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喜多方の自然と戯れ、スポーツと音楽に没頭した学生時代
僕は美味しい水とラーメンが有名な町、福島県の喜多方市で生まれ育ちました。
好きなことは人を笑わせること、スポーツ、そして音楽。野球部でキャプテンを務めながらバンドでドラムを叩き、コーラス部にも所属して決して上手くはないが高らかにアルトパートを歌いながら(映像で見ると恥ずかしい程デカい声で歌っている。笑)、夏は川に飛び込み、冬は雪と戯れる。面白そうなことには片っ端から首を突っ込むタイプでした。
実は、このタイミングでSANUの創業者である本間貴裕と出会います。進学した高校の同級生で、共にテニス部で団体戦を戦う仲間でした。
SANU創業者本間とのテニス部時代の一コマ(一番左が本間、右から3番目が僕)
そうして大学入学を機に上京し、音楽に没頭、気の合う仲間と部室に入り浸りながらバンド活動に明け暮れました。同時にアウトサイダーに憧れを抱き、鬱々と読書に耽りながら(当時の愛読書は確か、吉本隆明「親鸞」、小田実「何でも見てやろう」、沢木耕太郎「深夜特急」等だったか)、自分のアイデンティティを模索し悩む日々でもありました。幸運なことに常に仲間には恵まれ、今から思うと若き日の愛すべき時間でした。
バンド活動に没頭した大学時代の一コマ
キユーピーに入社し、大きく価値観を変えた2つの転機
見事なほどのモラトリアムを抱えた大学生活を送りましたが、千葉大学園芸学部で食農領域を学んでいたこともあり、国内食品大手のキユーピーに入社。そこで、自分の社会に対する考えが根本から大きく変わる、2つの転機が訪れます。
1.2011.3.11 東日本大震災で触れた、とある社長の姿
配属の仙台支店で、"たまご"を専門に扱う部門で宮城県沿岸エリアを担当していた僕は、震災で得意先の約半分を喪失。営業活動もそっちのけで担当の被災エリアに通い、休日はボランティアに繰り出す日々でした。その中で目の当たりにしたのが、自社も大きな被害を被っているにもかかわらず、残された設備を社長自ら朝から晩まで稼働させ、各所の避難所に自社製品である「かまぼこ」を配り回る、社員への給与は身銭を切り崩して意地でも支払う、そんな、得意先のかまぼこメーカーの社長の姿でした。
「社会に対して、今、自分が貢献できることを考え尽くし行動するんだ。」
優しい口調でふとこぼれた言葉に、もの凄い迫力を感じ、大きな衝撃と共に涙した記憶。何かが吹っ切れました。社会から逃げず、仕事を通して社会に貢献しよう。心が決まった瞬間でした。
2.6年間上海に駐在し、中国事業の立上げと推進を実行
震災の影響も落ち着かない中ではありましたが、当初から海外での仕事に漠然と強い興味を持っていた僕に、所属していた部門の中国事業立上げの情報が舞い込んできました。
当時の僕はまだ社会人4年目。大企業の中では”ド”が付く新人で、当然大したスキルもない。更に当時のキユーピーでは、ほぼ中堅以上しか海外駐在のチャンスがない状況。しかしこのチャンスを逃すまいと、行動力のギアを2~3上げ、求められてもいない中で中国駐在志願を怒涛のアピール。紆余曲折を経て、有難くもそれが叶うことになりました。
中国駐在時代の一コマ 上段右から4番目が僕
結果として6年弱、上海に駐在しながら大陸を駆け回り(アプリで確認したら地球8周分の30万kmくらい移動していましたw)、事業に没頭しました。日系企業の中国法人における人間関係の難しさ、バックグラウンドが大きく異なるメンバーとの協働、そもそも外国人の若造が事業立ち上げのリーダーをやることの難しさ等を日々感じ、ときに凹み、ときにスキル不足をMBAを修了するなどして補いながら、周囲の仲間に支えられ、事業も一定の成長をさせることができました。
ベンチャー支援のコンサルへ転職、衝撃の出会い
駐在期間をなんとか引き延ばしてもらいながらも遂に帰国の辞令を受け、そのタイミングで将来のことを思案した結果、より一層チャレンジングで面白く、かつ自分の弱みと感じていたプロジェクトマネジメント能力が鍛えられるであろう環境を求める中、ご縁のあったデロイトトーマツベンチャーサポート(以下 DTVS)に転職することになります。ベンチャー企業の支援をベースにしたコンサルティング会社です。
