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【社員インタビュー】「海外へ行きたい!」と言い続けていたら新卒入社1年半でタイに赴任できました





|外岡 周(Makoto Tonooka)/2015年新卒入社

入社後はエンジニア向け人材紹介の営業・キャリアアドバイザーを経験し、入社1年半でタイに赴任。現地で営業として勤務した後、現地責任者として売上管理・現地スタッフのマネジメントに従事。4年間をタイで過ごした後、2021年に帰国し、現在は海外事業の統括とグループ会社との新規事業の開発プロジェクトに参画。



今回は、新卒入社1年半で海外事業へ挑戦し、20代にして会社の重要ポジションを担っている外岡さんに "人生に大きな影響を与えた瞬間" をお伺いし、大事にしている考え・価値観を聞いてみました。



人として成長させてくれた「挫折の3年間」

これまでの人生を振り返って、特に大きな影響を与えたのは中学時代のサッカー経験です。挫折の3年間でもあり、人間として大きく成長できた瞬間でもありました。今となっては当たり前ですが、謙虚さ、周りへの感謝の気持ちを学ぶことができたと思います。


サッカーは小学校から始めたのですが、運動神経も良かったのですぐにチームで一番上手い存在になれました。プレーに関して自分に誰も文句を言えない絶対的な存在として君臨し、まさにお山の大将。

幼少期は母親に「あなたもどうしようもない奴だったよ」と言われるくらいヤンチャもしていて、怒られた記憶しかない、集中力がない、団体行動ができない、好奇心旺盛な子供でした。


そんなお山の大将が、中学に進学すると環境はガラリと変わり…


世代でもトップクラスのU-13日本代表選手や、各校の有名選手ばかりが集まっていて、待っていたのは激しい競争の世界でした。

「世の中には、こんなに上手い人がいるのか…」と中学生にして人間としての未熟さ、自分の実力はこんなもんだったのかと思い知らされ、そこからの中学時代は、挫折の3年間でした。


今まで自分が引っ張っていく立場だったのが、一気に周りを追いかける立場になり、何も自分から言える環境ではないことを受け入れるしかなく、とにかく周りに追いつこう、認めてもらおうと必死でしたね。

そんな中でも抜群に上手い彼らとプレーが合う瞬間はあって、挫折の3年間の中でも自分の成長を実感することはできたので、卒業の頃にその差が縮められたことは自信にもなりました。


サッカーを通じて自分の実力の無さ、未熟さに気付けたことで、自然と周りへの感謝の気持ちも生まれ、謙虚さ、気遣いを学ぶことができたのは本当に貴重な経験でした。

小学校時代の友人や先生に驚かれるくらい人が変わったので、あのまま小学校時代の ”お山の大将” を続けていたらどんな大人になっていたのだろう…と想像すると怖くなります。

そのくらい僕の人生に大きな影響を与えた経験でした。




「センスって何だろう?」と考える癖が思考力の基礎に

サッカーを通じて学んだことは他にもあり、「言語化して考える癖」が身に付きました。

サッカー部の監督が「お前はセンスがないんだよ!」とメンバーを叱ったとき、「センスって何だよ!」と怒っている場面をたまたま見て。

そのときに「確かにセンスって何なんだろう?」って疑問に思ったんですよね。

センスという言葉は知っているので、何となく分かっている風を装っていましたが、実際にその言葉の真意を探ると深くて、難しくて…。


そこから自分自身に状況を置き換えてみて、客観的に自分は何ができていて、何ができていないのか。自分なり状況を整理して嚙み砕いて考え、違う言葉へ言い換えられないか試していくうちに、監督が意図していたことが理解できるようになってきました。

曖昧な表現も言葉のポイントを抑えて、相手の状況を察して考える癖がついたので、コミュニケーションロスも減り、相手に上手く自分の意図を伝えられるようになり、今の仕事にも生きているなと感じます。

日本語は曖昧な表現も多くて、思い込みが原因で誤解を招くことが多々あります。

特に人材業界は人を相手にする仕事なので、この言語化するスキルは重要で「この求職者さんの魅力は何だろう?」「この求人と求職者さんが合っていると感じる要因はどこだろう?」と自分の頭に浮かんだことを言葉に言い換えるように意識していました。


