1
/
5

【代表インタビュー】山本 将人(やまもと まさと)

山本将人 役職:CEO

入社までの人生について教えてください

東京都品川区生まれ。

品川区の団地育ちで、友達家族も含め、大きな家族のような環境で育ちました。

小学1年生の時に親友に誘われて少年野球の体験に行き、そこから12年間野球に打ち込むことになります。

中学校も品川区の近所にある中学校に通いながら、地域で少し強い野球のクラブチームに入り、ほぼ毎日野球に打ち込みました。

平日は毎日放課後に練習して土日は試合という、野球以外何をしていたのか覚えていないくらい野球漬けの毎日でした。

高校は、野球が強い進学校に入学。ここでの高校生活、厳しい野球部監督(恩師)との出会いが、今後の人生に大きな変化をもたらすことになります。

入学した高校の野球部監督は今では有名な人で、「日本一いいチーム」という目標を掲げ、日常の中に野球があり、野球だけできる人間はいらない。人生のレギュラーになれる人を育てるという方針でした。

野球ノートで日々の振り返りをすることはもちろん、人生とは、いいチームとは、という答えのないものを自分たちなりに議論して作り上げていくなど、人生に通ずる大きなものをたくさん学ばせてもらいました。

監督や先輩からの教えを通じて色々と学び、最終的には100名ほどが在籍する野球部のキャプテンを務めました。

高校3年間であの環境に居なかったら、確実に今の自分はないと思えるくらい大きな経験だったので、人生を変えてくれる恩師や仲間に出会えたことは本当に大きな財産だと感じています。

野球漬けの高校生活でしたが、恩師の影響を受け、将来は教師になって多くの人の人生に関わっていきたいと漠然と考えていたので、高校野球引退後は必死に勉強し、教師になるための大学に入学しました。

大学に入学した後は、野球からラクロスに興味を移すことになります。ラクロス部で4年間活動し、2年生時にレギュラーを獲得するが膝を負傷。3年生時に副主将、4年生時に主将を務め、高校野球とさほど変わらない熱量で部活に打ち込んでいました。

大学は教育学部だったため、3、4年生時に教育実習に行った際、自分が世界をあまり知らないのに生徒に地理の授業を教えていることが面白くないなと感じました。

そこで世界一周の旅に意識が向き、色んな人の話を聞く度に旅をするべきと感じるようになり、大学卒業後に1年間の旅を決意。資金がなかったため、先輩に頼んだり親から借金をして旅へ出ました。

世界一周の話をすると話が長くなりすぎるため割愛しますが、旅は254日間、26カ国(トランジット含む)、82都市を訪れることができました。

旅から帰国し教師になる予定でしたが、何か違うと感じ、もっと世界にインパクトがあることをビジネスの場でやってみたいと思うようになり、会社を探し始めます。

世界を見て学んだ日本のすごさ、日本にもっと人が来てくれたらいいのに、という思いと、周りからのアドバイスをいただき、訪日観光事業を展開する大阪のベンチャー企業に入社することになります。(ここがFuntocoの創業者・西沢との初めての出会いです)

研修後の入社2ヶ月目には営業部のベトナムチームに配属され、急成長+人手不足も相まって、入社3ヶ月目にはチームのリーダーに任命されました。

ベトナム市場の成長に伴いチームも大きく拡大し、その後は欧米豪市場のチーム立ち上げと新規市場開拓チームのマネージャーを務め、東南アジア市場以外の全てをマネジメントしていました。

この会社で多くのことを学びましたが、入社3年後には、起業したいという思いや社内で色々あったことも重なり、退職を決意します。

ここまでが、Funtocoに入社するまでの人生です。

なぜFuntocoに入社しましたか?

大阪のベンチャー企業退職後は、一旦実家の東京に戻る予定だったので、それまでお世話になった人や、退職して起業した人たちに話を聞きに行くということをやっていました。

そのタイミングでFuntoco創業者の西沢とご飯に行き、色々と話した結果、Funtocoで外国人人材紹介事業を一緒に立ち上げることを即決しました。

これが、Funtocoに入社することになった背景です。

とにかく行動。ただ、真っ直ぐにやるだけという思いでした。

Funtocoに入社してどのような仕事をしていますか?

2019年1月から、新規事業(外国人人材紹介事業)の立ち上げメンバーとしてFuntocoにジョインし、そこから早くも4年以上が経過しました。

現在はCEOとして会社のトップに立ちながら、全体をマネジメントしています。

事業を立ち上げてしばらくの間は何の成果もなく、Funtocoが別で運営していたゲストハウスの収益頼りでギリギリ生きていました。

全員が人材紹介業未経験、右も左も分からないような状況の中、ひたすら行動するしかありませんでした。

コロナウイルス蔓延、海外からの入国禁止、宿泊施設や飲食店の求人消滅、ミャンマーのクーデターと、多くの困難や経営危機に襲われながらも、Funtocoは着実に成果を出してきました。

今では立派なオフィスができ、メンバーも増え、やっと大きく会社が前進し始めたところです。

Funtocoの会社の雰囲気を教えてください

Funtocoは、ダイバーシティが豊かで多国籍な会社です。仕事に対するストイックさや、熱い情熱を持ったメンバーが揃っています。

Funtocoは理念型経営を追求しているため、何のために、誰のために仕事をしているのかを理解・共感し、人生をかけて働きたいと考えているメンバーを採用しています。

国境を越えて“働く”チャンスを創り、日本にパワーを与える。

そのためには、もっと仲間が、ファミリーが必要です。

未来の仲間へメッセージをお願いします

Funtocoの事業は、日本の未来、そして外国人の方々の人生を背負う責任重大な事業です。

理念の達成を目指して本気で挑戦したいメンバーには、たくさんの成長の機会を与えています。

Funtocoは、まだまだこれからの勢いあるベンチャー企業です。一緒に明るい未来に向かって泣き笑いを共にし、新しい日本を作っていきましょう!

Invitation from 株式会社Funtoco
If this story triggered your interest, have a chat with the team?
株式会社Funtoco's job postings
2 Likes
2 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Like Shota Katsuno's Story
Let Shota Katsuno's company know you're interested in their content