日系食品メーカーから転じた僕からすれば、これまでとは全く逆で売るものはコンサルティングという無形のサービス。また体系立ったプロジェクトマネジメント手法の数々に戸惑いながらも、スタートアップ界隈の様々な方と関係が築け、また起業家や投資家、官公庁/自治体、大企業など本当に多種多様な方と様々なプロジェクトを進めたことで、どんな仕事でもとにかく前に進めるプロジェクトマネジメント力が鍛えられました。
そんなベンチャー支援 / コンサルワークに邁進する日々の中で、衝撃が走ります。先述の通り高校のテニス部仲間である本間貴裕の、2020年7月のSANU 2nd Home事業のサービスローンチのポストです。
SANUリリースのポスト
実は、コンサルとしてハードワークに勤しみながらも、その反動として、自然の中を年間1000kmほどランニングすることがルーチンになり、家族とデイキャンプなどを通して自然の中に入ることを再開していました。僕自身も30歳を過ぎ、家族を含めて今後どう生きていくのかを考える中で、「自然を真ん中に据えながら、社会へ大きく、かつ気持ちよくインパクトを残せる仕事」ができないものかと考えている矢先の、絶妙なタイミングでした。
仕事ではなくライフワークとして、本間と彼の事業を応援し未来を一緒に創りたい。彼の投稿を読み切ることもしないうちに、僕の手は彼へのメッセージを打ち始めていました。
「SANU、なにか手が足りなかったら手伝いたい!俺、ベンチャー支援家!笑」
そこからフルジョインを決意するまでの1年ほどの間、紹介した投資家や地方自治体の方への本間のプレゼンを横で聞きながら、実は誰よりも自分自身に刺さっていることを感じていました。それに加え、もう一人のSANU共同創業者であり、CEOの福島弦という面白く、かつ本気度の塊のような男との出会いも、3児の父親でもある僕が家族を説得し、創業期のSANUにフルジョインする意思決定をした大きなきっかけでした。
自然を欲し、チャレンジした2021多摩川ウルトラマラソン
現在は新拠点の立ち上げや体験向上など、事業運営全般を担当
SANU CABIN 内観
かくしてSANUにフルジョインした僕のSANUでの役割は、SANU 2nd Home事業の運営全般を担うセクションであり、SANU 2nd Home事業を展開する複数の拠点にしっかりと馴染みながら、サブスク登録してくれた会員さんの心地よい体験を作っていくことです。
具体的には、滞在レビューに対する絶え間ない改善の実施、更なるニーズに対応するための新規プラン創出、拠点展開エリアにいる熱意ある素敵な地元プレイヤーの方々との連携企画の立案・実装、またそれらに関わる諸々の経済指標の管理などをしています。言わば、SANUの各セクションの中でも、拠点エリアの方々と最も広く密に関わり、かつSANUの会員さんとも最も近い距離にいる、非常にリアリティのあるセクションです。実際、オペレーションチームのひとりは現在山梨県北杜市に住み、SANUのサービスが各エリアに馴染んでいくために現地で生活を営んでいたりと、直接自然に触れる機会の多いセクションでもあります。
SANUの部隊の中で、会員の皆さんはもちろん、仲間に入れてもらう拠点エリアの皆さんとの接点を担う以上、チームメンバー一同、日頃から考え意識していることや、その場での一挙手一投足がブランドイメージに繋がるため緊張感がありますが、一方でSANUキャビン、ひいてはサービス全体に直接的な想いが乗せられる、むしろ最もやりがいのあるセクションだと思っています。
SANU オペレーションチームの3人
そんなオペレーションチームを始め、SANUは、仲間になってくれるメンバーを絶賛募集中です。「Live with Nature. / 自然と共に生きる。」という壮大なテーマではありますが、共に考え、プロフェッショナルかつ気持ちのいいメンバーと一緒にSANUに熱くコミットしたい、という方、是非ご一緒しましょう!!
最後に、尊敬する岡本太郎の言葉を。
❝眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ❞
今を生き切ることで、とびきりな未来を共に創りましょう。
あなたの応募を、そしてご一緒できる日を、心待ちにしています。