こんにちは、ジョーズコーポレーション広報担当です。記念すべき第一回は、創業者である代表直井へのインタビューです。幼少期からグローバルな環境で育ち、多文化理解に対する意識も強かった直井がbonbon houose開業に至った経緯、今後の展望について伺いました!
――プロフィール紹介
直井千惠(なおい ちえ)
愛知県名古屋市生まれ。幼少期を京都で過ごした後、小学2年生の頃家族で台湾へ移住。その後高校受験を機に再び日本へ戻り、高校・大学と京都で就学。幼い頃から日本と台湾、両国の文化を体験しながら育つ。
〈多文化理解への意識を培った学生時代、そして起業に至るまで〉
――大学では何を専攻されていましたか?
英語による国際ビジネスコミュニケーションを専攻していて、授業はすべて英語でした。「グローバル」といったワードが、今よりもずっとキラキラしていた時代に、教授自身が当時はまだ珍しかった多国籍なメンバーで構成された中小企業の経営者で、グローバル企業で働くには何が大事なのかを、たくさん教えていただきました。
その当時よく出ていた言葉・フレーズがやはり、「思いやり」や「対人感受性高く仕事をする」といったものでしたね。例えば、同じ色を見ても、アフリカの人はそれを茶色だと思わない、でも日本の人はそれを茶色だと思うことがある。要は、自分が当たり前だと思っていることを相手に押し付けるのではなく、まずは相手がどう思っているのかを理解してから話をしなさい、そのような多文化理解においてとても大切な事を教わりました。
――職歴について教えてください。
大学4年生のぎりぎりまで就職活動をしなかったのですが、ゼミの友達に「あなたにすごく向いている仕事がある」と言われ、何も深く考えずにその会社の面接を受けてストレートで受かりました。当初台湾の大学院に進む予定を変更して、日本で二年ぐらい就職してみようと思い、両親にも相談して日本に残ることにしました。
最初の2年間は、それまで働くという経験をしてこなかった私にとって、試練の嵐でした。まずは、不必要なプライドを捨てること、本当の意味での自立を体現すること、自分のできない事を認めること、頑張りぬくこと。スキル面ではなく、日々自分の内面と戦う日々でしたから本当に辛かったですね。
ベンチャー・リンクという会社で、振り返ると、何の恩返しもできないまま会社を卒業することにしましたが、あの会社で出会った同期、先輩後輩のみなさん、上長とは、今でも繋がっていて、あの2年間が今の自分を創ってくれたと思っています。本当に濃い2年間でした。
――新卒で大変な経験をされたのですね。その後どうされましたか。
それから当時の上司が、インバウンドでインキュベーション事業という新規事業開発チームを作るから一緒にやらないかと声を掛けて下さり、そのタイミングで転職しました。その会社で7~8年間様々な良い経験をさせていただいた後、今の社長と役員と方と私の3人で新規事業を立ち上げました。私はカスタマーサポートの部門をゼロイチで立ち上げたのですが、その時の体験があったから今があると言っても過言ではないほど、貴重な経験を積みましたね。
後に結婚して、結婚を機にグループからいったん退き、医療関連の会社でのカスタマーリレーションマーケティング(CRM)等の経験を経て、第一子出産を機にワークライフバランスについて考えるようになりました。
どのみち仕事をするなら自分で事業を起こした方が、育児・家事と仕事の両立ができるだろうと思い、まずは友人と共に会社を設立し、2年間個人事業主として仕事をしました。
そして2018年、弟と二人で法人登記をして事業を始めたのが、今のジョーズコーポレーションです。
家族の幸せを一番に考え踏み出した第一歩
――第一子出産を機に創業とのことで、一番大きなきっかけは何でしたか。
それこそ、ワークライフバランスの実現のために起業しました。フルタイムで働いているママさんを尊敬しますが、組織に所属してしまうと、分刻みで全て決められた時間の中にいて、自分ではそれを動かせないですよね。そこが事業主であれば自分で決められると思ったので、起業に踏み切りました。
――それが理想であってもなかなか起業に踏み切るのは大変だったと思いますが、一歩を踏み出せた理由は何でしたか?
