとか、電気は30分おきに切れたりついたりでしたがオープンをすることができました。


出典記事

一時は心臓が止まるかと思いましたが、オープン初日はなんと70食全て完売することができました。


その後も私たちが開店した「ポークスタンド 3pig」はコロナ期だったにも関わらず、インスタグラム効果と1年間でテレビが15回取材にきてくださり、瞬く間に大人気店となりました。


そしてこの勢いのまま、父がやっていた焼肉屋もコロナの影響で売り上げが下がってしまったので、経営権を引き継ぎ、インスタグラムとTV効果で1年で売り上げが10倍になるくらいにまで再建することに成功しました。


当時、コロナの影響で物件が空いているところも増えていくので、今がチャンスだと思い、この勢いのまま飲食店をどんどん展開していこうと私は考えていました。


顔が焼肉屋っぽくない!?東京に引っ越しIT企業をマンションから第二創業


豚丼の後にやった焼肉屋の方はオペレーションがすでにできていたため、そちらの方が拡大可能性が高いと思い、日ハムに勝つためにもまずは10年で焼肉屋を600店舗展開しようと考えていました。


そして600店舗出すにはやはり、それだけの物件と物件を出せる立地選定が必要だと思ったので、拠点を愛知から東京に移そうと考えました。


そして東京1店舗目としてはまず、五反田にお店を出そうと計画して、何度か視察のために東京に向かっていました。


そんなときに、お世話になった女性経営者の方から「夏目くんに東京で絶対会わせたい人がいる」と言われてある方と紹介で会うことになります。


紹介されたのは、女性経営者の方と親交の長かった方で、過去に弟と一緒にIT企業を上場させた方でした。


ちなみに私は、この方のことをずっと大学生の時から女性経営者の方に聞いていたので、よく知っていました。


あまりメディアには出ないですが、弟だけでなく、自分の部下を何名か上場させた人の目利きが大変優れた方です。


その方に「私は焼肉屋を600店舗展開しようと思うので、東京に移転しようと思ってる」と初めて伝えたら、


「顔が焼肉屋っぽくないから、焼肉屋は辞めてITをやるべきだ」と言われました。


「顔が焼肉屋っぽくないから?????」


内心、そんな理由で!?この人は何を言ってるんだと思いました。

ただ不思議なのですが、納得はいってはなかったのですが信じてみようと思い、私は契約直前だった五反田の物件を断りに行きました。同じタイミングでその方には顧問で入ってもらうことにしました。

そしてその方の言うように方向を転換して、私たちは焼肉屋からIT企業になりました

しかしそもそも事業は何やるの???

実はこのタイミングでもう一人のキーマンと出会っていて、名古屋でインスタグラムのグルメメディアを運営している大学生が、インターンとしてうちに入社することが決まっていました。

そのメディアはすでにフォロワー数がすごい勢いで伸びていたのですが、マネタイズ化がされておらず、当時飲食メディアでマネタイズをするのは非常に難しいという状況でした。

その話を顧問の方にしたら「難しくてもこのメディアを軸に事業を拡大するんだ」と言われ、元々自分たちのお店でインスタグラムを使った飲食店のwebマーケティングが得意だったので、メディアとマーケティングを組み合わた飲食店特化型のSNSマーケティングのサービスを開始することになりました。

そしてこのタイミングで社名もNikuBox株式会社から株式会社アンビエントナビに変え、マンションの一室から第二創業をする形となりました。


しかし始めるといっても、どうやったらSNSマーケティングを伸ばせるかと顧問の方に相談したら「米津玄師のミュージックビデオに出ろ」という謎のアドバイスをもらいました。


またしても訳がわからんと思いましたが、私なりにこれを「巨人の肩に乗れ」と解釈しました。最初に契約して頂ける方が知名度のある方だったら、その後はその信頼が一定の事業加速につながるという理解をしました。


そして誰か知名度のある方はいないかとラインを漁り、そんな人いる訳ないよと思っていたら、4年前にラインを交換した本田圭佑さんがいることを思い出しました。そして「本田さんお世話になります、4年前に金沢大学で本田さんの胸ポケットに連絡先を入れた夏目です。この度は〜〜」とあの時の運命的な出会いを思い出してもらえるように連絡をしたら、なんと連絡が返ってきまして、一度面談することになりました。


そして本田さんから「夏目さんは何ができますか?」という質問に「自分はSNSマーケティングが強みです」と伝えて、本田さんが経営する会社のSNSマーケティングを担当させて頂くことになりました。


そしてその話をクライアントさんにすると、クライアントさんが本田さんとの衝撃的な出会いを面白がってもらい、契約が徐々に広がっていきました。


そして気づけば事業もどんどん拡大して、第二創業時は4人しかいなかったメンバーもどんどん増え、マンションオフィスも脱出し、1軒屋オフィス、そして、ビルのオフィスへと移転することができました。

オフィス2拠点目(3LDK)

オフィス3拠点目(40坪)


後で取り戻せないものを先にやる、令和の経営戦略


気づいたら、私たちはもうすっかり飲食店からIT企業へと変わっていました。そして、業績に関しても飲食店経営をしていた時から昨対比1000%、300%と2連連続で右肩上がりに成長していました。