留学、イベント運営を通じて「海外×ビジネス」に強い関心

大学時代はビジネスに関して強い関心を抱くきっかけになりました。

日当が高いという理由で、大学からフットサルのイベント会社で審判のアルバイトをしていたのですが、小さい会社だったので次第に運営内部のことも分かってきて、フットサル大会の運営にも携わるようになり、大会参加チーム集客も担当するようになりました。

大会運営費となる参加チームを集めるのは結構大変で、サッカーチームが交流できるコミュニティを作って定期的にプロモーションしたり、企業を回って協賛を募ったり、芸能事務所とも関係性があったので、読者モデルを呼んでイベントを開いたり、ワールドカップのときはパブリックビューイングを企画したり…

審判もフルで対応していたので毎日忙しかったですが、結果が分かることでモチベーションにもなり、すぐ近くに社長がいて経営の現場も見てきたので、自然とビジネスに関心を持つようになりました。


大学2年生の時にはフィリピンのセブ島に3か月留学を経験し、大手企業の海外担当者やJAXAの人たちと揉まれながら厳しい環境下で英語を勉強しました。

ここでもビジネスの第一線で活躍する社会人から刺激を受けて、時事ネタを話す中で自分自身の「日本から見た海外」と「海外から見た日本」とでは大きく考え方も価値観も違うことに気付き、「海外で働くこと」や「外から見る日本」に興味を持つようになりました。




「頑張れば海外に行けるよ」の言葉を信じて入社

こうしたフットサルイベント会社でのアルバイト経験、留学経験を通じて海外でのビジネスに関心を持つようになり、就職活動では銀行、商社、物流業界などから5社の内定を獲得しました。

ただそこから1社就職先を決めようと思ったとき、内定を貰うこと必死になりすぎていて、入社後に何の仕事をするのか何もわかっていないことに気付きました。

家族からも「今の内定先はチャレンジングな環境ではないんじゃない?」と言われ、最終的に5社あった内定を全部辞退して、夏に就職活動を再スタートさせました。

今となってはギャンブルでしたが…。

「仕事のことを何も知らない」という気付きから人材ビジネスに興味が湧いて、人材紹介会社の担当者に紹介してもらったのがジェイマックス(マックスサポートグループ)でした。

トップとの面接の中で「頑張れば海外に行けるよ」という言葉をいただいたので、いつになったら海外へ行けるという保証は全くない中、その言葉を信じて入社を決意。

入社後は、いつでもチャンスを掴めるよう任された仕事で実績を出すことに専念し、行動数の目標は絶対に達成させていました。目の前の売上目標を達成することに集中し、自分の顧客を作り、何かあった時に自分を頼ってくれる顧客をどれだけ作れるかということを常に意識していましたね。


あとは「海外に行きたい!」と周りの人たちに言いまくっていたことも大きいかもしれません。上司はもちろん、同期メンバー、会長など…関わる人たち全員に日々熱意を伝えていましたので、実績と熱意の両方が合わさってチャンスを掴めたのかなと思います。

いすれにしても入社1年半でチャンスをくれた会社には感謝しかないですね。


今のマックスサポートも、具体的にどのくらい売上げれば海外赴任できるか基準が決まっているわけではありません。

だからこそ実績と人間性が大事で「周りからの信頼をいかに勝ち取れるか」が重要だと思います。

よく学生さんから「語学はどのくらいスキルが必要ですか?」と聞かれますが、実は、タイに赴任すると決まったときタイ語は全く話せませんでした。

語学は後から身に付けられる部分ではあるので、それよりも大事なことは、異文化を受け入れられる「柔軟性」と、困難な状況を乗り越える「バイタリティ」だと思っています。


マックスサポートは創業25年目の会社ですが、新サービスの立ち上げや海外拠点展開などグローバルな視点で新しいことにチャレンジしています。

これから一緒に海外事業を盛り上げてくれるメンバーに会えることを楽しみにしています。

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