夫が元々、自分は事業を成功させなければいけないから、家事育児は一切できないし、育児や仕事のストレスを家庭内に持ち込まないでほしいというスタンスの人でした。でももちろん妻も幸せでなければ仕事に集中できないということで、家族が皆ハッピーでいるためにはどういう形が一番良いのかと色々話し合いました。その結果、私が会社員を辞めて自分で起業してみるというのが私たちの答えで。それが大きな一つの理由でしたね。
また、最初から「けじめ」を決めて始めました。5年以内に毎月自分たちが希望する額の個人所得が得られる状況で事業を継続できなかった場合には、また組織に戻るというものです。
もし今後また転職活動をすることになった際に、経歴に於いてそれがマイナスにはならないかと心配の声もありますが、海外の企業経営経験や自営業で責任をもって会社を運営した経験は、むしろ魅力的な職歴になるだろうという自信もあり、そこは恐れることなく、起業に踏み切れたと思っています。
〈簡易宿泊所‘bonbon houose’について〉
――事業内容、会社のコンセプトについて教えて下さい。
現在日本国内で、名古屋・東京・京都の三拠点において、簡易宿泊所とマンスリーレジデンス、アパートメントの運用管理をやっています。
弊社で運営する京都の簡易宿泊所の8割以上のお客様が外国の方で、京都という魅力ある古都、日本の伝統文化の発信地を、「住む」という経験を通して体感していただきたく、一棟貸しの簡易宿泊所を運用しています。
京風の町家を意識して、新地から新築で京都の建築士に頼んで建築しました。京都を代表する色である藍色と朱色の中でも、朱色をふんだんに使ったデザインになっており、中には坪庭もあって宿泊客にはとても楽しんでもらっています。
藪下町には小さな商店街があるので、商店街の飲食店を紹介させていただいたり、工房で藍染め体験をしていただいたりと、宿泊客様に参加していただくことにより地域全体を盛り上げることに繋げていくことを目指しています。
そして弊社の一番大きなバッググラウンドであり強みは、台湾と縁故がある事です。台湾に限らず中華圏のお客様、中華圏に限らず欧米圏のお客様と言った風に幅広く、世界中の方々に「日本のおもてなし文化」を伝えたいと強く思っています。
他国にはない、単なるサポートを超えた「相手を思いやったうえでのサポート・気遣い」という日本の良き文化を、伝えたい。お客様にそれを体感していただき、「人を思いやる大切さ・素晴らしさ」が世界中に伝播していけばという想いで、会社を運営しています。
――この事業を選んだ理由は何ですか?
今走らせているのが、ライセンス事業、不動産事業、医療、営業代行、と法人が全て違うのですが、比較的アップダウンが少なく安定した事業形態は不動産だと思い、このビジネスをしようと考えました。確かに不動産事業は粗利は少ないですし、簡単に動かせるものではありませんが、しっかり回せば事業として成功できるので不動産の運用管理をしています。
残りの事業に関しては収益が変動型なので、各事業のバランスを考えた時に一つは安定した収入を得るためといったところでしょうか。
――仲間集めはどのようにされましたか?
ジョーズコーポレーションは私と弟の二人ですが、私が代表になっている他の会社にはパートナーがいて、そのパートナーもいくつかの会社を経営しています。そうするとそのパートナーたちが、私たちが運営している京都の簡易宿泊所で社員研修をしたり、別の事業で営業をかけた旅行代理店の方が何かの形で利用してくださったりと、そこの連携で送客してもらえることも多いです。事業を成功させるうえでネットワークの力は強いと思っています。一生懸命にしていれば皆さん協力してくれますから。
開業にまつわる数々のドラマ
――開業までに大変だった事はありますか。
正直大変さよりも面白さが勝っていて、あまり大変だと思った事は無いですね。
強いて挙げるなら、法改正に伴う対応が一番大変でしたね。政府が決めた法律に乗っ取り、これまでOKとされていたルールが全部だめになってしまった時に、その変化に対応しなければいけない事がなかなか大変でした。民泊がNGになり、マンスリーレジデンスになったのですが、東京はずっと民泊として運営してきて、その時の方が売り上げも2~2.5倍ありました。ただ、ある団体さんが泊まった時に、一度夜中までパーティーをしてしまって。。。それを機に、近隣住民への影響や色々な事を考えて、法人に貸す方がベターだという判断で、民泊を辞めて切り替えました。
また、何か変えなければならない時というのは、変えることに適応できない人たちが脱落していくタイミングでもあるので、すなわち競合が減ると考えていて、ピンチはチャンスだと捉えてチャレンジしています。頑張ってもだめなら別の方法に切り替えるだけだと思いながらどの事業もポジティブシンキングで進めています。
