阪神・淡路大震災から26年です。
張るカイロがなかったので、ガムテでカイロを貼ってきています。
今朝、この方法に気が付きました。
おはようございます。
月日の経つのは早いものです。
阪神・淡路大震災から26年の年月が経過しました。
当時、火曜日に休暇を取っておりスキーに出かける途中でした。
朝の5時前にラジオにニュースから、大きな地震が発生したとのニュースを聞きました。
といっても、地震か程度の認識しかなく、そのままスキーへ。
帰りの車のラジオから、朝聞いた地震の影響で火災が発生して、いまだに火の手が弱まらないとのニュース。
この時初めて、この地震の大きさを知ることができました。
経験したことのない事に対しては、自分の常識の範囲でしか物事の判断しかできずに、事の重大さに気付くことができないものだと、実感させられます。
当時、日産自動車時代の友人たちは、会社の業務の一環で神戸の復興支援に行っていたことをあとで聞かされました。
1年経過した神戸市内は、傷跡は残るものの復興は大きく進んでおり、伺った会社も外観からは震災の様子をうかがうことはできませんでした。
が、震災当時のお写真を拝見させていただくと社屋は全壊、会社前の高架(電車だったか高速だったか忘れました)が倒壊って状態でした。
当時、伺った話で印象に残ったのは、全壊に近い状態になっていても、修繕という形でした社屋を立て直すことができなかったという話。
そんな状況になっていれば、新しく立て直してしまった方が安く良い社屋を建てられたはずです。
が、商業地区か?とかくだらない規制の関係で、そうせざるを得なかったとのこと。
東京に戻ってから、委員会としてレポートをまとめたのですが、随分昔のこと。
どこに行ってしまったのか。
本当に、予期せぬ時に災害はおきるもの。
今回のコロナも同じです。
初期の対応を間違っていなければ、今のような状況にはなっていなかったはずです。
未曾有の危機を、何度も経験してきている日本なのですから、もう少し反省が生かされてもよいかと思いますがね。