しかしこのままの事業で、そしてこのままの組織で今後も業績を伸ばして、日ハムまで近づくことはできるのかと疑問にも思っていました。

私はそもそも咲いてもないですが、遅咲きの経営者だと思っており、愛知にいる時代は社会人1年目で起業しているにもかかわらず、3年間はほぼ棒に振ったような生活でした。ただ何やってもうまくいかなかったからこそ、たくさんのインプットをする時間がありました。

インプットすればするほど、事業はもちろんですが、組織としての経営戦略は何が必要かということがよく見えてきました。


人材戦略
資本戦略
プロダクト戦略
セールス戦略
開発戦略


とありとあらゆるものが必要です。そして戦略とはまさに戦いを省くことだと思っており、

もちろん状況やフェーズによっても変わるのですが、事業が拡大して、変数が増えるので、後から整えるのはかなり難しくなるだろうなと思っていました。


そのため、このままの事業拡大ではダメだと思い、経営戦略を一通り見直すことにしました。

・弊社のビジョンは何か
・弊社が採用する人材はどのような人か
・弊社はどんなカルチャーを作っていくのか
・弊社はどのようにファイナンスをしていくのか
・弊社はどのようにセールスを仕組み化していくのか
・弊社はどのような領域に向けたプロダクト開発をしていくのか

もちろんきりがないですが、これらを先に言語化しないと、事業拡大した時に迷走してしまうと思い、1年間は事業を伸ばすことよりも経営戦略を言語化することに時間を使うようになりました。

その結果、たくさんの試行錯誤を経て、会社としての形ができてきました。


MVVに関しては別のnoteでまた詳細に説明させて頂ければと思うのですが、弊社としては一つキャッチコピーみたいなもので

真のものづくりは、人づくりから始まる」という言葉があります。

これはパナソニックの前身、松下電器の創業者、松下幸之助さんの言葉を借りたものです。

「松下電器は何をつくるところかと尋ねられたら、松下電器は人をつくるところです。併せて電気器具もつくっております。こうお答えしなさい」


つまりはパナソニックも電化製品の会社ではなく、電化製品を作る人に投資をしている会社だということです。


会社になって4年半、起業してからはもうすぐ7年ですが、私はとにかく人でたくさん悩んで、人にたくさん助けられて、今があると思ってます。

だからこそ事業の中心にあるのはいつだって、人であると思っています。

人材会社を作りたいわけでもなく、アンビエントナビ社は人や人材教育に投資してIT製品を複数展開していく会社になっていこうと思っていました。


飲食×Fintech SaaSのDX領域で、10年で社員1000人、10事業、300億企業まで成長へ!


人づくりという文脈で経営戦略を考え、直近では、社員が20名インターンが30名(その内の半数は新卒内定者)へと事業拡大してきました。オフィスに関しても3回目の移転をして、人を増やして事業拡大を考えています。

オフィス4拠点目(105坪)

色んなデータや実績がありますが、現在時点での人材戦略についての特徴的なデータをあげると、

・直近1年間の正社員の離職率0%

弊社は試用期間を除く、直近1年間の正社員の離職率0%と、正社員の退職者が非常に少ない会社です。入れ替わりのないことが必ずしも良いわけではないかもしれませんが、「いい人をつくって、いい会社をつくる」というビジョンを体現するために、採用段階でカルチャーマッチ度を定量化したり、メンバー一人一人の相互理解を大事にしていた結果かと思います。


・インターンからの新卒内定承諾率が30%以上

通常インターン採用からの新卒採用は企業平均1-2%と言われてる中で30%以上の水準値を超えております。採用領域に投資し、選考段階で弊社へのマッチ度が定量化されているからこそ、入社後も高い確率で新卒として入社してもらうことができます。


他にも色んな指標がありますが、採用をしてもしっかり人が定着して高い成果を出せる、採用、育成、活性化の仕組みが徐々に整ってきたからこそ、今年はさらに昨年固めた分の事業成長をしていきたいと思っております。


新卒に関しては今年は約10名、来年は15名、その翌年は40名の採用を計画しております。


そして中途に関しても、メンバーレイヤーが増えており、圧倒的にマネジメントレイヤーが足りていないので年間で20名の採用を予定しております。


20名の社員も1年後には50名、2年後には90名、さらに3年後には150名を想定しております。


そして今後に関しては、2023年10月に飲食店向けのFintech SaaS事業をリリース予定です。そしてさらに翌年にもFintech SaaS事業をリリース予定で、開発の準備を進めていこうと準備しております。


今まで飲食店をやって、マーケティングをやってきたからこそ、次は本当に飲食店のインフラとなる事業にもより力を入れていきたいと思っております。


そして日ハムを越えるためには、飲食店業界だけにとどまらず美容院やアパレル、整体院などのSMB領域のインフラとなるようなプロダクトをリリースしていき、中間地点の2034年までの10年間で社員1000人、10事業、300億企業を目指していこうと思っております。



3編にわたる自己紹介を最後までご覧いただき、本当にありがとうございます!


最初は軽い気持ちで書き始めたのですが、思ったよりこの7年間でたくさんのストーリーが詰まっており、書きすぎてしまったなと思うくらい書きました。


今後のストーリーに関してはアンビエントナビ社の採用ブログも兼ねて、


・なぜコンパウンドスタートアップを提供するのか
・弊社のMVVについて
・どんなメンバーが働いているのか
・どんな事業を今後は展開していくのか


など選考を考えてくださる方がアンビエントナビの過去、現在、未来をしっかりと知れることのできるコンテンツを作っていこうと思っております。


引き続きよろしくお願い致します。


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