ですからbonbon houseを運営管理してくれる方も、あまりミスを恐れずに、どんどん新しい事にトライしてほしいです。たとえ失敗したとしても、またリカバリーすれば良いことなので、楽しく仕事してくれることを期待しています。
――大変な時期を乗り越えたエピソードを聞かせてください。
ジョーズコーポレーションを法人登記する前に、個人事業を運営していた時が一番大変だったのですが、日本の会社と台湾の会社がありまして、業務提携をした二社間のブリッジ役をしていた時の事です。
台湾の企業は、どちらかというと計画を立てずに何でも早く進めようとするスタンス。日本の企業は、一歩を踏み出すのに時間は掛かりますが、年度計画や事業計画、採算性等ものすごく細かな計画をしっかりと立てて仕事をするスタンスです。
台湾に限らず、海外の企業はわりと計画を立てずに、振り返りをあまりしない傾向があって、その二社間の価値観と事業の進め方の調整が、ものすごく大変でしたね。どちらの話をどちらに伝えても、「相手側の肩を持っている」と見られてしまって(笑)。
やはり皆さん相手の立場に立ち、文化や習慣を尊重して仕事しようと、頭のどこかでは分っているつもりでも、自国のやり方や自分たちの経験を押し通そうとする事が多いです。両者共に。それを一歩でも譲ってくれたなら、調整がうまく行くのにな、と思いながら必死でやり取りしていました。そこのすれ違いが、契約更新をするかしないかというところまで大発展してしまうと、事業の存続にも関わってくるので、すごく神経を使いましたね。何とかそこは切り抜けましたが。
――国や地域ごとの文化の違いは、bonbon houoseの運営にも関連してくるのでは?
まさにそうですね。そこはお客様とbonbon
houseのサービス提供も一緒だと思っています。
例えば、こちら側は15:00チェックアウトが当たり前だと思っていても、もしかしたらお客様側では「終日使える」と思っているかもしれません。お互いがメールのやり取りをする間に思い込みが生じると、齟齬が出てくると思うので、「自分の事を伝える」のが先ではなくて、まずは相手が何を伝えようとしているのかを理解する事が大事。それが徹底されていれば大きな問題は避けられるのかと思います。
――感動したエピソード
先程もお話ししたように、簡易宿泊所は地域の方には喜ばれない事が多いのが現状です。
オープンまでに、お土産を持って小さい子どもを連れて二か月に一度は京都へ行き、地域説明会を開催していました。近隣住民の皆さんは反対派が多く、隣にお住まいの方が特に強く反対されていました。なるべく地域の方の不安や要望を聞いて、改善できる事には対応していく中で、赤ちゃんを抱っこしながら必死に回っている様子を見て何か感じ取ってくれたのか、最終的にはお向かいの鰻屋のおじさんがこちら側に付いて応援してくれたことが忘れられませんね。「がんばってや」と。
最後に承認決議を通さないといけない会でも、建物の建て方の件で指摘されてしまったのですが、その鰻屋のおじさんがこちら側に立って一緒に説得をしてくださって。最終内覧会も見に来てくださり、納得していただき無事開業に至った時は本当に嬉しかったです。
〈会社の魅力と未来予想図〉
――会社の魅力は何だと思いますか?
自立している人にとっては、自由がある会社です。これから運営管理をしていただく方にも、自分の事業だと思って取り組んでほしいです。それがゆくゆくはその方の将来に繋がると思いますので。
単なる「施設を運営するための社員」という風に思うと、つまらなく見えてしまうかもしれませんが、様々な分野で活躍されているトップの方々と面談する機会も積極的に設けようと考えていますので、きっと広い世界が見られると思いますよ。
――どんな方が向いていますか。
素直な方が向いていると思います。できなかったこともきちんと受け止められて、できないという事を恥ずかしいと思わずに、積極的に相談してくれる方。スキルよりは、マインドを重視しています。
また遠隔でのやり取りになるため、信頼できる方を求めています。自立していて、自分で考えて行動できる方であれば、年齢や性別は問いません。
――会社の今後の展開はどのようにイメージしていますか。
2020年度は集客率の安定化と向上を目指し、地域との連携プロジェクトを始動させる年にしたいと思っています。2021年には海外オーナー向けの管理サービスを展開し、2022年は、中華圏エリアだけでなく東南アジアへ進出するなど、新たな可能性へも挑戦していきたいと考えております。
また「ただの簡易宿泊所」にとどまらず、地域の方にとって「魅力を発信できるベース(基地)」としても積極的に活用いただき、bonbon houoseが「地域と海外のお客様の交流の場」として存在価値を高めていきたいですね。
――求職者へメッセージをお願いします!
ご興味を持っていただいたら、ぜひ一創業メンバーとして一緒にこのbonbon houseの立ち上げに参画してもらいたいと思っています。逆によろしくお願いします(笑)。