【代表インタビュー】「自分は何ができるか」よりも「地域が求めているものは何?」
話を聞いた人 株式会社JPD 代表取締役 菅 聡(かんあきら)高校卒業後、地元を離れて仙台の学校⇒関東の会社へ就職地元の高校を卒業して仙台の学校でコンピューターを学んだ後、システムエンジニア(SE)として関東の企業で働きました。今の常識とは違い当時のプログラマーなんて残業が前提のようなもので、手当こそ大きかったものの、休み方を忘れてしまうほど職場に缶詰というのが日常でした。そんな期間も長く続けば精神もすり減ってくるもので、いつしか「金よりも時間が欲しい」という考えに傾いていきました。実家や両親のこともあるし、いつかは戻らなきゃと考えていたので、地元企業への就職の段取りなどはすっ飛ばして帰...